🎍謹賀新年🎍

年の初めは、西伊豆から臨む曙の富士を。

空の藍が次第に明るさを増し、富士の稜線が白く浮き立ち始めた東雲(しののめ)から、紫立ちたる雲がたなびき、やがて桃色、薔薇色、珊瑚色へと千変万化するスペクタクルは実に神々しく、清浄で敬虔な思いに満たされました。

と、私が駄文を書き連ねるより、以前ご紹介した徳冨蘆花の「此の頃の富士の曙」をお読みいただく方がその感動を共有していただけるかと思い、岩波文庫『自然と人生』に収められた全文を、心ばかりのお年賀として掲載させていただきます。

皆様にとってこの一年が、浄らかな光に満ちたものとなることをお祈りしています。


「此頃の富士の曙」
   (明治三十一年一月記)     徳冨蘆花

心あらん人に見せたきは此頃の富士の曙 。

午前六時過ぎ 、試みに逗子の濱に立って望め。眼前には水蒸気渦まく相模灘を見む。

灘の果には、水平線に沿ふてほの闇き(あゐ)(いろ)を見む。()(その)北端に同藍色の富士を見ずば、諸君恐らくは足柄 、箱根 、伊豆の山の其藍色一抹の中に(ひそ)むを知らざる()し。

海も山も未だ(ねむ)れるなり。

(ただ)一抹(いちまつ)薔薇色(しょうびいろ)の光あり。富士の(いただき)()弓杖(ゆんづえ)(ばか)りにして、横に棚引く。寒を忍びて、暫く立ちて見よ。諸君は其薔薇色の光の、一秒々々富士の巓に向って這ひ下るを(したた)む可し。(じょう) 、五(せき) 、三尺 、尺 、(しかう)して寸 。

富士は(いま)(ねむり)より醒めんとすなり。

今醒めぬ。見よ、嶺の東の一角 、薔薇色(ばらいろ)になりしを。

()(またた)かずして見よ。今富士の巓にかゝりし紅霞(こうか)は、見るが内に富士の暁闇(あかつきやみ)を追ひ(おろ)し行くなり。一() 、―二分 、―肩 ―胸 。見よ、天邊(てんぺん)に立つ珊瑚の富士を。桃色に匂ふ雪の(はだ)、山は透き(とお)らむとすなり。

富士は薄紅に醒めぬ。請ふ眼を下に移せ。紅霞は(すで)に最も北なる大山(おおやま)(かしら)にかゝりぬ。早や足柄に及びぬ。箱根に移りぬ。見よ、闇を追ひ行く曙の足の(はや)さを。(こう)追ひ(らん)(はし) りて、伊豆の連山、已に桃色に染まりぬ。

(くれない)なる曙の足、伊豆山脈の南端天城山を越ゆる時は、請ふ眼を()へして富士の下を望め。(むらさき)匂ふ江の島のあたりに、忽然として二三の(きん)(はん)(ひらめ)くを見む。

海已に醒めたるなり。

諸君若し()まずして(たたず)まば、(やが)て江の島に(むか)ふ腰越の岬(かく)として醒むるを見む。(つい)で小坪の岬に及ぶを見む。更に立ちて、諸君が影の長く前に落つる頃に到らば、相模灘の水蒸気(ようや)く収まりて海光一碧、鏡の如くなるを見む。此時 、眼を()げて見よ。群山(こう)褪せて、空は卵黄より上りて極めて薄き普魯士亞(ぷるしあ)藍色となり、白雪の富士高く晴空に()るを見む。

あゝ心あらん人に見せたきは此頃の富士の曙。