世界文明の起源は日本だった、5

 

 

ところで、太古の地球の歴史を紐解くと、「ノアの大洪水」が起こります。この事実は竹内文書等の古史古伝の他に「聖書」、シュメールの「ギルガメシュ叙述詩」、インドの「マハーバラータ」にも記録されています。

 

更に地球は氷河期に入り、食糧難に喘ぐ日本列島に居住していた原初日本人"カラ族"の多くは、食料を求めてユーラシア大陸を西に向かって、世界王権の証である「契約の箱アーク」と「三種の神器」を携えて移動して行きました。

 

実際、日本人が世界に分布した痕跡が見つかっています。日本ペトログラフ協会の吉田信啓氏によると、熊本県芦北地方には「曽畑式水人がいて、約6500年前、北海道から沖縄に至るまで生活の痕跡を残しており、さらにベーリング海を渡って北米にも生活圏を拡大した可能性が高いと指摘しています。

 

この説は、米国ブロンスウィック大学のレ・クイナー教授も唱えており、「アメリカインディアンが日本人と同じ習俗、語彙、顔を持つ事から、彼らの多くは太平洋の西からきたモンゴロイド海洋民族である」と主張。これには、スミソニアン博物館やハワイ大学等も同様の見解を発表しています。

 

㊶その中で、最も西に展開したカラ族は、現在のエジプトやパレスチナにまで達しました。が、ローマ帝国等の東に急展開してきたアーリア人(アトランティスの生き残り)と衝突、多くの戦いを経て、メソポタミア(シュメール)、インダスと都を遷しながら西に移動します。

 

㊷結局、最後に到達したのが"伝説の故郷"日本でした。これが海部氏、山部氏(白山部氏=山家…シャンカ)、物部氏、安部(安倍)氏、忌部氏、斎部氏、乙部氏、綾部氏、卜部氏、蘇我氏、秦(羽田、羽田野、畑中、川端)氏ら古代ユダヤ10支族の日本渡来で、それは日本への"出戻り”だったのです。

 

 

彼らの"帰国"は、縄文時代から弥生時代、古墳時代にかけて、"さみだれ式"に行われたようです。が、大きくわけて「前期出戻り組」の山部氏(山渡人)、海部氏(海渡人)らと、「後期出戻り組」の蘇我氏、秦氏の二グループに整理できます。

 

このうち「前期出戻り組」は、「日本列島居残り先住民」の海人族(安曇氏)やアイヌ族(阿蘇部)とは穏やかに合流を果たしたようです。理由は、「聖櫃アーク」や伊勢神宮、熱田神宮に保管されていると言われる「ユダヤ三種の神器」が、同族である証として示されたからと考えられます。

 

その証拠に日本人の45%に見られ、中韓人には見られない「Y染色体ハブロD系遺伝子」は、世界中に分散した古代ユダヤ10支族とその末裔のチベット人や中南米のインディオなどに見られるE系統と同類であることが証明されています。つまり、大和先行王朝だった「鵜芽葺不合朝」の中心は物部系だった?