ヴァイキングというとどんな姿を思い浮かべるでしょうか。昔のヨーロッパの乱暴な海賊、恐ろしい略奪者。はじめに浮かぶのはそんな姿かもしれません。


ヴァイキングたちがそのような行いをしたことは、確かに記録に残されています。中でも有名なのはヴァイキング時代の始まりとされる793年、イングランドのリンデスファーン修道院がヴァイキングによって襲撃された事件です。


前触れなく海辺に姿を現す船団と武器を携えた戦士たち、上陸しては修道院や村を焼き金品を略奪するさまは、とても恐ろしいものだったでしょう。しかし実際には、そのような略奪遠征はヴァイキングのいち側面でしかありませんでした。



では、ヴァイキングとはいったいどのような人たちだったのでしょうか。


今から約1000年前の北欧の民族が、現代ではヴァイキングと呼ばれています。今の北欧人の祖先にあたる人たちです。ヴァイキングの故郷といえば、スカンジナヴィアのデンマーク、ノルウェー、スウェーデン、それと入植したアイスランドになります。8世紀から11世紀までを、ヴァイキング時代といいます。


海賊の印象が強いですが、故郷では自分の農場を経営する農民 "ボーンディ" が主体となっていた民族だと考えられています。繁栄した地域では小さな村や集落になり、そうでない地域では農場同士は離れていて独立して営まれていました。



故郷において多くのヴァイキングたちは、牧畜、農耕、漁業を行って農民として暮らしていました。農民といっても農場経営の他にも木工や鍛治や戦いまで、分業ではなく色々なことができたようです。



高い造船技術を持っていたヴァイキングは、海の外に色々な可能性を求めて遠征に出かけました。彼らは遠征中は、夜になると船を岸につけて、テントを張ってキャンプしたようです。


下の写真は私たちが現代で行っているヴァイキングキャンプのようすですが、このような鍋や吊り下げるトライポッドは、当時は遠征先でも使われていたと考えられています。



海外においてヴァイキングは、故郷の特産品を持ち込む交易者であり、アメリカ大陸やカスピ海まで至る探検家であり、異国の皇帝に勤務する傭兵であり、海辺の村や修道院を襲う略奪者でもありました。


それは人や場所や時代によっても違っていたと思います。平和的な姿もあれば、実力を行使する姿もありました。



ヴァイキングの語源には色々な説がありますが、当時は略奪遠征のことを "ヴァイキングに出かける" と言っていたようです。

ヴァイキング自身が残した当時の史料は少なく、なぜ彼らがこのような遠征を行ったのか、はっきりしていません。ヴァイキングの多くは農場を経営する農民だったので、略奪遠征は農場経営を補充する行いだったのではないかと言われています。


ヴァイキングは本業として海賊だったのではなく、むしろ海賊行為が生活の中心になっているような人は彼らの中でも異質であり、あまり良い印象ではなかったようです。



時代が進んでいくにつれて、ヴァイキングの略奪遠征は大規模な軍事遠征へと発展しました。ヴァイキングの故郷スカンジナヴィアには、徐々に国家ができるようになります。

約300年続いたヴァイキングの遠征は、各地の文化と混ざり合いヨーロッパの国々に影響を与えました。


1000年前のヴァイキングという民族。

故郷での暮らし、海外での活動、手工芸、精神、戦い、色々な側面に目を向けてみると、彼らの本当の姿が見えてくるように思います。


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