夕暮れ前、束の間あらわれた
梅雨の晴れ間。
澄み切った大気と
目に染むような空の碧さに、
沈んでいた心の澱が浄められ
重力が少しだけ軽くなった気がした。
“天からの贈物”と
誰しもが人智を超えた何かに
感謝を捧げたくなるこの瞬間も、
同じ空の下
降り止まぬ豪雨は
各地を襲う。
あぁ、このような青空を
彼の地にこそ届けられたらと
心から祈る。
でも、その同じ心の何処かに、
この天空の煌めきが
明日も明後日も
わが頭上で輝き続けてくれたらと
願う自分もいて、
その身勝手さに
また胸が塞ぐ
そんな脳裏に
『ゲド戦記』の一節がよぎる。
魔法使いの長が
主人公のゲドを教え諭す台詞だ。
「東海域に穏やかな天気をもたらせば、
それと気づかず、
西海域に嵐と破壊を呼ぶことにも
なりかねないのだ。」
人々の願望が暴走し
欲望に変わった時、
宇宙の均衡が崩れ出し
悲劇が始まる。
1960年代後半に出版された
この奇跡のような物語には、
気候変動だけでなく
まるで今の世界を予知するような言葉が
随所に描かれている。
「…疫病は大規模なバランス、
つまり宇宙の均衡を維持しようとする、
ひとつの運動なんだ。…」
天の眼差しで見つめ直せば、
人間とウィルス
どちらが地球にとって
理にかなった存在であるかは
一目瞭然だ。
生命の循環を妨げ
宇宙の均衡を破壊する存在となった
私たち人類。
再び“宇宙の均衡”が取り戻される
その日まで、
天の摂理にしたがい
ウィルスや天災によって
駆逐され淘汰され続けるのは
必定だろう。
新しい生活様式の本質とは
きっとマスクや手洗いといった
その場しのぎの防衛策じゃなくて、
今を成り立たせてくれている
様々な物事に思いを馳せ、
それらに対する“感謝”と
それらを守るための“慎み”を
忘れないで
生きることではないだろうか。
突き抜けるように
高く青い夕空を見上げると、
『ゲド戦記』冒頭に掲げられた
高邁なるあの詩が心に浮かんだ。
ことばは沈黙に
光は闇に
生は死の中にこそあるものなれ
飛翔せるタカの
虚空にこそ輝ける如くに
夕焼けを帯び始めた空は
いよいよ金色に輝き出し、
神々しい言の葉のひとつ一つが
五体の隅々まで
しみわたって行くようだった。