明治新政府を巡る暗闘(4)日清戦争と三国干渉

 

さて、日本は朝鮮を開国させた後、朝鮮の近代化を目指し、日本、支那と三国で連携して亜細亜の衰運を挽回するべきだとした親日派の金玉均を支援します。が、「甲申事変」が失敗に終わり、初めは改革に理解を示していた李王朝も土壇場になり清への服従を選びます。


こうした朝鮮の体たらくによって自主的な近代化の可能性がついえます。かつて元寇の際、「元」は朝鮮半島(高麗)支配の後に日本侵略を計画、実行しましたが、日本にとっては、日に日に当時、世界最大の軍事国家であったロシアの脅威が現実味を増してきます。

 

そこで遂に、明治27年8月、日本は朝鮮の宗主国で、半島に大軍を派遣していた清に宣戦布告し先手を打ちます。そして、第一軍司令官・山県有朋らの活躍で平壌、黄海で勝利し清を屈服させます。その結果、下関条約で朝鮮半島から撤退させ、台湾と遼東半島を獲得します。

 

ところで、日本の背後には支那大陸に利権を持ち、日本と同じくロシアの南下政策に危機感を持っていた英国がいました。実際、駐清英公使のウェードは、「日本は台湾ではなく朝鮮に進出せよ。そうすれば欧州各国は日本を支持し、英国は日本を援助する」と発言しています。

 

ところが、下関条約後の明治28年4月、ドイツ、フランス、ロシアによる「三国干渉」が行なわれ、血を流して獲得した遼東半島を返還させられます。英国は表には出てきませんでしたが、日本はロシアを除く欧州列強にまんまと利用され、日清戦争を戦ったのでした。

 

実際、この後、列強は戦争で体力の劣った清にハゲタカのように襲いかかり、ドイツは膠州湾、フランスは雲南省、英国は威海衛の権益を手に入れ、本来の敵であるロシアまで出てきて、旅順、大連から満州にかけての南満州鉄道の権益を握ります。