7、自由(自由意志)など存在するのか?

 

1)0・35秒遅れの意思決定

 

ともあれ、現行憲法によって導入された民主主義ですが、確かに国家権力から人身の自由や思想信条の自由などを守ることは必要で、その限りで民主主義による制御は有益です。が、これらは「国家からの自由」という自分と外的世界の在り方に関わるテーマです。

 

既に述べたように、人間が成長する過程で教育や報道を通じて刷り込まれた情報に基づいて判断力を身につけるに過ぎない以上、一方的に自由だけを保障してもあまり意味がなく、教育と報道次第でどのようにでも操作できることを考えると、「自由などない」といっても過言ではありません。

 

実際、目下、世界でも日本でも、マスコミによるデマ、ねつ造などのフェイクニュースが氾濫して“情報ファシズム”といえる状況が続いています。問題は、人間の内面、すなわち、人間には「心の自由=自由意志」があるかどうかです。

 

ところで、近年、fMRI(機能的磁気共鳴画像診断装置)による脳の働きの解明によって、人が顕在意識で物事を意思決定する0・35秒前に、すでに潜在意識で処理がなされているということがわかっています。

 

これは、顕在意識の処理能力が20ビットであるのに対して、潜在意識のそれは1100万ビットあり、圧倒的に潜在意識によって支配されているといわれているからです。

 

では、なぜ無駄に思えるこの「0・35秒遅れの意思決定」が行われているかというと、未来に生じる類似ケースを機械的に処理できるよう情報を記憶として蓄積するためです。もしこの機能がなかったら脳は常に新しい事態に対処しなければならず、フリーズしたPCのようになってしまいます。

 

例えば、朝起きて顔を洗って、毎日決まった軽い朝食をとって、決まったルートで通勤して、多くの人の場合は決まりきった仕事をこなして、時間が来たら帰宅してなどと、99%以上を占める普段のルーチン化された生活パターンの中では、一々考えたうえでの自由意志による選択など行われていません。

 

あるいは、どんな理性的な人でも、信仰や政治観、人生観などの人格の核心を批判されると一瞬でも“キレ ”、その限りで一時的に”感情の激流”に流され、自分を見失って、普段何気なくやっているブレのない「判断の自由」を失うなど、自由意志など無い状態に陥ってしまいます。

 

(次回に続く…)