参議院選挙が、早くも始まっていて、20日には投開票だという。
『期日前投票』をする人も多いし、(正直言って)評判があまり良くない『石破政権の命運』もそろそろ尽きようとしているのかもしれない。
しかし、私は、前から書いているように、石破茂という首相は、自民党を中心とする連立政権としては、マシなほうだと思っている。
『烏合の衆』であって、それぞれ『おいしいことばかり』を主張するのを最優先している多数の『野党』をたばねての『連立政権』が、現下の国際情勢のもと、『日本という国家』を率いるのは、『不可能に近いこと』だろう。
もっとも、『参院での多数派を形成』して、単に『スパイス的な役割』をはたしたいだけで、国家の運営は、(石破君を引き継ぐ)自民党の誰かにお願いしたい(昔の『村山富市政権』のように、自民党が、他の政党出身者を『シャッポとしてかつぐ』という形態もありうるだろうが…)というのが本音なのかもしれないけれど…。
(01)苦悶しつつある石破首相
どちらにしても、石破政権の受けが悪く、内閣支持率という点で見ると、『厳しい状態』にあることは間違いがない。
なぜ、そうなるのか?
ズバリ、石破茂君が、『老いた政治家』過ぎることが一つの要因であろう。
石破君が、今回、『首相のタマ』として担ぎ出されたのは、『安倍長期政権』のもとで、彼が唯一の『党内野党』的な存在で、そうであるがゆえに、一部の国民(安倍首相が嫌いな人々で、どちらかというと高齢者が中心であろう)の間で、『不思議な<推し>の機運』がずっと続いていたことが、最大の『セールスポイント』だった。
だが、実際は、その間(相当、長い期間であったはずだ)、石破氏は『党内では、いじめられ、見放され(ご本人自身も)、もう引退してもいいや、くらいの世捨て人?的な存在』であったのだろう。
自民党は、こういう事態になると極めて、『柔軟?』というか調子がいいから、この『忘れられかけた政治家、引退寸前の老議員』を『馬子にも衣装』『最期に花を咲かせ?』と言わんばかりに、飾り立て、にわかに『日本国総理大臣』に仕立て上げてしまった。
(02)漢語大好きの石破君
しかし、最近のように『雨後の竹の子』のように『新党』とか『新党に近い、急速に売り出し中の小政党』がぼんぼん出てきて、しかもどれもが、『比較的若くて、威勢のいい党首』を擁し、『キャッチー』な言葉で、若い世代(これまであまり投票などしたことのなかったような選挙民)のハートをつかみ、その結果、これまで考えれらなかったような、『投票率の上昇』(急上昇)という現象が起きると、いろいろ不都合な点が目立つようになってきた。
第一は、石破君が、『老人過ぎる』という点だ。
しかも、実年齢は、(1957年生まれの)68歳に過ぎない(?)のだが、この人は、『本を読むのが趣味』で、しかも昔の言葉遣いの本ばかり読んでいるみたいだ。
語る言葉が、『侃々諤々(かんかんがくがく)』とか、『自由闊達(じゆうかったつ)』等々、いわゆる漢語みたいなのが大好きなのである。
これらは『若い世代』には全く響かない(ように思えるような)言葉ばかりである。
聞いている人の中には、石破茂というのは、『江戸時代?の人なのか』と勘違いする人がいたとしてもおかしくない。
日本という国は、英語などを珍重したり、逆に漢語を珍重したりと、周期的に大きく変動するので、石破茂というような『漢語大好き人間』がいる世代が存在しているのも、あながち不思議でもないのだが、いずれにしても、石破の好きな『漢語』というのは、今、ほとんどはやらない『博物館のなかの言葉』みたいなものである。
こんな言葉遣いの『総理大臣』が国民受けのよい言葉を発するのは、極めて困難だろう。
(03)ムキになる男、屁理屈にこだわる男
しかも、石破君は、妙な『屁理屈にこだわる』ところがある。
最近の米価に関する議論を聞いていると、彼は盛んに、『コメは価格弾力性が低いという特質がある』、そのため『米価は上昇や下落をしやすいという特性』があると主張していた。
細かい議論は覚えていないし、ネットで調べてのすぐには出てこない。
しかし、石破君は、『コメの価格弾力性についてのこのような特徴は、常識』みたいな言い方をしていて、『学校で習ったでしょう』といった表現すらしていたと記憶する。
しかし、(私の見方では)『価格弾力性が低い、小さい』といっても、そのグラフの形状には、種々のものがありうるし、それぞれの形状によって、『原因や対処法』は異なるだろう。
石破君がどこで、聞いたこと、あるいは根拠とするデータを入手したのかわからないが、どうも石破君には、妙な権威主義的なところがあって、ある話を聞くと、それを生半可に理解して、それゆえ、他人に対して丁寧に、わかりやすく説明することができない。
逆に、『このような理論、学説があるのを知らないのか』と言わんばかりの『上から目線』の開き直り方をする癖があるように見受けられる。(自分にあまり自信がない人の特徴なのかもしれない。)
これは、石破君自身が本当の意味で、『専門家』ではなく、『受け売りの理論』をもとにしているせいなのかもしれない。
ともかく、(先に述べたように)古臭い漢語などを好んで、『ていねいに説明する』ことも『理解を求める』ことも出来ないのであれば、『面倒くさい、爺さん』扱いをされるのはやむを得ないだろう。
(04)トランプ関税との対応の場面
私は、このように否定的なことばかりを書いているが、彼の『屁理屈好き?』は悪いことだけではない。
例えば、日本の国内の議論というのは、妙なところがあって、たしか『アベノミクス全盛の時代』においては、アベノミクスによって、長期間の『デフレ傾向』は克服されて、日本経済は再び、『好循環の(少なくとも)入り口』くらいまではたどり着いていたという宣伝の仕方がなされていたと思う。
ところがいつの間にか、『失われた30年?』などという言葉が、一般化していて、(本来)『安倍のシンパであったはずの政治家や、宣伝雑誌』を含めて、『日本は長期のゼロ成長から立ち直れずにいる』まさに『失われた30年』の渦中だというフレーズが一般化してしまっている。
これはあきらかに、(どこかで)言うことが変わってしまった(一種の)『総詐欺師の時代?』に今や、突入しているという気がするが、こういうことは(例えば)『れいわ新選組』も『共産党』もどこも問題にしていなさそうだ。
(これって、『おかしくありませんか?』。日本の特徴って言われれば、それまでですけど。)
そのなかで、石破氏は、あまりこうした『みんなが乗っていく話』には、にわかに同調することは比較的少ないような印象を受ける。
なかでも、『トランプの関税戦争』に対する向き合い方は、(よくよく聞いていると)立憲民主党などを含めて、半分以上、トランプを礼賛しながら、『なぜ、トランプとうまく交渉できないのか』と石破内閣に、トランプへの同調をせまるような追及の仕方をしているおかしな傾向が、随所にみられる。
このような状況に対しては、私は、『石破の理屈好き』がむしろ、プラスに働いている面があるのではないか?と感じている。
今の、『石破を引きずりおろせ』という熱気?に包まれた『世論?』のなかでは、このような見解は受け入れられないだろうが、世の中、『玉木雄一郎の国民民主党』や、『神谷代表の参政党』、『山本太郎のれいわ新選組』、『田村智子の共産党』のようなわかりやすい主張の政党ばかりでは、いずれ政権を運営する側に彼らが回れば、『言っていることと、出来うることとが大いに違っている』ということが、実感される事態になっていくことだろう。
(ほとんどの政党が、そのような『責任ある立場』に立たされる心配は、実際上、ほとんどないのだけど…。)
いずれにしても、今や、『政治は面白い娯楽』になりつつあり、これまで投票など行ったことのなかった、世代や人々の『にわかの参加』によって、投票率が上昇することは、一見、悪いことではない。
しかし、その結果、天気でいえば『線状降水帯の発生』のようなことが、いたるところで発生し、『異常現象が日常になっていくこと』も避けられないだろう。
こうした『民主主義のリスク』を踏まえたうえで、(どうしても)はやしたてたい(商売上の理由で、何かはやしててていないと、商売が成り立たないという場合もあることだろう)というのなら、そうすべきである。