~素晴らしき人形アニメーション②~ | 自炊・電子書籍化応援ブログ

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 前回、チェコの人形アニメーション作家の巨匠、イジー・トルンカについて書きましたが、今回は日本を代表する人形アニメーション作家:川本喜八郎氏について書きたいと思います

…僕が川本さんを知ったのは、NHKの人形劇{三国志}の人形制作者としてでした。
それゆえ、最初は川本喜八郎氏は、同じNHKの人形劇{新・八犬伝}の人形制作者だった辻村ジュサブロー氏同様の人形匠だと思っていたのです。
 
 
ところがある時、やはりNHKで放送された人形アニメーション{不射之射}で脚本・演出として川本氏の名前がクレジットされていたことで、「あぁ~、この人はアニメーション作家なんだぁ~ 」ということを初めて知ったのです

興味があると人間は知りたくなるもの………。
早速、ウィキペディア等で{川本喜八郎}氏を検索っ

すると次のようなことが分りました。
…旧制横浜高等工業学校(現・横浜国立大学:工学部)建築学科卒業
1946年、東宝撮影所美術部に入社。
山本薩夫・亀井文夫:共同監督「戦争と平和」や五所平之監督「今ひとたび」などに美術スタッフとして参加、その後松山崇の誘いで「アサヒグラフ」「玉石集」等の雑誌・書籍での人形による社会風刺写真に関わり、初めてプロとして人形制作を手がけます。
 
1950年、谷口千吉監督「暁の脱走」を最後に東宝を解雇、これをきっかけにフリーの人形作家となります。
そして1951年、アサヒビールのキャラクター{ほろにが君}や三ツ矢サイダーの{三ツ矢嬢}の人形を制作し、ポスターなどに使用されます。

こうして人形制作者として再出発した川本氏ですが、この頃イジー・トルンカ作品(皇帝の鶯)に出会い、それがもとで人形アニメーションにのめり込んでいくのです。
…やがてそう時を待たずして川本氏は仲間と共に「人形芸術プロダクション(NGプロ)」を立ち上げ、日本で初めての人形アニメーションとされる、企業PR映画{ほろにが君の魔術師}や{ビールむかしむかし}を制作します。
 
正直、僕ら世代が川本氏制作の人形アニメーションを記憶するのは、たぶんテレビ黎明期のCM{ミツワ石鹸}やNHKの{魔法のじゅうたん}あたりがギリでしょう。
…まぁ、それはさておき1962年になると川本氏は自費でチェコスロバキアに渡り、イジー・トルンカ氏に師事をします。
 
帰国後は岡本忠成氏と合同で作品上映会「パペット・アニメーショウ」を開催したり(年1回・第6回まで開催された)、皆さんも御存じのNHK人形劇{三国志}の人形美術を担当したりと精力的に活動をします。
 
 
2007年・3月25日には長野県飯田市に「川本喜八郎人形美術館」がオープン、1995年には勲四等旭日小受賞。
また翌年1996年からは肺炎で死去する2010年までの5年間「日本アニメーション協会名誉会長」を務めます。 

……少し長くなりましたが、川本喜八郎氏の足跡をたどってみて、思ったことは、彼は間違いなく日本に於ける人形アニメーションの魅力と普及に尽力した大変な功労者であるということです。

今日では人形作家(フィギュアの造形作家も含めて)は意外と知られる存在ですが、彼・川本氏が活動を開始したころには相当マイノリティーな分野・存在だったことでしょう。
…また今日でもアニメに関わる人たちはあまり良い経済事情ではありませんが、川本氏が活動していた初期などは、さらに大変なことだったでしょう…………。

そう思うと‘川本喜八郎‘という1人の人形作家、アニメーション製作者の凄さと素晴らしさがわかるというものですネ

………と、いうことで2回にまたがり{人形アニメーション}について書いてきましたが、皆さんいかがだったでしょうか
もし、興味と関心を持たれましたならば、川本氏やイジー・トルンカ氏の作品に触れてみてはどうでしょーーー。

                                     おしまい