消費増引上げの再延期が安倍総理から表明された6月1日、第190通常国会は閉幕してしまった。

今国会で、政府が新たに提出した法案の成立はわずか50本。戦後4番目の少なさだ。TPP承認案や雇用の規制改革を含む労働基準法改正案など、成長戦略・構造改革の要となる重要法案の成立も見送られた。

そんな通常国会を一日も延長することなく閉会しながら、5時間弱後に行われたのが消費増税再延期の首相表明である。

国の命運を左右するのみならず、世界経済にも影響を与えかねない日本の増税再延期という最重要課題が、国会審議どころか、与党内での調整すら行われないまま決定されてしまった。

とは言え、最大野党の民進党は遂に共産党と共闘、首相表明に先んじて増税再延期、赤字国債の追加発行を標榜した。

すべての政党が、次の選挙しか見えない「視野狭窄」と「思考停止」に陥ってしまった日本。

財政再建の必要性や「税と社会保障の一体改革」の重要性に鑑みて、今回の消費増税再延期に異議を唱える国会議員がいなかったわけではない。しかし衆参同時選挙をチラつかせる安倍総理の前に、そうした声は与野党ともに封殺された。

実は自民党は、かつてはその名の通り「自由」で「民主」的な政党だった。
信じてくれる人があまりいないのが残念だが、少なくとも、私が国会議員として所属していた頃までの自民党はそうだった。

政務調査会の各会議では、新人議員とベテランの大臣・総理経験者が、まったく対等・互角に侃侃諤諤と議論することができた。党所属議員なら原則として誰でも議論に参加でき、正確なデータに基づいた論旨明快な主張は、発言者のキャリアを問わず尊重され政策に反映された。

しかし、そうした自由闊達な自民・政調の空気が、小泉政権の誕生でガラッと変わった。

「自民党をぶっ壊す」という小泉総理の掛け声とともに、政策決定の舞台は自民・政調から官邸という密室に移行し、自民党本部で開催される膨大な数に及ぶ政務調査会の各会議は、単なるガス抜きの場へと変貌していった。巨大には過ぎるがそれなりに豊かな多様性と甲論乙駁の民主主義を許容していた、日本で唯一最大の政策シンクタンク=自民党・政務調査会は、事実上その命を失った。

現在の自民・政調には、稲田朋美政務調査会長が主宰する財政再建特命委員会という会があるそうだ。もちろん、税制調査会も存在する。自民・税調と言えば、かつては時の総理総裁でも手出しができないほどの絶対的権威を有し、長く日本の税制を牛耳ってきた。

しかし、そうした会議で増税延期が議論されることは最後までなかった。

自民党が、かつての自由で民主的な政党から、「官邸が決めた以上、何もできない」と税調幹部までがだんまりを決め込む独裁的な政党に変わり果ててしまったとしても、健全な野党が存在すれば日本はまだ救われる。

しかし、現実はどうだろう。

かつて、自民党内でも原理主義者と評されるほど堅物、つまり堅実であったはずの岡田克也氏が、先進国中最悪の財政危機の渦中で、民進党代表として増税再延期と赤字国債の発行を平然と唱えるとは。

しかも岡田代表は、2012年に民主・自民・公明の3党で合意した「社会保障と税の一体改革」に、野田佳彦前首相と共に取り組んだ中心的政治家だ。

そして、その岡田代表に増税再延期を促したのが、かつて橋本龍太郎総理の政務秘書官を務め、総理の側近中の側近として構造改革・行財政改革を支えた江田憲司民進党代表代行なのだ。

岡田氏や江田氏とは、私も国会議員時代、膝を交えて真剣に政策を語り合った。元通産官僚である二人はタイプは違えど、きわめて鋭利な頭脳を持った志の高い人物と評価していた。

しかし、人は変われば変わるものだ。

高い役職に就き選挙で追い込まれると、政治家としての自己を自己たらしめているはずの志も、矜持も、アイデンティティも、何もかもをかなぐり捨ててしまうようだ。

野田佳彦前首相は2012年に解散を発表した記者会見で、「民主党は次の選挙より次の世代を考えた候補者が揃います」と述べたはずだが、そんなことはとうの昔に忘れてしまったのだろうか。

与党も野党も、ただ次の選挙での生き残りだけを求めて大衆に迎合し、国の借金だけで1000兆円を超えるという財政事情そっちのけで、湯水のように血税をばらまく話ばかりをする。

そのすべてのツケは一円残らず、若者や子どもたちの世代に更なる借金となって重くのしかかる。そのことに有権者は気づいていないとでも、政治家たちは思っているのだろうか。

次世代の未来を食いつぶしながら平気な顔をして生きていけるほど、残念ながら私の神経は太くも鈍くもできていない。

国民は置き去りにされ、次世代は見捨てられたまま、有権者として選択肢のない参院選が6月22日公示される。