連日の酷暑で溶けてしまいそうな某日、京都の北野天満宮から『有職菓子御調進所・老松』の涼菓「夏柑糖」を頂戴しました。

 

 

北野天満宮の門前町にして、京で最古の歴史を刻む上七軒の老舗菓匠『老松』は、「有職(ゆうそく)菓子」、つまり宮廷の儀式や典礼に用いる菓子作りを継承し、今も様々な式事やお茶席に納める菓子を作り続けています。

 

“老松”という店名の由来は北野天満宮の第一摂社で、菅原道真の家臣・島田忠臣を祭神とする「老松社(おいまつしゃ)」に因んでおり、祖先は朝廷の儀式に使う菓子や神饌などを調製していたお公家さんだそうです。

 

 

そうした老松さんならではの、なんともやんごとなく神々しい涼菓が、こちらの「夏柑糖」。

 

 

御箱の清々と神聖なる佇まいからして御神饌を思わせますが、蓋を開けるとこれぞまさしく田道間守(たじまもり)が垂仁天皇の命で常世の国から持ち帰った「非時香菓(ときじくのかくのみ)」かと見まごう、立派な夏蜜柑が鎮座しています。

 

 

直径15㎝もあろうかという一つを取り出すと、その包み紙にも「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」の文字が!

 

 

「夏柑糖」は、日本古来の柑橘である夏みかんの中身を丁寧に取り出し、搾った果汁を寒天で固め、器に見立てた果皮に流し込んだ菓子で、材料は夏みかん、砂糖、寒天のみ。

 

甘夏やオレンジにはない夏みかんならではの“ほろ苦さ”と、気品とまろみのある酸味を、雑味のない透明感の高い甘味がさりげなく引き立て、丹念にくり抜かれた果皮の美しさや寒天の絶妙な口溶けに、ひと匙、もうひと匙ともう止まらなくなります。

 

 

 

今でこそ看板商品となった「夏柑糖」ですが、実は戦後の物資が少ない時代、上七軒に通う旦那衆のために庭にあった夏みかんで作ったのが発祥だそうです。

 

当初は夏みかんの強い酸により寒天がなかなか固まらず苦労したそうですが、今も家伝のレシピを守りながら作り続けられています。

 

ただ日本古来の夏みかんは、昭和45年頃から政府が甘夏などへの移行を奨励したり、グレープフルーツが自由化されたりして、年々畑地が減少し、今は原産地の山口県の萩や和歌山の一部に残るのみだそうです。

 

老松さんは夏みかんの消滅を危惧し、萩の農家を回りその作付を働きかけ、契約農家と一緒に夏みかんを復活させ、食文化の継承にも取り組んでいるそうです。

 

(※) 

 

残念ながら今年の「夏柑糖」の販売は7月上旬で終わってしまいましたが、来年の春から夏にかけ是非味わってみて下さい。

 

 

 

 

※画像は『老松』「夏柑糖」パンフレットから引用