早咲きの梅がほころび始めると、受験シーズン到来。

 

学校関係者であれば、風邪やインフルエンザの流行にも神経を尖らせる、そんな時期に今年はオミクロン株の急速な感染拡大が重なっている。

 

子どもたちの前ではおくびにもそんな表情は見せないが、今、学校現場を守る者たちは皆一様に戦々恐々としている。

 

新型コロナウィルスとの闘いにおいて主たる武器と言える「ワクチン(ブースター接種)」「特効薬(経口薬)」「検査体制(PCR&抗原検査)」という3つが、先進各国と比較しいずれも日本では圧倒的に不足しているからだ。

 

ワクチンについては、国がモデルナ製剤を一定量ストックしていることは広く知られていた。

 

世界でオミクロン株の急拡大が先行して進む中、なぜ政府は高齢者などへの接種を昨年から実施しなかったのか。

 

今、日本のブースター接種率はOECD加盟国中最低である。

 

経口薬についても、オミクロン株の流行が日本でも時間の問題と予見される中、なぜもっと早期に本腰を入れて国は確保に努めなかったのか?

 

検査体制の強化に至っては、コロナ発生当初から日本の脆弱性が指摘されて来たにもかかわらず、2年も経つのに一向に改善されず、いまだ検査数は英国の17分の1に留まっている。

 

リーダー不在の故なのか、失敗に学ぼうとせず本質的な改善が見られないこの国の感染症対応にほとほと愛想が尽きかけていた矢先、「基本的対処方針分科会」の尾身茂会長が「人流抑制より人数制限。・・・ステイホームなんて、必要ない。」と公言した。

 

コロナ対策の第一人者と世間で認知されている尾身会長に、大人数で大声を出さなければ大人は飲食も会合も外出も構わないと言われたら、この2年間ずっと給食で黙食を続け、高齢者や受験生に配慮して毎日毎日息を潜め我慢に次ぐ我慢を余儀なくされている子どもたちに、私たちは一体どのように説明したら良いのか。

 

そうした一方で、厚生労働省に新型コロナウイルス対策を助言する専門家組織の脇田隆字座長からは、「今後基礎疾患のない若年層は、高齢者など重症化の危険性がある人たちを優先するため、受診も検査も控えるように」と受け取れる指摘が公式になされた。

 

作新学院では、自前のPCR検査機をフル稼働させできる限り対応に当たっているが、一日に検査できる件数はごく限られており、今後抗原検査すら満足に受けられなくなるとすれば、学院としての自衛手段はもはや万策尽き、闇に突き落とされるような無力感に襲われる。

 

こうした混乱と不条理に、大きな拍車をかけているのが保健所の目詰まりだ。

 

人員の補給もままならぬまま、またもや過重な業務を負わされた全国の保健所はどこも既に飽和状態で、迅速な経口薬の処方が阻害され、濃厚接触者の特定も感染者自身に任されるような非常事態に陥っている。

 

激烈な過重労働で疲労困憊する保健師たちが、電話口で罵詈雑言を浴びせられるという異常事態を生み出している元凶が、保健所を介さないと動くことができない感染症「2類」という桎梏だ。

 

2類か5類かという二者択一で立ちすくんだまま誰もが不幸になっていく現状を看過することなく、国は一刻も早く2類の“何を残し、何を変えるべきか”を議論し、部分的な変更を含め運用を柔軟にすべきだ。

 

 

作新学院では、「何があっても“教育”は止めない」を合言葉に、今後予想される感染者および濃厚接触者の発生・拡大を各段階ごとにシミュレーションし、幼稚園から高校まで各設置校ごとに「事業継続計画」を策定している。

 

最悪の事態も想定し、たとえ殆どの教員が登校できなくなったとしても、自宅のパソコンから生徒たちへライブ授業配信を行える準備を整え、既に小・中・高校の一部では1月26日現在、対面とオンラインを併用してのハイブリッド授業ないしは完全オンライン授業を実施している。

 

ただ小・中等部の場合、保護者の付き添いなしに児童・生徒だけでネットへアクセスすることは難しく、また小さな子どもを自宅に置いて保護者が仕事に出ることも困難なため対面授業を基本としているが、登校が難しい児童・生徒についてはオンラインで学べる環境を整えている。

 

ICTの活用により教育の継続性は担保されているが、はたして教育の質がどこまで担保できるかと問われれば、特に年齢が下がるほど難しいと言わざるを得ない。

 

幼稚園でもネット活用は行ってはいるが、もし園児の登園が制限されれば、それだけ社会を支える人たちの動きも制限されてしまう。

 

 

さらに、最も難しい問題が感染者に向けられる社会からの視線だ。

 

一人でも感染者が発生したら本人が特定されないよう、学級閉鎖ではなく学年閉鎖さらには全校閉鎖をせざるを得ない状況まで追い込まれる学校が、この国には確かに存在する。

 

実際、本学に対しても感染者の個人情報の開示を迫るヒステリックな電話が掛かることもあった。

 

 

理性的で論理的な考察力と思考力、世界一丸となって協働し合えるコミュニケーション力、そして“他者の靴を履く”ような想像力を問われるコロナからの「卒業試験」に、人類が合格できる日はいつ来るのだろうか。