~高市ファンが大集結した夕方の演説(『小選挙区』で勝ち抜きたい下心はミエミエ) 

 

神奈川8区の選挙情勢など、いろいろ前振りが長くなってしまった。

 

今回、私自身の見聞きしたこととして、レポートしたいのは、ここの自民党公認候補(三谷英弘氏)が10月17日に展開した、エゲツナイほどの選挙戦である。

彼らは、こんなことをやっていた。

 

 

 

こんな掲示物を彼らは掲げていた。

これは、前日の夕方、(東急・田園都市線の隣駅)、鷺沼(さぎぬま)駅のバス乗り場付近で、同じ陣営が行っていた宣伝戦の写真である。

(たまプラーザ駅でも、やっていたらしいが、そこではこうした『物証』は片付けていってしまったので、あえて鷺沼(さぎぬま)駅のものの写真を載せた。)

 

ただし、これを見た時、私は勘違いをしてしまっていた。

 

同じ時間帯に同時に、岸田と高市が、自民党の宣伝カーに並んで演説をやるのか、と思ってしまった。

ところが、実際は異なっていた。

よく見ると、彼らの来る時間帯には、大いなる時差が、存在した。

 

そして、(どういうわけなのか、よくわからないところも、あったが)彼らが演説をやった場所は、同じたまプラ―ザの駅頭でも、かなり位置が異なっていた。

 

その結果、(そもそも、演説の客層というか、対象者層もかなり違っていたようだが)全く異なる雰囲気の宣伝戦が、17日の午前と夕刻において繰り広げられることとなった。

 

 

 

 

これが、午前中、岸田前首相が登場した時の様子である。

このときは、公明党(三谷候補に対して、『推薦』?を出している)関係の支持者がかなり比率的には多かったようだ。

(もっとも、私が住んでいる団地内にも『顔見知り』の創価学会、公明党の支持者の夫婦がいる。彼らは何かと、夫婦一緒に行動する『仲良し』の中年というか、初老の夫婦である。私自身よりも、一回り以上、若い感じの人たちだ。)

 

しかし、彼らのどちらも、この日の動員者のなかに見かけなかったような気がしているので、それほど『目いっぱいの動員』はかけていなかったのかもしれない。

 

 

つまり、同じ日(10月17日)に二度もたまプラーザ駅頭で選挙演説が行われたのだが、午前中には、岸田前総理をメインの弁士として呼び、夕方には、今度は高市早苗氏をメインの弁士として再び、街頭演説をやるという、ご苦労さんなことをやっていた。

 

実は、この二人を同時に『呼ばない』ところにミソがあるようだ。

(最初、ここでの演説会の告知を街頭で見た時には、同時に岸田と高市を呼ぶのかと思って、『何という離れ業』とも思ったのだが、それはさすがに無理だったようである。)

 

また、この呼び方の一番のミソは、新総裁で新首相である『石破をどちらにしても呼ばない』という点にあったのかもしれない。

 

つまり、石破茂は、『総理大臣という神輿』に担がれた途端に、それまで(政治評論家風に)言ってきた事柄を、ことごとく反古にしてしまい、支持率も低下しているし、もはや『いつまで総理でいられるかわからない政治家』だから、『石破は無視して構わない』という見方を三谷陣営ではしているようだった。

(あるいは、自ら『石破降ろし』に走る気満々の人たちも、三谷陣営にはいるのかもしれない。)

 

 

この人は、国会の所信表明の際に、自民党席からも冷たい視線を送られていたようで、異様に与党の拍手も

応援も少なかった。

また、代表質問においては、野党からヤジと怒号の集中砲火を浴びていたが、それに対しても、与党からの応援はほとんどない。

それどころか、野党から(自らの総裁選のおりの考えを全く変えたかのような)態度豹変を攻撃されると、

何やら、『こびるような、卑屈?な追従笑い』の表情をうかべていたのが、印象的だった。

(これには、石破茂に期待していた人でも、がっかりした人が多かったことであろう。)

 

 

こちらが、午前中の様子を伝える写真。

重複するので、割愛する。

 

さすがに、安倍晋三元首相が、銃弾によって街頭での演説の途中に暗殺され、おまけにその後、岸田前首相も何度か、爆弾のようなものを投げつけられるといった事態があり、さらには、アメリカの大統領選で、トランプ氏への銃撃事件が相次いでいるということで、実は私などは(中国や、台湾の事情なども、それぞれ現地で見聞きしていたので=もちろん、中国では、『選挙などは実施されないが』=)日本の警備は、『ものすごく緩い』と感じてきたのが、本音の話である。

 

しかし、そうした『緩い警備』も変わってきたようだった。

 

その結果、安倍さんなどは、選挙民との『ふれあい』とか『ハイタッチ』を重視して、『警備陣泣かせ』の気ままな選挙戦を、過去においては展開してきたというのが、実情だったのだろうが、それも昔の話になりつつある。

 

 

いずれにしても、今回は、単なる朝の駅頭の通行人に対しても、『立ち止まらないでください』という規制がすごかった(これまでならば、何となく、どこか人のたまっているところに立ち止まれさえすれば、ある程度、まとまった演説を誰でも聞けたはずだった)。

 

では、選挙演説を聞きたい場合、どうすれば良いのかというと、主催者側が用意した一画に入れということのようであった。

 

しかし、それでは、『周りは支持者ばかり』であろうし、オマケに周囲から見ると、自分自身も『支持コーナー』に進んで入っていくような人物とみられてしまう。

 

逆に、そこにいて、少しでも、『演説内容に不満』あるいは『同意できない』という態度を見せたりすれば、『不審者』あるいは『スパイ扱い』されるかもしれない。

どちらにしても、面白くない扱いをされそうだ。

 

そこで、(午前中、岸田が来たときは)私は、ちょうど演説をやっていた場所の向かい側の、コーヒーショップのテラス席に座って(もちろん、コーヒーを注文した上だが…)演説を聞いた(見ることのほうは、岸田の前の人だかりのせいで、ほとんど見えなかった)。

 

この『聞く』という行為についても、私の周囲のテラス席にいるのは、『自民党』の応援の人ばかりのようで、明らかに雰囲気が違っている。やはり、あまり居心地はよくない。

 

最初に三谷英弘候補が、演説をしたのだが、相変わらずこの人は、演説が下手糞である(もちろん、これは私、個人の見解)。

 

 

いちおう、『弁護士』であるとか、『アメリカの大学を出ている』というのが売りのようだが、身体が大きい(失礼な表現ながら、ボディーガードには向いているのかもしれない)のと、(少し、『大谷っぽい』ところがあって、ベビーフェイスであることをのぞくと、あまり印象の残らない男である。

(ちなみに、応援者たちは、『野球は大谷、選挙はミタニ』などと通行人たちに向かって叫び続けていた。)

 

アメリカのある種の大学(大学院)などを出ていて、親が自衛隊の幹部であったりすると、比較的容易に、『司法試験』に受かることが出来たり、『弁護士資格』が取得できるというような抜け道でもあるのだろうか?と疑問に思ってしまったくらいである。

(私の知っている限りでは、『税理士資格』などには、税務署で勤務していた人とか、大学などで税法の教授をしていた人など、一定の人たちには、『通常の税理士試験』よりも、容易に税理士資格を取得できる、『抜け道』みたいなものが存在しているという話は、前から聞いているのだが…。)

 

 

今回、午前中の岸田前総理の演説を久しぶりに聞いて感じたのは、『この人も、やっぱり演説の下手な人だったな』ということである。

最近、石破クンの『評判の悪さ』を聞くにつれ、『今度の選挙で、自民党が予想=期待以上に、議席を減らしてしまった場合』に『石破クンをクビにする』という話も耳にする。

 

そして、その場合、『岸田氏が、再登板を狙っている』つまり、『石破の次は、再度、岸田だ』という話まであるらしい。

(岸田氏には、何となくそういったギラギラした雰囲気を感じる。)

 

だが、岸田の演説の下手さ加減を改めて聞いていると、それは無理だろうなという気がした。

(もちろん、背後で、『キングメーカー』として岸田が暗躍をする、という役回りはありうるのだろうが…。)

 

(これは昔の写真だが、改めて顔写真を載せておきたい。)

 

彼は、そもそも、総選挙で、候補者の応援演説をして回るというような経験が、これまで意外と少なかったのではなかろうか。

 

安倍元首相のことを思い出すと、『あの人は応援演説が大好きだった』という記憶が改めてわいてくる。

短いスピーチで、どのように候補者を褒めるか、そしてその場を盛り上げていくか、独自のノウハウと経験を持っていたようだ。

(ともかく、岸田氏にそれがないことは、はっきりした。候補者の名前すら、下手をすると間違えそうなくらいの勢いである。普段、国会等で『紙に書かれた原稿』ばかり読んでいるからだろう。)

 

 

こんなとりとめもない感想しか、私は抱かなかったのだが、それにしてもこの午前中の演説でも、(考えてみると)誰も、『石破首相』を褒めるような話はしていなかったという気がする(もしかしたら、公明党の演説者はしていたのかもしれないが…)。

 

つまり、『石破はダメ』(『石破が首相』であることはなるべく、この場では触れないようにしなければならない)というようなことを、この場にいる人たちの『共通の前提』にしながら、皆さん、演説をしていたという印象を受けた。

 

ここで最大級の話題だったことは、『岸田氏に2023年4月15日に、和歌山県の漁港で爆弾のようなもの(白い煙が立ち上がっている、銀色の筒状の物体)が、どこからか投げつけられた時に、三谷氏が、その爆弾様のものを、とっさに、サッカーボールのように蹴とばし返して、岸田氏の身を守った』とかいうような美談である。

 

この話題は、何度も繰り返された。

この時の『爆弾投げ入れ事件(殺人未遂事件?)』の12名の被害者のなかで、爆弾から『2番目に近い被害者』だったのが、三谷氏だということであった。

(この話は、三谷陣営が、以前、配布していた『漫画のページの多い<国政報告>』にも紹介されていた。)

 

 

いずれにしても、あまり盛り上がらない演説会だなという印象を受けながら、私は、この場を一旦、後にした。

 

ところが、夕方、再び同じ『たまプラーザ』駅頭を訪れたら、その大盛況ぶり、一大熱狂的キャンペーンを展開していたのに、びっくり仰天した。

(信じられないくらいの多数の人々が、『たまプラーザ』駅の一角に集まっていた。

それらは、ほとんどが『高市早苗ファン』の人々らしかった。)

 

 

 

一体、どこから集めたのかとびっくりするような『一大群衆』が、たまプラーザに集まっていた。

 

その詳細は、この記事の後篇に書くことにしよう。