①「民主主義」という言葉は、いかにも近代市民革命によって絶対王政を打倒して勝ち取ったように教えられているがそれは誤りで、そもそも民主主義はギリシャ、ローマ時代から存在する概念である。そして特にローマ帝国の時代には”人民を支配する道具”として使われてきた。

 

②世界を支配する”真の支配者”の正体とは「ローマ帝国型支配の仕組」を指す。それは一つには、他国を侵略し植民地化して管理下に置いた奴隷的市民を労働に駆り立て富を収奪し、一方で、”適度のパンとサーカス”を与え不満を解消させるという”愚民化政策”をとったことである。

 

③これは現代に置き換えれば、非正規労働者にパチンコ等のギャンブルやスマホ等での携帯ゲーム、あるいはテレビを通じたスポーツ観戦やバラエティー番組を提供し続けることが当てはまる。

 

④もう一つは、皇帝アウグスティスは帝政を敷いた初の皇帝だが、彼は元老院(議会)に一旦特権を戻したのち、政敵を排除しつつ形ばかりの”民主的”な手続きを経て再び権力を自分に授与させるというやり方で、最終的に全権を掌握したことだ。

 

⑤これを現代社会に当てはめると、教育現場での知識偏重教育による思考力の剥奪と、マスコミ報道を通じた一方的な真実隠蔽のための情報操作にその好例を見い出すことができる。

 

⑥要するに、支配される側の不満をうまく分散、緩和させつつ、自分たちが支配されているという事実に気づかないようにカモフラージュする”騙しの仕組”が民主主義の正体なのだ。

 

 

⑦一方、ローマ帝国がなぜキリスト教を国教にしたのかというと、パウロによって書き換えられた「愛の福音の教え」が、ローマ帝国型支配にとって都合がよく、支配のために悪用できたからである。但し、ここでいうキリスト教とはイエスの教えそのものではなく、「ローマカトリック」のことを指す。

 

⑧ローマカトリックは、龍蛇神、牡牛神の双方の悪い面を融合した支配の道具なのである。例えば、龍蛇神信仰は自然の絶対的な力に対して、”懺悔”という形で絶対服従する心性を巧みに利用し、権威に従順な人間を育成した。

 

⑨一方、牡牛神信仰では使役の象徴である”契約”が絶対視される。これにより個人の身分を制度的枠組みの中に張りつけて、”見返りを求めぬ愛”という美名の下、一方的な奉仕を引き出すことに利用できたからです。つまり、キリスト教もは”マインドコントロールの手段”なのである。