大相撲名古屋場所が7月28日に終了してから、既に6日が経過している。

前回(23日)は、妙な記事を書いてしまっているので、その後、感じたことを書き留めておこう。

 

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(01)14日目の敗戦(対隆の将戦)

 

正直言って、照ノ富士が、14日目に(その時点で3敗だった、前頭6枚目の)隆の将に『寄り切り』で負けて、12勝2敗となった時点で、今場所の照ノ富士の優勝は、『もう、なくなった』のではなかろうかと思った。

何しろ、11日目の大の里戦で『突き落とし』で初めて負けて以降、その後の4日間で2つ目の黒星ということになってしまった。

 

それだけでなく、隆の将のほうは八日目以降、(14日目の照ノ富士戦を含め)七連勝という好調ぶりだった。

隆の将の体調や運気のカーブは、一気に上昇しているようにさえ、見えた。

 

(02)千秋楽の敗戦(対琴桜戦)

 

だが、こうした見方をはねのけるように、照ノ富士は、その後、千秋楽の(大関の)『琴桜戦』で手痛い敗北(上手出し投げによる3敗目)を喫しながら、それから、ほとんど時間がないままに突入した『優勝決定戦』において、隆の将を『寄り切り』でくだし、優勝を奪回した。

(これは、精神力によるものなのか、それとも、相手の弱点、自身の強みを見抜く『戦略眼』を含めた総合力で勝ち得たのか、私には、よくわからない。)

 

(03)座布団が舞う

 

しかし、本割で、琴桜に負けて以降、支度部屋へと引き上げる背中の姿が、例によって『座布団が舞う』なかを進んでいかなければならず、少なからず、『寂しそう』に見えた。

 

『座布団が舞う』というのは、『照ノ富士が負けて、喜ぶ』お客さんがこれだけいるのだということを誇示するアクションでもあり、ご本人にとっては、ショッキングな事態だろうと感じる。

(この5日間で、3回もこのような『屈辱』を味合わさせられたのだから。)

 

(04)優勝決定戦

 

にもかかわらず、優勝決定戦を制して、『10度目の優勝』という悲願を達成したのは、照ノ富士のほうだった。

 

(05)表彰式

 

表彰式における照ノ富士の(優勝インタビューでの)言葉の選び方などは、これまでとは『異次元』な感じさえした。

 

『ほっとした。みなさんに約束したことを果たせたかな』

『目標を掲げて戦ってきて、良かった』と語った。

また、『今後の目標』はまだ立てていないから、これからよく考えたいとも言ったと思う。

(何も、『目標』をたてずに何となくやっていれば、『それでうまく行く』というような『甘い仕事などではない』という意味のことも言っていた。これは、『一日一番』というのが、鉄壁の定番発言である、並みの力士を踏襲するのが伝統だと思っている人々にとっては、『刺激的な発言』だったかもしれない。)

 

そして、優勝インタビューにおいても、『支援者の顔』を遠方の観客たちのなかに、いろいろ見定めては、うれしそうに、『表情をゆるめる』力士の姿が、そこにはあった。

(さらに、彼が『優勝を決定』したときに、かねてから、いろいろ『因縁話』がささやかれていた、宮城野親方=『白鵬』がまっさきに、祝福を伝えるハグのような仕草をしていたことも、驚きだった。

照ノ富士に『逆境』が訪れた瞬間、その『最も良い理解者の一人』は、同じくモンゴル出身の横綱=白鵬だったのかもしれない。)

 

 

私は、今場所、彼は『引退もありうる』という覚悟を決めて、土俵にあがったのだろうと思った。

 

だいたい、『アンチ照ノ富士』の相撲ファンというのは、『横綱の特権に安住ばかりしている』『最大限、休場を続けて、ときどき出て来て、それで優勝とか準優勝とかすれば、免責されると思っている』『ずるい』という印象を持っている人が多いようである。

(ネットのコメントなどを見ると、そういう言葉が羅列されている。)

 

私は、本人は『そのような考え方の人物ではなかろう』と思うが、特に『インサイド情報』など持っているわけではないから、何ともいえない部分もある。

 

しかし、彼は、自分が、『横綱としての責任を果たさなければならないこと』などは強く感じていると思うし、これまでも、大関陣が不甲斐ないなかで、『一人横綱としての責任』を感じていたのだと思う。

 

(06)尊富士

 

また、彼が弟弟子の尊富士が『新入幕での優勝』を目前にしたときに、(ケガが悪化してしまうことをも覚悟のうえで)『土俵で戦ったうえで、優勝を勝ち取る』ことの重み、重要性を、述べたことも報道などされていた。

しかし、その結果、尊富士は(新入幕力士としての110年ぶり?の)『感動の優勝』を24年3月場所において果たしたが、その代償は、あまりにも大きかった。

 

次の5月場所は全休、7月場所は、そのまま全休すれば、幕下陥落が確実と見込まれたために、中日から(無理をしながら)途中出場し、2日間の取り組みで、『力の違い』て連勝をしたものの、その時また(無理な状態で出場を強行したためだろう)左大胸筋停止部断裂と診断されて、再休場を余儀なくされてしまっている。

 

そのため、今後は、どこまで落ちるのかわからないが、このケガと付き合いながらの『大相撲人生』になりそうである。

 

こうした経緯について、照ノ富士自身が『俺には、何の責任も感じていない』と思っているということは恐らくないだろう。

 

このように、照ノ富士というのは、(日本人の力士観からすると)ある種の『ほら吹き男』『自分の目指すことをすぐ口に出す人物』と軽視されるかもしれないが、『モンゴル人』から見れば、また世界の多くの人から見ても、『スポーツを戦う男』の一つの標準的な姿を貫いているのであろう。

 

(07)萩生田光一氏

ただ、正直言って、今回の優勝で、(あの)萩生田光一氏が、しゃしゃり出てきたのにはびっくりさせられた。

大相撲というものが、『政治家』とか、(あるいは)『反社』とつながりのうわさされる人物とか、いろんな人たちがタニマチとして、つながりがあるものらしいとは聞いていたが、よりによって『萩生田氏』が後援会の会長になっていたとは?

 

おまけに、普通、『本人の足をひっぱらないように』と配慮するのが、(応援をする著名人の)礼儀というか、『通常の姿』だと思うが、萩生田氏独特のアクの強さからか、彼は優勝パレードの車(照ノ富士自身が乗車するオープンカー)のど真ん中に乗っていたようで、思いっきり、『ふてぶてしさ』と『図々しさ』を全面に押し出していたらしい。

(私は、これだけで、『照ノ富士』を見放すというようなことはしたくないが、改めて、大相撲というものの『複雑な』『いろんな縁や義理』にがんじがらめになっている姿を垣間見たような気がした。

しかし、こんなことを放置していたのでは、日本において、『相撲』というものが本当の意味で、国民に目指したものとして復権する道は、まだまだ厳しいだろうと言わざるを得ない。

ともかく、何とも、嫌な感じがしているのは事実である。)

 

何しろ、萩生田氏といえば、『安倍派の金権疑惑』のど真ん中に位置している政治家である。おまけに、『東京都連の委員長』か何かを務めている政治家であり、選挙において、『落とす対象』としてマークされている『居直り政治家』の一人でもある。

(何とも、『土俵に上げる』には、最もふさわしくない政治家の代表格だという気がしている。)

 

そういえば、優勝カップの授与の場面でも、『総理大臣杯』ということで、『総理大臣』の代理として、新藤義孝・経済再生担当大臣が、しゃしゃり出て来て、優勝カップを授与していた。

これに対しても、多少、腹がたったが、それよりも何倍も、『ケシカラン』という気がするのが、今回の萩生田氏の『優勝のお祝い』への『乱入?疑惑』である。

 

今回の優勝は、『パリオリンピックの最中』ということもあって、いつもならば『恒例』として行われる『NHKのサンデー:スポーツ』という番組に、優勝力士が出演して、インタビューを受けるという番組も吹っ飛んでしまったようだった。

 

いろいろ、照ノ富士としては『心残り』のこともあろうが、『次の大きな仕事』は、『次の大関、横綱になろうとする力士』に対して、最後まで『壁の役割』を果たし、同時に『後継者を育てるという役割』であろう。

そのためにも、自分が相撲をとれる『ぎりぎり最後』まで、『壁の役割』を果たしてもらいたい、というのが願いである。