大東亜戦争と京都皇統・裏天皇

(4)「大東亜戦争」は今も継続している

ところで、「憲法改正」については目下、戦後最大の政治課題となっています。これに関して護憲論者からは、憲法九条は、「当時首相だった幣原喜重郎から提案された」とか、「それを昭和天皇が望んだ」などという指摘が出ています。

しかし、既に見てきたように幣原は、吉田茂、重光葵らと並ぶ、黒幕・西園寺公望の育てた英米派グローバリストのメンバーで、日本国體の解体を目論むフリーメイソンの噂もある人物ですので、真に日本の将来を考えていたとは考えられませんが、あえて昭和天皇がそれを承知で「九条導入」を望んだのは、

国際環境の変化により日本の非武装態勢が行き詰まって改憲機運が高まることを当初より予想、これを奇貨として一旦挫折したかに見えた「河豚計画」などのアジアに真の安定を目指す「満鮮経略」を再開、展開するためのための"時限装置”として、策士・堀川辰吉郎のアドバイスがあったためと言われています。

確かに、一昨年、安倍政権は「安保法」を成立させました。が、これはあくまで米軍を支援するための法制度で、米軍と関係なしに日本が独自の判断の下、自衛隊を機動的に運用することは依然できず、以前として米国の世界戦略に振り回されることとなり、「大亜細亜主義」の理想は実現できません。

一般に、大東亜戦争の一部である米国との「太平洋戦争」は、1945年8月15日をもって終わったこととされています。が、それが"敗戦"とは言われず、あえて"終戦"と呼ばれている理由は、あくまで"米国との直接対決"という限定戦争が一旦終了したという意味です。

すでに見てきたように、インドネシアや台湾、ベトナムなどに残留し戦った日本軍人は、単なる"義侠心"からアジア各国の独立戦争に協力したわけではありません。あくまで「大亜細亜主義(大東共栄圏)」の理想を実現するために残留したわけです。

そして、終戦後、日本軍の残置諜者が建国し、今もなお活躍する北朝鮮は、核や弾道ミサイルを使った外交戦で周辺国や米国に揺さぶりをかけています。また、共産党支配の支那も崩壊は時間の問題と言われ、「満州国再建」も視野に入ってきました。そういう意味で「大東亜戦争」はいまだ継続中であり、それも間も無く日本の勝利で幕を閉じようとしています。

このような、「違いを認めつつ、一つに帰る」という、竹内文書などに記録され、超古代にあったと言われる日本主導の「王道のワンワールド」を目指す気宇壮大なる大戦略、これを描き、推進してきたのが堀川辰吉郎などの「裏天皇」と「京都皇統」なのです。