最近、私は、アメリカの大統領選挙についてばかり、ここに書いている印象を与えているのだろう。

『アメリカの市民権をもっているわけでもないのに、なんと物好きな?!』と奇異に感じる人も多いことだろう。

 

(01)二重国籍?の父(パスポートが二つあった)

私自身は、(2015年?に〇●歳で亡くなった)父親が(死後に)実は日本とアメリカの『二重国籍者』だったことがわかったりして(もともと、父は戦前、出稼ぎというか『移民』労働者としてアメリカにわたった、祖父母のもとで、カリフォルニア州で生まれているのだが)、また私自身も、子供の頃に、『アメリカに移住するぞ』といわれて(小学校で、わざわざ送別会をやってもらって)アメリカに渡った思い出まであるので、もしかしたら、(私の人生のなかで)どこかで『アメリカの永住権を取得』して、その後、『アメリカ人』となって人生を送っていたという『別の人生』の可能性があったという気もしている。

 

だから、アメリカに対しては、(いわば)愛憎を含めて感じてきているので、(矛盾だらけの)『アメリカ合衆国』という国家のトップ(であり、同盟国である日本にとっても、利害関係の多い)=大統領選挙に対して、『意見、希望、関心』を寄せることが、『悪いこと』だとは思っていない。

 

むしろ、『日米同盟は当然』と感じているらしい多くの日本人が、『日本を振り回す、アメリカ大統領選挙』に対しては、『あまりにも、文句をいわずおとなし過ぎる』という気がしないでもない。

 

とはいえ、毎回、このブログに同じようなことばかり書いていてもしようがないので、今回は、日本国内の選挙について書く。

 

つまり、自民党と立憲民主党の二つの代表選挙に関してである。

 

だが、こちらも、自民党員と党友?、あるいは立憲民主党の同様の立場の人しか、投票権(あるいはそれに類するもの)は全くないのだろうから、これらについても『お前は、関係ないのだ』といえば言える。

 

(03)立憲民主党からの案内

もっとも、『立憲民主党』については、近年の選挙では、私は『立憲民主党』の候補ないし、『立憲民主党』に近い候補者に投票することが多かったような気がしているので、『全く関係がない』ということもないだろう。

 

それに、昔、やっていた『学生運動』とか『労働運動』の関係で、神奈川県内の『立憲民主党』の国会議員の一人の『シンパ名簿?』に登録されているようで、しょっちゅう、そこから『各種の資料、案内』などが送られてくる。

(ただし、私は、現時点では、その人の主張していることとは、かなり隔たった考えを持っているつもりなので、仮に、『立憲民主党』の関連でカンパをすることがあったとしても、この人の『人脈』を通して、送金などするつもりは、全くない。『おあいにくさま』というか『申し訳ないが』というしかないが…。)

 

 

まず感じる疑問として、自民党が9人もの候補者をたてて、『総裁選』をやるというのは、一体、どういう了見なのかと感じる。

 

常識的に考えて、(全員を集めての)密度の高い『討論会』といったものが成立しうるのは、せいぜい、5~6人程度が限度であろう。

それが、9人も候補者がいるというのは、ただの『交通整理がつかない状態』『混乱の極み』に過ぎない。

 

いちおう、『派閥』というものが、ほとんどなくなったということになっているので、『総裁選』というものに、『一度だけでも出てみたい』と考える人が、たくさんいるのだな(『老い』も『若き』も)という感想しかわかない。

 

仮に候補者全員に、一度ずつ、同じ論点についてしゃべらせるとしても、かなりの時間がかかってしまう。

この9人の立候補者については、『名前を国民に覚えてもらうため』あるいは『入試の記念受験』ではないが、『一度は立候補してみたかった』という『記念立候補』的な人が、かなりいるであろうことは間違いがないだろう。

 

それに、一回の投票で、過半数を制して、当選する者が出なくて、(一位と二位の)『決選投票』に持ち込まれるというような場合、その間、『何日か間をあけて』(誰が、総裁=総理大臣として真にふさわしいか)国民的な議論が展開される、そのような『間隔』『余裕』というものをもうけるというのならば、まだ(話としては)わからなくもない。

 

(05)決選投票のプロセス

ところが、実際は、同じ日に(大した時間もあけずに)今度は、『国会議員票』プラス『都道府県代表の票』の投票を実施してしまい、その日のうちに、『新総裁を決めてしまう』というではないか。これでは、(投票する自民党の有権者にとっても)ほとんど、考える間を与えられずに、再投票を行うのと、『同義』であろう。

 

全く意味がないというか、『わけのわからぬまま』にでんとう石化?で決めてしまう、単に(どさくさに紛れて)『流れ』にうまく乗った者が勝ち抜けてしまえるような危ない選挙になってしまうであろうことは、(半分以上)明らかだといっても良い。

 

なお、候補者についての個別のコメントは、また次回でも、書くつもり。

 

他方、立憲民主党のほうについて。

(こちらも、詳しく論じるのは、別の記事にしたいが…。)

こちらは、人数だけは、4人?と比較的まともな数ではある。

しかし、……

 

そもそも、この党は(野田氏にせよ、枝野氏にせよ)、『政権の受け皿』となる用意をするために、『自分を代表に選んでくれ』と言っているようである。

 

しかし、現在の政党(特に野党)の状況は、全くバラバラと言っていい。

『立憲民主党』にしても、国会議員は〇●人(衆議院、?人中?人、参議院、?人中?人)しかいない。

 

このような体制では、(仮に)政権をとった(というか『与党』の一員となった)としたら、そのほうが、むしろ『危ない』(すぐ、内部対立が生じて、『連立の枠組み』が変化するであろうから、何が起こるかわからない)と思われるような状況ではないだろうか?

 

逆に、こういう状態では、『政権奪取などに向けて、あわてふためくのを止めよ』『少し、頭を冷やして考えてみよう』というのが、基本線ではなかろうか?

 

現在のような選挙制度で、理屈の上では、『政権がころがりこむ』可能性があるのだから、それに備えようなどというのは、あまり賢明な判断とはいえないような気がしている。

 

それに、立候補者を見ていくと、(自民党以上に)『面白味がない』選択肢ばかりが並んでいるという気がしてならない。

 

あるいは、この際、『自民党の総裁選』を盛り上げる『引き立て役』として、立憲民主党の代表選をやろうという趣旨なのだろうか?

ともかく、『よくわからないこと』ばかり、『当たり前』のように行われているという気がしている。