その類い稀な気品(grace)、勇気(courageous )、愛(love)によって世界を魅了した英国・エリザベス二世が、70年に及ぶ君主としての使命をまっとうし、96歳の生涯を閉じた。
1952年、父ジョージ6世の急逝により25歳の若さで即位することとなったエリザベス女王は、その5年前、初の海外訪問地である南アフリカから、BBCを通じ世界に向け次のようなスピーチを行った。
「私たち全員が揺るぎない信念と勇気、
そして静かな心を持って前進すれば、
この古から続く英連邦を・・・より自由に、
より豊かに、より幸せに、そして世界に
より大きな影響を与えることができる
でしょう」
「とてもシンプルなことです。私は皆さん
全員の前で誓います。私の全生涯を、長い
か短いかにかかわらず、皆さんのために捧
げることを宣言します」
その言葉通り、女王は90歳を超えてもコロナ禍まで年間400もの公務を変わることなくこなし、中でも英連邦諸国は女王の治世の間に8カ国から54カ国へと拡大、世界人口のおよそ3分の1を占めるまでになった。
戴冠式から数カ月の内に女王は英連邦諸国を次々と訪問、地球を一周した最初の英国君主となり、そして在位70年の間に、世界で最も多くの国々を訪問した国家元首となった。
女王がもうこの世にはいないこと、もう二度とあの晴れやかな笑顔や茶目っ気たっぷりの愛と好奇心に満ちた瞳に出会うことはできないのだと思うたび、英国民でも英連邦国民でもない私でさえ涙が溢れ止まらなくなる。
「悲しみは愛の代償として支払うもの
なのです」
この言葉は、9.11米国同時多発テロ後に女王が米国民に贈った哀悼メッセージだ。
喪失による悲しみの大きさとは、失った者から与えられた愛の深さであることを、エリザベス女王という特別な存在を失ってあらためて知らされる。
ただ通常、誰かの訃報に接し幾度となく涙が溢れ出すといった感情は、ごく親しい友人か家族に対して持つものだが、どうして一度も会ったこともない遠い国の君主に、このような感情を抱くのだろう。
エリザベス女王はこうも語っている。
「“家族”とは、血縁関係だけを指す言葉
ではありません。それは時にコミュニティ
や、組織、そして国家を表す言葉なの
です」
今、英国や英連邦に属さない多くの人々が、国家という枠を越え世界中で、あたかも自分の家族を失ったかのような深い哀しみに暮れている。
その事実が、分断と混迷の加速する現代においてエリザベス女王が、世界を“人間性”という血の通った強靭な絆で結びつけてくれる「偉大なる母」であったことを、明確に示している。
しかし偉大なる母が旅立った後も、私たち人類は女王が遺してくれた言葉とともに、人が人としてあるべき姿というバトンを受け継ぎ、未来に繋げて行かなくてはならない。
第二次世界大戦、度重なる王室スキャンダル、幾たびもの家族との別れ・・・数々の苦難と遭遇するたび、その都度エリザベス女王は逃げることなく、ブレることなく、試練を前進する力に変え、悲しみを他者への思いやりに変えて、世の中を照らし続けた。
「人生が困難に思えるとき、勇気ある者
は、ただ横たわって敗北を認めたりはし
ません。代わりに、より良き未来を作る
ため、あがき続けようと決心をさらに
強く固めるのです」
女王が息を引き取られる直前、ロンドンのバッキンガム宮殿上空にダブルレインボーが現れた。
それを目にした多くの人々が、「(夫の)フィリップ殿下が(天国から)迎えに来た」、「女王が渡るために天にかかった」とTwitterでつぶやいた。
ギリシアの王子で海軍軍人であったフィリップ殿下は、エリザベス女王にとって8年の愛を実らせた初恋の人だった。
殿下はマッチョな軍人教育を受けながらも、公の席では常に女王の一歩後を歩き、女王も恒例のクリスマススピーチでは殿下が亡くなるまで常に、“My husband and I・・・・・・”と話し始めるなど、ともに支え、ともに敬い、生涯仲睦まじい理想的な夫妻だった。
家族、国民、全世界の人々、そして天からも愛され、その愛に応え尽くして天国へと虹を渡って行ったエリザベス二世は、まったき “Queen of queens” であった。
“God save the queen 🇬🇧”
(画像出典:GETTY IMAGES)