どん底から日本一へ!

 

昨日12月3日、試練に打ち克った二人の作新卒業生が、水泳と野球、それぞれの舞台で揃って日本一の栄光を(つか)みました。

 

一人は、リオ・五輪金メダリストの萩野公介選手。

 

 

そしてもう一人は、甲子園でエースナンバーを背負い、今年の都市対抗野球大会で所属する「ホンダ」の優勝にルーキーながら大きく貢献した朝山広憲選手です。

 

 

 

萩野選手は、コロナ禍のため8ヶ月遅れで昨日から開催された競泳日本選手権の400m個人メドレーと200m個人メドレーの2種目で優勝、ともに東京五輪派遣標準記録を上回るタイムで2年ぶりの二冠を果たしました。

 

ご存知の方も多いと思いますが、萩野選手はリオ五輪の前年に自転車で転倒し、右肘を骨折。

 

奇跡的な回復力でオリンピックに出場し、金・銀・銅メダルを獲得しますが、その後に受けた複数の回復手術ではいずれも完治せず、一人でネクタイも結べないほど腕の可動域が制限されました。

 

次第に自分の泳ぎを見失いモチベーションも落ちる中、それでも必死に過酷な練習を自らに課し続けた結果、肝臓を患い入院。

 

「練習どころか、動いたら死ぬ」と絶対安静を医師から通告されました。

 

肉体的にも精神的にも復調がなかなか見込めぬ中、去年3月には遂に休養を決断。

 

海外での一人暮らしや結婚などを経験した後、昨年レースに復帰しました。

 

徐々にではありますが、暗く長いトンネルの先に光が見え始めた昨年11月には、久々に

 

「死ぬ気でがんばります。」

 

のメールが(いや、死ぬ気でなんて頑張らないで欲しいんですが・・・ホントに)。

 

さらに今年始めには第一子が誕生、8月に届いたメールでは

 

「新しく毎日を一歩一歩歩んでいけたらと思っています。」

 

という新生・萩野公介らしい清々しい言葉が綴られていました。

 

そして、10月から先月にかけてハンガリーで行われた競泳の国際リーグでは、3週間余りの間に5回出場した400メートル個人メドレーで、いずれも1着と安定した強さを見せ、遂に“世界の萩野”が戻って来ました!

 

身も心も生まれ変わった萩野公介選手のこれからの人生に、どうか幸あれと心から祈っています。

 

 

 

 

 

 

一方の朝山広憲選手は、都市対抗野球大会の決勝戦でルーキーながら先発を任され、8回3安打1失点と安定した好投でチーム優勝に貢献、大会新人賞にあたる若獅子賞を受賞しました。

 

朝山選手は作新学院では、1年生の夏から主力投手としてチームの甲子園出場に貢献、3年連続で夏の甲子園大会に出場し、2015年にはエースナンバーを背負いました。

 

 

父・憲重さんが、桑田・清原選手を擁するPL学園高校の主将として全国制覇を成し遂げ、その後も社会人野球や解説者として活躍されたこともあり、朝山選手は作新に入学した当初から注目度が高く、またその期待に違わぬ抜群の投球センスと打力、何より猛禽類のような気魄を持った選手でした。

 

ただ肩を痛め、エースとして甲子園のマウンドに立った際は本調子とは言えず、納得の行く投球はできなかったと記憶しています。

 

法政大学に進学したものの、痛めた右肘が悪化し手術を受け、大学野球でやっと投手デビューできたのは3年春のことでした。

 

ただ、4年生の秋には4勝をあげ、防御率0.68で最優秀防御率のタイトルにも輝きました。

 

そして今春、お父様も活躍した「ホンダ」に入社。

 

どうしているかなぁと思っていたら、なんと都市対抗野球大会にデビューさせていただいた上、ルーキーにもかかわらず決勝戦で先発を任されたではありませんか。

 

嬉しいという気持ちを通り越して、もうビックリ😵

 

NHKの生中継を見ながら、(あぁ、きっと今日の夕食は喉を通らない・・・)と思っていたところ、あにはからんや、実に見事な制球で新人とは思えぬ落ち着いた投球ぶり。

 

高校時代は、好調な時は目が覚めるような切れ味の良い強気の投球がビシビシ決まるのですが、崩れ出すとなかなか立て直せず、そのまま自滅してしまう・・・という投球が多かったはずなのに、まったく変わっていました!

 

技術力や体力の向上はもちろんですが、何よりも精神的に強くなり、人間的に大きく成長したことを強く感じさせてくれる投球でした。

 

実は朝山選手、その鋭い面差しとは対照的に、性格は繊細で乙女な一面も。

 

野球のDNAはお父様譲りですが、性格は優しくて心配性なお母様似だとか。

 

高校時代、お父様から「自分を超えて行け」という言葉を贈られた朝山選手。

 

昨日の優勝インタビューでは、「これで父を超えたとは思いませんが、来年もう一回優勝して超えたと思えるようにしたい」と語っていました。

 

その眼差しの先には、更なる高みがしっかりと映っているようでした。