疫病鎮静を祈願しての「祈りの記憶」、締めくくりは碓氷峠頂上に佇む 「熊野皇大神社」です。

以前、この神社にある御神木の写真を見た瞬間、心の隅々まで光が降り注いで沁みわたり、魂が浄化されて行く特別な感慨を覚えたので、清め払いの必要な今こそ参詣すべきと思い立ちました。
 


 

実はこの神社お社の中央で、長野県と群馬県に分かれています。

単に県境に位置しているというだけでなく、宗教法人としても二つに分かれていて宮司さんも二人おられます。

境内までの階段や山門は同じですが、受付も社務所も別々で、もちろん拝受する御札・御守なども別々。

社務所がほぼ向かい合って建っているので、正直どちらかだけに伺うのは躊躇(ためら)われました。
 


 

さて、本題の御神木、樹齢850年の「シナの木」ですが、写真から発せられていた唯ならぬパワーは本物で、見上げた瞬間、魂を射抜かれたように言葉を失い、立ち尽くし、涙がこみ上げて来ました。
 


 

  

これまで様々な御神木を前にして来ましたが、こんなにも清浄で神々しく美しい樹は初めてで、しばらく見上げた後もその場から立ち去り難く、周囲を何度も回っては()めつ(すが)めつし、その度に溜め息をついてまた見上げる、をしばらく繰り返していました。

そうこうしていると、「奥宮」へ続く細い山道が目に入ったので、登山靴ではないものの思い切って登ることにしました。

片道20分という表示よりは、蒸し暑さもあって少々時間がかかりましたが、なんとか無事に到着し、奥宮にて疫病鎮静の御祈願を行うことができました。
 


 

奥宮から下山し、もう一度御神木を見上げると、後方から差し込む光が陽が傾き翳ったせいか、先ほど感じた何者をも圧するような神々しさは消え、その代わり観る者すべてを包み込んでくれるような温かさを感じました。 

 


 

思えば、コロナも異常気象も、もともと人間が大自然の摂理に背き、宇宙の均衡を破って森を侵したことにより、起きてしまったこと。

もし人が神に疫病鎮静を祈るのであれば、まずはその前に「大自然の摂理を尊重し、森や海を侵すことを止めよ」と、山の神、海の神々に、優しくも厳かに諭されたかのような、この夏の祈りの時でありました。