今日は戦後75年となる終戦記念日。
今、戦争の記憶の風化が水面下で、急速に加速しています。
先日もNHKの「クローズアップ現代+」で、各地の平和資料館が担い手や資金不足により相次いで閉鎖を余儀なくされ、保管先の見つからぬ戦争遺品がネットに流出、それを若者が戦争ごっこの道具として使っているという現実を報じていました。
戦争で犠牲となった方々やその家族がどのような思いで悲惨な日々を生き、そして死んでいったのかー戦争の惨劇をすべての人々が自身のこととして受け留め記憶して行く必要性が、かくも軽んじられて行く昨今の風潮は、教育現場での「平和学習」の取り組みが減退した結果でもあり、責任を痛感しています。
教育に携わる者として考えるのですが、もし今の日本の政府や自治体に、戦争遺品の保管や展示を続ける意志や財源がなく、大量の大切な遺品が倉庫に積み上げられ、あるいは廃棄を余儀なくされるような事態となってしまうのなら、全国の小・中・高等学校で縁のある戦争遺品を保管し、展示してはどうでしょうか。
学校の各建屋には、廊下などにガラスケースに入った展示スペースが大抵何かしらあって、毎日のように子どもたちはそこを覗きながら育ちます。
年に一度というより、一生に数回だけ大規模な平和資料館を訪ねること以上に、日々生活している自分たちの学び舎に戦争遺品が展示されていたら、子どもたちは戦争の悲惨さを肌身で感じながら成長して行くことができると思います。
もちろん、学校現場できちんと管理・保管ができるのかとか、その遺品についての解説をどうするかなどといった課題は数多くあると思いますが、全国の学校はそれぞれの地域に多々ありますので、相当な数の戦争遺品が「生きた平和学習」の使者となって、子どもたちを導いてくれることと思います。
今年はコロナの影響で、全国戦没者追悼式も規模の縮小を余儀なくされ、各地の式典でも同様に、戦争体験者の多くは出席を見合わせざるを得ず、その規模はどこも最小となってしまいました。
戦争体験者の方々の高齢化も一層進み、戦争の記憶の継承への危機感が募ります。
作新学院でも例年であれば、修学旅行先の沖縄で実施する平和学習が、コロナのため中止となってしまいました。
ただコロナ禍だからこそ、「リモート」を利用して戦争体験者から話を伺う「語り部の会」も各地で実施され、世界ともつながることができるなど規模も飛躍的に広がったそうです。
高齢で遠方の会場まで移動ができない語り部の方々にも、ご自宅から参加していただけるということで、「リモート」の活用により平和学習にも新たな可能性が開かれています。
本学も終戦記念日に先立ち、先月の終業式に児童文学者で教育評論家の漆原智良さんを学院にお招きし、東京大空襲により戦災孤児となられた戦争体験を、生徒たちの前で語っていただきました。
75回目の終戦記念日に、永遠に“戦後”が続くことを心底から祈るとともに、語り継ぎ伝え続ける責任をあらためて胸に刻みたいと思います。