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米国プリンストン大の上席研究員で、気象学者の真鍋淑郎さんが、2021年のノーベル物理学賞に選ばれた。

 

二酸化炭素濃度の上昇が地球の表面温度の上昇にどうつながり、気候に影響を与えるかを世界に先駆けて解明し、“温暖化予測の父”とも称される真鍋さん。

 

1960年代から気候変動の先駆的な研究を続け、デジタルが今よりも普及していなかった時代にコンピューターを駆使し、非常にシンプルで本質を突いた、地球の大気全体の流れをシミュレートする気候数値モデルを開発した。

 

真鍋さんの気候モデルは、地表面が太陽から受け取るエネルギーから、宇宙に逃げていくエネルギーを差し引いた「放射収支」と、空気や水蒸気が互いにどう影響し合うかを、世界で初めて解明したとされる。

 

ノーベル賞選考委員会も、「真鍋氏の研究成果によって、地球温暖化が人類の活動により引き起こされたことが科学的に裏付けられ、現代の気候の研究の基礎となった」とその功績を讃えた。

 

そんな真鍋さんがプリンストン大学で行った会見で、記者から米国籍を取得した理由を問われ発した一言が秀逸だ。

 

「私が日本に帰りたくない理由は、周囲に同調する能力がないからです。」

 

科学技術分野はもとより、この数十年あらゆる分野で低迷し沈みゆく日本が絶対に打破せねばならない、問題の核心を突いている。

 

1931年に生まれた真鍋さんは東大大学院を修了後、58年、米国に渡った。97年にはいったん日本に帰国し、科学技術庁(当時)の地球温暖化予測研究領域長のポストに就いたが、2001年に辞任。

 

当時の文献を読み返すと、日本の縦割り行政を批判し「長く米国にいた私は適役ではない」と語っている。

 

 

 

同様の問題意識を私もずっと抱えながら、実に生きづらいこの国で暮らして来た。

 

NHKのアナウンサーを振り出しにジャーナリズムの世界で活動したが、毎日が同調圧力との戦いの日々だった。

 

ある時、先輩ディレクターからこんなことを言われた。

 

「君の画面を見ていると、いつも何かと戦っているみたいだ。」

 

その後、念願叶って渡欧しパリに2年半ほど暮らしたが、外国で食い扶持を稼げる能力もなく帰国。

 

国会議員として政治、総合学園の経営者として教育と、仕事の分野は変わったが「同調圧力」という敵との攻防は変わることなく続いている。

 

 

特に教育という世界での圧力は、群を抜いている。

 

同調圧力しかないと言っても過言ではないほど、絶望的だ。

 

やれ個性や多様性の尊重だ、探究心の育成だ、アクティブラーニングだと、文科省が檄を飛ばしても、大学受験制度が変わらず、何より現場の教員の資質や体制が変わらなければ、何一つ変わらない。

 

自分自身、20年以上教育現場でやれることはやって来たつもりだが、個性や創造性を伸ばし、探究心や多様性を育み、コミュニケーション能力を高めるため、どんな制度や機関やプログラムを作ってみても、実際に学校現場で教育を行う教員たちが、その任に相応しい資質を有していなければ、どんな努力もまったくの水の泡だ。

 

どんなお題目を文科省が掲げたところで、同調圧力に屈せず、個性や多様性を尊重でき、探究心が強く、自分自身が積極的に議論しディベートできるような教員がいなければ、そんな教育できるわけがない。

 

しかも残念ながら我が国では長年、そういうタイプとは真逆とも言える人たちが、教員という職業の大部分を占めてきた。

 

そしてさらに残念なことに、職業の選択肢が広まった今日、こうした傾向は益々強まっている。

 

 

真鍋さんの漏らした一言が、地球環境とともに日本の風土や教育環境をも変えてくれることを切に願うばかりだ。

 

 

 

 

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<画像出典>

(※1:ロイター/アフロ)

(※2:米プリンストン大)