今週は、アメリカの民主党の全国大会が開かれている。

それで、英語はよくわからないながらも、せめて気分だけ味わおうと思って、CNNで大会の中継映像を(なるべく英語の音声が把握できるような状態にして)見ている。

 

民主党大会の初日、19日の中継放送を見ていた。

 

この日は、『ありがとうバイデン』『さようならバイデン』が裏の共通テーマのようだった。

シカゴの会場を見ていると、先日、トランプ前大統領の銃撃事件のあった共和党の集会の会場(野外)とか、また、トランプが指名受諾演説を行い、副大統領候補として、(かなり癖のある)バーンズ氏を指名し、全米披露した共和党の全国大会の会場(屋内)などを思い出す。

 

 

それにしても、シカゴという、何となく『因縁』めいた場所で今回の大会は開かれている。

前回、民主党大会が開かれた1968年というのは、『ベトナム戦争に対する反対派』が当時の世界的な運動の高まりのなかで、ほとんど武装して、押しかけ、大会会場は、デモ隊と大会を警備する州兵?とか警備陣の激突で、流血の事態となったらしい。

(この年は、日本全国闘争が吹き荒れ、また『新宿騒乱事件』=騒乱罪を適用=も起こった年なので、よく覚えている。当時、私は大学二年生だった。)

 

今回も、そこまではいかないが、それに近い雰囲気を感じる。

ガザ地区へのイスラエルの武力攻撃と、基本的にイスラエル支持のアメリカ政府の政策、それにハマスの代表が、イランでの国葬に出席するために滞在していた折に、イスラエルによって爆撃されて殺されたこと=まだ詳細は不明な部分もあるようだ=に憤激する人々、つまり、バイデン政権のイスラエル寄りの政策に抗議する人々が、民主党大会の会場の外でデモを繰り返している。

 

一部の人たちは、バリケードのようなものを突破してしまっているようでもあり、状況によっては、1968年の事態の再現がされないとも限らない。

 

 

今回の中継を見て感じたことは、民主党というのは、完全に『呉越同舟』の状態にあるのではないかということだ。

 

いちおう、表面的には、バイデン大統領が、自主的に『再選への挑戦を断念』し、『後継者としてハリス副大統領を指名』したということになっている。

それで、この日は、『バイデン大統領、ありがとう』と皆で感謝するというストーリーでの演出になっている。

 

 

しかし、バイデン大統領の演説やその前のジル大統領夫人の挨拶(演説)などを見ると、明らかにバイデン自身は、『自分は引きずり降ろされた』と思っているようで、大いに不服であるらしいムードが全身からにじみ出ている。

だが、『引きずりおろされた』と主張すると、逆に、自身が、実質的に『時折、認知症的な状態に陥ってしまっている』ことを認めてしまうことにもなりかねないので、それは絶対に認めない。

 

また、ハリス副大統領に対しても、『バイデン降ろしの陰謀?』に加担したのではないのかという疑問と怒りをバイデン自身は感じているようだが、それはいちおう、心のなかに(出来るだけ)押し隠して、自身の『健在ぶり』を誇示(強調)しながら、『国家のため』に今回、身を引いたと主張している。

だが、大統領としての仕事は、1月の任期終了の間際までやるつもりのようでもある。

(そうすると、パレスチナとかイスラエル、イランの問題など、バイデンとハリスの間で、政策の対立は生じないのかという心配もある。)

 

それだけでなく、この調子だと、11月の選挙結果いかんでは、トランプ、バイデン、ハリスの間で、『みつどもえの混乱』もありえないことではなさそうな気もする。いや、トランプの副大統領候補である、バンスという男も、(野心も下心もある)かなり癖のある人物のようだから、場合によっては、『四つどもえの混乱』になることもありえないことではないのかもしれない。)

 

 

私は、今回の一連の事態を見ながら、ともかく、大統領候補がバイデン氏のままでは、トランプが大統領をとるだけでなく、議会上院も、下院も全部抑えて、『最悪の状態』になってしまうのではないかと思っていた。

 

そこで、まずは、連邦議会の上院と下院でのトランプ陣営の『完勝』を防ぐことが必要だと思い、『バイデンの引きずりおろし』もやむを得ないと感じていた。

(バイデンが、誰か、『よりマシな候補』に変わるだけで、トランプに対する歯止めが可能になると思っていた。だから、特にハリス氏を推す気もなかったし、こんなにはやいスピードで、大統領候補、副大統領候補の決定が民主党にできうるとは思っていなかった。)

 

ところが、逆に、日本では、バイデンからハリスに変わっただけで、既に大統領選挙も民主党が勝てるようになったと思い込んでしまっている人もいるようだ。というより、そのようなムードでの報道が、盛んになされている。

 

 

先日は、BSTBSの報道番組で松原耕二キャスター(という人)がしゃべっているのを聞いていたが、妙なことを言っていた。この人は、例えば(ついこの間まで関口宏が看板司会者であった)『サンデーモーニング』などにもよく出演して、何でも知っているような顔をしているが、この日の発言を聞くと、どうも、『情報を次から次に仕入れ過ぎている』ためなのか、それを自分自身消化する余裕が欠如しているようにも感じた。

(その松原氏の発言は、この文章の最後のほうで紹介する。)

 

第一に、アメリカ大統領選挙というのは、全国的な世論調査の結果などは、ほとんど関係ないと言っても良い。

 

激戦州において、『選挙人の数』を少しでも多く獲得することが最重要の要件である。

(つまり、全米的には、たくさん得票を得ていても、選挙人の獲得数において敗北し、最終的に大統領選に敗北するというケースはいくらでもありうる。)

そういう意味では、ハリス氏ら民主党の現在までの戦い方には、まだまだ『穴がたくさん存在している』ようだ。

 

ハリス氏や民主党のような戦い方をしていれば、激戦州の行方を左右する『選挙人の奪い合い合戦』において、本当に勝利することが出来るのかどうか、まだわからない。

 

 

今回の民主党大会の様子を見ていると、ともかく、まずは『挙党体制』を演出するのが先決だというのが、ミエミエである。

 

しかし、実際は、(バイデン氏とジル夫人の演説から垣間見えた)『バイデン家の反発(と恨み)』以外にも、さまざまな矛盾が存在している。

 

トランプ前大統領は、ハリスとウォルズの大統領選の新しいコンビに対して、『社会主義』とか『左翼』のレッテルを貼るのに懸命のようだが、民主党大会の様子を見ていると、たしかに、左翼チックな主張ないし体質の人々もかなりいるようである。(そうでない人々との間に、『水と油』のようなところが見えなくもない。)

 

私も、昔、そういった労働運動につながって(集団解雇撤回の闘争をやって)いた時期があったので、そのような活動家の体質は何となく、記憶している。

 

そういった感覚で発言していた女性たちも、たしかに、多く出席していた。しかし、彼らは元気がともかく、エネルギッシュで、『活動力』のありそうな人たちが多そうだった。

(それに日本との違いは、ともかく、彼女らには実績があり、またそのような実戦にもまれて、ますますたくましくなっているという印象だった。たしかに、日本では、『男女平等』とか『ジェンダーうんぬん』とか言っても、それを実践する体験が、アメリカなどとは、恐らく50~70年くらいは後を追い掛けているから、日本の主張者は女性でも、学者、評論家みたいな人たちが多くて、『理論先行』というか『文献によれば』みたいな話ばかりである。)

 

また、印象的だったのは、トランプのいうように、民主党大会での議論をリードしていたのは、『左翼ばかり』ではないということである。

 

(トランプは、スト破りだと書いたシャツを着用している)

 

アメリカの自動車関連の労働組合の代表も参加していたが、この組合は、以前は、(ある意味では)腐敗したボスたちが牛耳っているような組織という印象があったが、実は、こうした組織のなかで、激しい内部変革の動きが進行していた。

 

そして、既存の『ボス的』で『裏での取引的』なやり方を批判して、その体制を改革派として、突き上げ、いわば大手労働組合の『民主化』を実現してきた新しい会長なども、この民主党大会には来て発言していた。

 

どうりで、『ボス面』の従来の労組代表と雰囲気が異なっているという印象を受けた。

ただし、やや『線が細い』『インテリっぽい』という感じがしないでもない。

(もちろん、こうした人たちが、いつまでその地位を維持できるかわからないが、この新会長は、『私たちの組合と同じように、民主党の組織も、あるいはアメリカの政治も、原点に立ち戻って、生まれ変わり、前に進まなければならない』『そういう気持ちで、今日は、ここに来た』というような発言をしていた。

これは、かなり会場でウケていたと感じた。

 

 

このほかに、パリオリンピックで、アメリカのバスケットボールのチームの監督?だった人なども、民主党大会に来ていた。

この人は、『政治的な発言をするのは、リスクがあることを承知している』『しかし、永年の民主党支持者として、民主党が一般の人々に愛される政党として、再生されることを心から望んでいる』といった発言をしていて、この全国大会のやや党派的に分岐しているようにも見える参加者の全体から、温かい拍手を浴びていたように記憶している。

 

こうした民主党大会の状況を見ていると、トランプの言っているように、ハリスを含めて、民主党全体を『左翼呼ばわり』することには無理がありそうである。

ただし、たしかにハリス陣営には、アメリカで『生活不安を訴えている人たち』に対して、実際に届く言葉や政策がどれだけあるのかという気もする。

 

トランプの『強味』は、ある意味では、これまでのアメリカの政治の慣習にとらわれることなく、『ずばずば好きなことを言い切ってしまうことのできる<無責任さ>』こそに存在しているという気がする。

逆に、バイデン大統領などは、やはり、こうした『過去のしがらみ』『これまでの慣行』に完全にとらわれているようだ。

 

彼は、『アメリカは偉大であり、世界から尊敬されている』『世界の秩序を守る義務がある』『これらに疑いを抱くものは、良きアメリカ人ではない』みたいなことまで平気で言ってしまうような、『鈍感さ』がある。(これらは、アメリカの政治家の伝統的な言葉遣いなのであろう。)

 

しかし、こうした言葉は、『アメリカの庶民というか、底辺層』には届かない恐れがある。

むしろ、トランプのように、『アメリカは民主党によって滅茶苦茶にされた』『これから、それを打破して、偉大なアメリカを復興する』といった方が、庶民感覚に訴える部分もあると思う。

 

だが、トランプの政策が、誰のために『役にたつ』ものになるのか?

それはトランプ自身にもわからないのかもしれない。

 

彼は、ともかく、『破壊者』として登場し、それが(ある程度)成功して以降は、自分が『神に愛された者』になったかのように錯覚し、逆に『墓穴を掘ってしまって』いる。

 

 

特に例の『銃撃事件後の、ファイト、ファイトの連発による、臨死?体験』によって、彼は自分自身を見失い、『神を恐れぬ、愚かな凡人』であることを、世間に明らかにし、さすがの『トランプ信者』になりかかっていた人々も、『はて、トランプは、私たちのために、何を実現してくれたのか?』と疑問を抱き始めた人も(若干)出てきたようである。

(こうした、『最深部』での微妙な変化こそが、激戦州における『選挙人の獲得争い』というアメリカ大統領選の微妙なルールでの『勝敗を分けること』になりかねない。)

 

ともかく、民主党大会の中継放送をじっくりと見ているはずの、(先ほど述べた)松原某などが、自分自身の看板番組のなかで、『民主党内の矛盾が現れていた』というゲスト出席者の発言に対して、

『えっ、党内の矛盾はどこにあらわれていたの?』など(思わず)番組のなかで言ってしまっているのを聞くと、こうした『テレビのキャスター』などと言われる人たちは、自分たちが報道している内容が何を意味しているのか、どこまでわかっているのだろうか?とついつい、思ってしまう。