さて、だいぶ引っ張ってしまったが、いよいよ17日の『バカ騒ぎ』(失礼)のハイライトである。
たまプラーザ駅頭は、大群衆がどこからか、湧いてきたような感じで、こんな有様になった。
(02)
正直、こんなにここに大勢の人が集まるのを見たことがなかった(ような気がする。とは言え、過去のことは忘れてしまっているのかもしれない)。
もっとも、これは『かつてなく狭い場所』を人為的に『人口密度過剰』の空間に、一時的にしてしまっているのであり、ある種の『演出』の結果であることを、忘れてはならないだろう。
この日は、午後6時?から街頭演説がされるというような事前の告知がなされていたので、どうせ、その前に早めに現場にいないと、どこに位置したら良いのか判断がつかないと思って、あらかじめ待機していた。
ただし、高市氏らが、どこで演説するのか正確に予想がつかなかった。
午前中の岸田氏らの演説の場所は、『向かい側のビルから狙おうと思えば狙える…』『警備を完全に固めるのは、難しい』といった判断から忌避されたようである。
(その分、高市氏のほうが、『狙う輩が多そうだ』という判断もあるのだろうか…。)
また、岸田氏の演説の時は、音声が乱れるときとか、電波の中継がうまく行かない時もあったようで、そうした判断からも、『場所を替えたほうが良い』ということになったのだろうか?
(その辺の事情は、当然ながらわからない。)
その結果、高市氏らは、こういった狭い、『うなぎの寝床』みたいな場所で演説することとなった。
この一角には、『ファンの席』みたいなコーナーが設けられ、そこに収容されると、どうやら『良く見える』だけでなく、演説のあとに、『高市氏とのハイタッチなり、グータッチ』が出来るという期待を、参加者たちに与えていたようである。
ここに陣取るために、一定の時間になると、『並んでいた人たち』が順次、そこに入れるようになった模様だ。
(いちおう、荷物の簡単な検査みたいなことはやっていたようだが、ロシアとか中国並みに、厳重なチェックなのかどうかは、わからない。)
私は、駅の改札口のそばのベンチに腰掛けて、人々の様子を見ていたのだが、その集まり具合がすごかった。
まるで、商業モールの年に一度の、『最大限のセール』の時か何かのように、人がどんどん列をなしていく。
やはり、『高市ファン』というのは、近所の『有隣堂書店』でその手の本を買い求める人たち(ここは、何代目かの創業者系の社長が、『安倍教の信者』プラス<何でも儲かれば良い?という考えのようで>『幸福の科学』『大川隆法』その他、あまたの『陰謀論』とか『信じれば救われる』系の本を多数、並べているのだが…そこにいそいそと集まる人たちと共通のにおいを感じた。
(なお、この書店、最近では、『本が売れない』ということで、そのスペースを大幅に圧縮して、『店舗内のカフェ』とか『文具、生活雑貨』など本や雑誌でないスペースの比率を高めている。そのうち、ますます、圧縮の一途をたどりそうな気もしている。
私は、ここは『倉庫』みたいなもので、いちおう、ポイントなどでの実質の値引き率が高いので、結構、買うことが多い。書店としては、好きではない。)
どちらかというと、年配の夫婦が、一緒に『ひいきの芸能人』の舞台を見に来たときのように、ウキウキした雰囲気をたたえていた。
ただし、今回は、これまでと(少々)様子を異にしていた。
何と、中学生、高校生あたり(女子学生が多かったような印象だ)が、『日本初の女性首相が、今後、誕生か…』という期待を抱いて、『流行りもの見たさ』に押しかけてきている、という印象もあった。
(その辺は、例えば、アメリカでカマラ・ハリス氏に対して、『初の女性大統領』とか『初の黒人の女性大統領、あるいはアジア系の初の大統領』などいろいろな期待を寄せているようにも見える人々の様子と似ているところもあるのかもしれない。)
たしかに、母親が娘と一緒に来ているらしいというのも多かった。そういう娘のなかには、まだ選挙権もない人も多かったのかもしれない。
(全体的に、子供というのは、『無心』のようにも見えるが、過去の歴史のことをほとんど知らず、『騙されやすい』というのも、『子供』や『若者』の特徴でもある。
それは、私自身、学生時代にいかに、自分自身も周囲も、『あきれた熱狂』のなかで判断力を失っていったかを考えると、『反省の念』を含めて思い出される。)
『選挙権もない』ということで言えば、そもそも、今回の『高市イベント』には、相当、遠くから来ている人たちも多そうな雰囲気を感じた。
だから、正確にいうと、(例えば)三谷英弘氏に対して、『投票権』を持っている人たちがどのくらいいたのかも、怪しいという気がする。
(それに、高市ファンの人たちのなかには、『比例区』においては、『自民党』でも、ましてや『公明党』でもなく、百田尚樹氏らの起こした『日本保守党』に投票するつもり、という人もかなり多そうな雰囲気も感じた。有隣堂では、高市氏や百田尚樹の本や雑誌がいろいろ売れているようだった。)
全体に、この日の『高市熱狂舞台』には、どこか嘘っぽさが漂っていた。
わざと狭く設定したとも見えるような空間で、『演技』は行われた。
一目見たいという、中学生、高校生あたりを含めた群衆が、周囲の少し高めのバルコニーみたいなところから見下ろしている。
ほとんど、全員がスマホで、静止画なり動画を撮るのに夢中である。
彼らは、自分が、『歴史の一部に参加している』という気分を味わいたかったのであろう。
なお、ナマ高市というのは、想像以上に『おしゃべり』であった。
また、なぜか、演説をしながら、かなり身体を動かす。
全身を揺さぶりながら、パッションと言葉を放出するという感じだった。
その後の報道を見ると、この日、彼女は『靖国に参拝』したり、あるいは、『萩生田の応援演説』を行ったり、と忙しかったようである。
この日なのか、前日なのか、あの安倍昭恵夫人とも、一緒にどこかで演説(講演?)をしたとの報道もあった。
この日、彼女は、『安倍晋三元首相』とともにいる。そして、彼女の考える敵たち(恐らく、石破茂もその一人なのだろう)と戦っているという、終始、高揚した気分に包まれていたのかもしれない。
しかし、他方で、『妙な気分』がしてしまうのは、彼女の『経済安全保障論』はどうも、勉強で情報を塗り固めた『にわか勉強』の産物のような気がしてしまう。
そして、そもそも、『アメリカ帰り』『アメリカで議会の事務局などで、政治や民主主義を勉強してきた』というのがセールスポイントだったらしい彼女が、結局、アメリカの社会・経済システムに対して、何を感じているのか、よくわからないところがある。
さらに、同じ男性政治家と結婚、離婚、再婚を繰り返していて、今や、その人物は福井県で、自民党のバリバリの『金権・疑惑候補』と激戦を繰り広げているというのも、理解がしにくい。
それに、自分だけは、『夫婦別姓の仕組み』をさっさと利用してしまっているように見えるのも、よくわからない。
ともかく、高市早苗というのは、今や、(石破茂に抗して)自民党を右に割る?と言ったイメージで、一部の人たちに人気を博しているのだけど、本当のところは、何を考えているのか、『よくわからない人』でもある。
ともかく、高市早苗は、この日、最大限の『パフォーマンス』を繰り広げていたのは、間違いないだろう。
夕方の演説会のなかでは、高市氏あるいは、三谷英弘氏をほめあげて、『午前中に来たのは、前の総理大臣』『高市さんは、次の総理大臣』(石破氏が辞めることを期待しているようだ)、『三谷氏は、高市さんと波長があうので、次の総理秘書官』、そして、『将来は、三谷総理大臣の夢が広がる』などと勝手なことを言っている、支持者(県議や市議など)もいたようだ。
そういう『おべんちゃらの声』は、遠くから見ていた私の耳にも聞こえてきた。
たしかに、三谷氏は、『映画や動画などのコンテンツの著作権問題にも詳しい』『アメリカの法律の状態についても、よく勉強している』ということで、『日本の動画コンテンツをアメリカなどでも売り込む』というような案件で、高市氏とも協力、コラボしたことがあったらしい。
(そういえば、三谷氏というのも、かなり『おたくっぽい』らしいのも確かである。)
そのような『期待の延長』で、(どうやら、石破首相をクビにすることが前提になっているらしいが…)『将来は、三谷英弘が、総理大臣になってもらおう』と勝手な夢を、自民党の一部の県議や市議は、語っていた。
しかし、そうした声が、(例えば、石破茂を一挙に首相の座にかついでしまったのと同じ)『党利党略』というか『使い捨て、ポイ捨て路線』と同類であって、今度の総選挙においても、三谷氏が『小選挙区』で勝ち抜くことができなければ、そのうち、(50歳も過ぎて)『もはや、若さを売りにできない』ということで、また、別の候補をどこからか、自民党が担ぎ出してくることは、間違いがなさそうな気もしている。
だが、そもそも、この選挙で、(仮に自民党が大きく議席を減らした場合――大して減らさないだろうという話もあるが)高市早苗が、次の首相になることがあるのか、ないのか?
石破茂は、ポイ捨てに終わるのかどうなのか?
そういう意味では、たしかに(日本の『コップというか、井戸の中での争い』という側面も強いが、『義理、利権と人情の乱戦』という意味では、興味深い選挙ではある。
だが、果たして『投票率が上がるかどうか』についても、私は疑問を感じている。
こんなに、『連続ドラマの先行きを予想』するみたいに、いろんな情報が乱れていると、『どうせ、私一人が投票してもしなくても同じ』とか、『周りの人の誰も投票しないのに、私だけ投票すると、浮き上がってしまう』などと考えて、結局は、日本の投票率は、あまり上がらないのかなという気もしている。
私なんぞは、もし自分に『三票』があったら、そのうち、一票は『石破茂を少しは応援する』という意味合いでの票を投じてもいいかな、という気も少しはしているのだが…。しかし、石破茂は、あまりにも『転び過ぎてしまった』という気もしている。
そのような道をたどった政治家に対する戒めとしては、石破内閣が『きちんと敗北を遂げる』ということが、あるべき道のような気も他方では、している。
ともかく、彼は、国会の本会議での答弁というか、代表質問での演説の時も、あまりにも、『卑屈そうな表情』を自民党議員たちに浮かべていたのが、かなり『気持ちが悪かった』。
その辺を、きちんと説明がつかなければ、石破茂の『現役の政治家』としての、日々は、あまり残されていないのかもしれない。
本気で戦う気があれば、『自民党を分裂させてでも、自分の信念を貫く』くらいの決意が求められるだろう。
そのようなことを、求めるには、彼はあまりにも『ひ弱』であり、『理屈ばかり唱えたがる、ぼんぼんの世襲政治家』に過ぎなかったのかもしれない。
