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世界中の人々がコロナ禍で傷つき翻弄される今、注目される言葉がある。

レジリエンス(resilience)とは、「復元力」や「弾性(しなやかさ)」を意味する英語で、元は「外からの力による歪みを跳ね返す力」を表す物理学用語。

心理学にも転用され、困難や危機に直面してもポキッと折れてしまわず、逆境からしなやかに立ち直る力として使われるようになった。

野口聡一宇宙飛行士が搭乗し、今年5月無事地球に帰還した民間宇宙船にも命名されるなど、「レジリエンス」はコロナ時代を生き抜くキーワードとなっている。


そのレジリエンスを体現し、衝撃とも言える感動と勇気を与えてくれたのが、今夏の「東京パラリンピック」だった。

それぞれの運命を乗り越え躍動するパラアスリートたちの強靭な肉体、深い精神  性、そして透徹した笑顔。

たかが“自粛続き”ごときでグズグズ(くすぶっているわが身にはあまりに眩しく、神々しく、魂が震えた。

 

過酷な試練からも逃げることなく、想像を絶する努力と献身によって、人間の限界を軽やかに超えて行くパラアスリートたち。

そんな彼らを障がい者と呼び、自らを健常者と称する、この社会の厚顔無恥なる通例に疑問を感じながらも、結局は流されてきた自分自身を心の底から恥じた。

パラアスリートたちに相応しい呼称、それは障がい者ではなく「超人」。
そう思ったのは、きっと私だけではないだろう。

彼らに課された人並みはずれて厳しい試練が、むしろ彼らの潜在能力を引き出すとともに全人的な成長を促し、常人から「超人」へと進化させた。   

 

 

 


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例えば弱冠14歳で二つの銀メダルを獲得し、日本のパラリンピック史上最年少メダリストとなった競泳の山田美幸選手。

生まれつき両腕がなく、両足の長さも異なるため、水中で長い左足は横に蹴り、短い右足は縦に蹴る。
山田選手が編み出した彼女だけの泳法で、両腕がなくても両肩を揺らして推進力につなげる。

彼女の泳ぎを見るたびに、人は意志と努力次第でこんな奇跡を起こすことができるのかと、胸を突かれる。

山田選手が乗り越えた試練は、身体的ハンディだけではない。

彼女に水泳を勧め支え続けてくれた父が、2019年肺がんで他界したのだ。そのショックから一旦水泳から離れるがじきに復帰。

しかも父の願いだったメダルを現実のものとするため、出場種目を苦手だった背泳ぎに変更する。
練習では体力強化のため側溝用の金属蓋を身体に結えつけて泳ぎ、1年半でタイムを10秒も縮めた。   

英語が得意で学業優秀な山田選手の将来の夢は、外交官となり日本と世界の架け橋になることだそうだ。
こういう若者にこそ、日本を代表して世界の舞台で活躍してもらいたいと心から願う。

 

 


 

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最年少メダリストに負けず劣らず、日本最年長金メダリストとなったパラアスリートも、実に爽やかで美しく輝きに満ちていた。


「ゴールの向こうには栄光が待っていると聞いていたので、自分はただ栄光に向かって走ろうと、全力疾走しました。」

自転車・個人種目で二つの金メダルを獲得した杉浦佳子選手。終始弾けるような笑顔に溢れた優勝インタビューの一言一言が、コロナ禍の闇に閉ざされかけた私の心に、紛れもない希望の光として強く差し込んだ。

杉浦選手は5年前、趣味で参加していたトライアスロンの大会でロードレース中に転倒。高次脳機能障害と右半身にまひが残った。

しかし事故の翌年には、もうパラサイクリングを始め、同年の世界選手権タイムトライアルで優勝。次の年には世界選手権ロードレースも制した。

最年長金メダリストという称号について感想を聞かれると、おどけながら「最年少記録って二度とつくれないけど、最年長記録って作れますよね。」といたずらっぽく笑い、会場を和ませた。

そしてその宣言通り、2つ目の金メダルを獲得。自己の最年長記録を、たった3日で見事に更新して見せた。
 

 

 

 

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「超人」として今大会最も日本を熱くした選手と言えば、車いすバスケットボール 銀メダル獲得の原動力となった鳥海連志(れんし)選手。


その名の通り鳥のような超(鳥)人的スピードと軽やかさでコートを縦横無尽に駆けめぐり、どんな屈強な相手にも果敢に身を挺して挑み続ける。

その姿は、バスケ漫画「スラムダンク」の登場人物「流川楓(るかわかえで)」にも喩えられ、国際車いすバスケット連盟から今大会のMVPに選出された


鳥海選手は、先天性の両足の脛骨欠損のため3歳の頃に両下肢を切断。両手指にも一部欠損があり、チームの中では比較的重度の障がいを持つ「ローポインター」。

通常なら障がい程度の軽い「ハイポインター」のサポートに回るところだが、鳥海選手は誰よりも積極的に攻めリバウンドを取り、相手ボールをスチールし、しかも長時間走り抜く。

何度も何度も車いすごとコートに倒れ込み、時には勢い余って壁に激突しながらもすぐさま立ち上がり、また風の如く走り出しては敵の攻撃を止め、華麗なシュートを決める。


そんな鳥海選手が、絶対的王者である米国との息詰まる決勝戦の終了ブザーが鳴った瞬間、そばにいた高柗義伸選手に近づいて握手を求めた。
日体大4年で作新学院高校出身の高柗選手は、今大会初めて日本代表に選出されたものの、コートでプレーする機会にはあまり恵まれていなかった。

鳥海選手も、15歳で日本代表に選出された当時は試合でなかなか出番がなく、プレーする先輩の姿をベンチから見守る日々が続いたそうだ。
だからこそ、今大会では思うようにプレーできなかった高柗選手の心情に、いの一番に寄り添ってくれたのだと思う。

人一倍の勝利への執念と同時に、まだ22歳という若さでありながらどんな時にも感謝や心遣いを忘れない姿勢に頭が下がる。

 

 


 

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それにしてもなぜパラアスリートたちは、その過酷な運命に打ちのめされることなく、常に希望を胸に挑戦し続けることができるのだろう。

彼らを見ていて一様に感じるのは、「自分を信じられる」気持ちの強さだ。

自分には価値がある。
自分が存在することには意味がある。
自分はできる!

そうポジティブに信じられる強い気持ち。
それこそがレジリエンスを生む源泉であることを、パラアスリートたちは教えてくれた。


では、その「自分を信じられる気持ち」は、どうしたら育まれるのか。

自分を信じられるということは、「自分を愛せる」ということ。
平たく言えば「自己肯定感」を持てるということになる。

では、いかにすれば自己肯定感は養われるのか。

その追究こそが、「教育」の根幹であり本質なのだと、私は思う。

コロナ禍という試練に全人類が立たされる中で開催された今大会で、作新卒業生の大谷桃子(車いすテニス ダブルス 銅メダリスト)・高柗義伸両選手にメダルが(もたら)されたことも、136年に亘り教育を担い続けて来た本学への、一つの“天啓”であったように思われる。

作新学院歌の最終フレーズは一番から三番まで、「我らが“愛”の学院に」と謳い上げる。

この歌詞に込められた意味が、コロナ禍のお蔭でやっと分かりかけた気がした、2021年夏であった。

 

 

 

<画像出典>

(※1:トヨタイムズ)

(※2:読売新聞)

(※3:静岡新聞)

(※4:西日本新聞)

(※5:olympics.com)