ティルムン(東大国)…古代天皇が世界を統治した、

 

以上の内容は、平安時代に編纂された日本の氏族の系譜を記した「新撰姓氏録」にもあり、「カラ(クル)族が日本人の祖先であり、支那、インド、中東、アフリカまで進出、活躍していた」としています。

 

また、インドの古典「マハーバラータ」でも、太古、デカン高原に「カラ族の宮殿」があったが、アーリア人の侵略で廃墟と化したとされ、実際、モヘンジョダロは核戦争でもあったのではないかと思わせるほどの廃墟と化していることは有名です。

 

このように、「契丹古伝」が伝える超古代日本と世界の歴史は、その内容があまりにも通説とかけ離れているため、これまで欧米や支那の学者たちが流布してきた世界史の常識からは"トンデモ話"に思えます。

 

が、「契丹古伝」によれぱ、日本人と契丹人の共通の祖先である「カラ族(クル族=シウカラ)」の歴史は、エジプト、シュメール、インダス、黄河の地を次々に侵略してきたアッシリヤ人、つまり、支那で漢人(あやひと)として知られる欧米系アーリヤ人の手で抹殺、改竄されてきたと考えられます。

 

 

51、私たちがこれまで学校で習ってきた古代の歴史、すなわち、

支那人、欧米人が流布してきた世界史(=西大国史観)は、

秦・漢帝国、ローマ帝国時代以前に、私たち日本人の祖先「カラ族」が、世界各地で文明を築いた事実を封印するための"虚構"であるというのが、「契丹古伝」に貫かれたテーマとなっています。

 

52、ところで、「カラ族」の起源は「ムー大陸」にあったという説もあります。一方、これと並んで、12000年前には大西洋上に「アトランティス大陸」があったとプラトンが唱えており、後年、ヒトラーも「ゲルマン民族はアトランティスを起源とするアーリア人である」と語っています。

 

53、ただ、もし「ムー大陸」と「アトランティス大陸」が同時期に消滅し、「ムー人」がユーラシア大陸の東に上陸し西に移動、他方、「アトランティス人」はユーラシア大陸の西(ヨーロッパ)に上陸し東に移動したとすると、カラ族による「東大国(ティルムン)」が世界統治していた事と矛盾します。

 

54、が、「ムー」は「アトランティス」より早く沈んだと考えると、「ムー人」を起源とするカラ族が世界展開の後、「アトランティス」の消滅でアーリア人がヨーロッパ方面から東に展開して「西大国」を作り、追われたカラ族は最終的に九州に都を置く「東大国(鵜芽葺不合朝)」を作ったとすると整合性が取れます。

 

55、が、「まえがき」でも簡単に述べたように、「"天孫降臨"は日本で行われ、日本が世界文明の起源」となって、超古代の源流日本人がユーラシア大陸とムー大陸を中心に東西に分かれ、西に展開した部族を「カラ族」、東に展開した部族を「クル族」と考えることで、竹内文書にある「天皇が16カ国に皇子を派遣していた」との記述にも符合します。

 

56、この仮説の傍証としては、天才物理学者の楢崎皐月が、昭和24年に日本の兵庫県で石器時代に書かれたという「カタカムナ文献」を発見、そこには宇宙の構造や科学技術、哲理などが書かれており、超古代の日本に高度文明があったと指摘しています。

 

 

57、この楢崎は、戦前、満州に渡り、吉林にある道院で道士である蘆有三から瞬間沸騰する茶釜を見せられ、「上古代の日本には"アシア族"という、八鏡文字を編み出し、特殊な鉄の鋳造技術等の高度文明を持つ人々がいて、それが中華文明の基礎になった」という古伝を聞かされています。

 

58、また、創建1万5千年の熊本県・日の宮幣立神宮の御神体「日文石板」は、炭素測定の結果約20〜30万年前のものとされていますが、そこには「豊国文字」で「ひふみよいむなやこともちろら、ねしきるゆいつわぬそを、はたくめかうおえに、さりへてのますあせゑほけれ」と記されています。

 

59、ともあれ、以上のように考えると、私たちの祖先・カラ(クル)族が、かつて"一つの世界(王道のワンワールド)"として築き上げてきた壮大な歴史は、"アトランティス人"の末裔であるアーリヤ人(アッシリヤ人、漢人)の手で隠蔽され、捏造の歴史が流布されてきたという仮説が成り立つのです。

 

60、参照;「太古、日本の王が世界を治めた!(高橋 良典)」「藤原氏の正体(関裕二)」