2)長州・大室寅之祐は南朝系の人だった

 

ところで、大室寅之祐の出自ですが、月読歴(真の皇統譜)よると、後醍醐天皇の第一子・護良(もりなが)親王の子・興良(おきなが)親王の後裔である「大室家」というのが山口県熊毛郡田布施村にあって、周防国・国主だった大内氏、さらに毛利氏の各時代を

 

領主が天下を取った時の”南朝系隠し種”として匿われてきました。一方、同じ田布施にある南朝系鷹司家が代々住職を努める円光寺住職の娘スエが幕末に生まれ、隣家の地家作蔵に嫁ぎ寅之祐が生誕。その後、スエは離縁し大室家に嫁ぎ、子息を正式に「大室寅之祐」とします。

 

ところで、時代は前後しますが、室町時代に日明貿易で財を成した大内氏(百済系?)に明国や高麗の背景のもと、分離独立を画策する動きが噂されます。これを牽制するため、南朝皇統は護良親王の末裔・興良親王を、

 

また足利幕府も、"西行法師"こと佐藤義清の後裔・佐藤甚兵衛を、秦・藤原体制に不満を持って諸国に散らばった南朝海人系物部氏の隠れ里「田布施」に派遣、大内氏の野望画策を監視します。

 

大室寅之祐が護良親王の後裔である話は吉田松陰も記録しており、松蔭が天皇としての英才教育をしていたとしています。また梨本宮守正の娘で李王朝に嫁いだ李方子も「明治帝は南朝の人」、藤原北家広橋真光に嫁いだ方子の甥・興光も「北朝の睦仁親王と明治帝は別人だ」と証言しています。

 

なお、「梨本宮家」といえば、近年、北朝鮮による拉致問題で取り沙汰されている横田めぐみさんの母・横田早紀江さんに繋がる血筋で、方子(まさこ)が李王朝に嫁いだことも含め拉致問題の核心に関わる重要ポイントですが、古代史の謎も含め、大きな背景を持っているので「大東亜戦争の目的」の章で詳述します。