団地の管理組合の理事の仕事が終了したもので、他に『生きがい』というか『時間つぶし』を求めてうろうろしている。

(団地の一括建て替えの問題は、我が団地にとどまる問題ではない。どこでも、『不都合な真実』が広がりすぎるとまずいので、NHKを含めて、『報道内容』を調整する動きもあるようだ。しかし、実は、日本ではいわゆる“マンモス団地”の一括建て替えが成功した事例は、ほとんどないらしい。)

 

(これは、少し古いパンフだった)

最近、私は、(武蔵小杉を拠点としている)NPO法人『川崎市民アカデミー』の主催する

講座とか、WS(ワークショップ)などに参加させてもらっている。

 

特に、アメリカ大統領選挙に関連したWS(ワークショップ)などは、最新の情報なども得られ、また、参加者の各人の(これまでの人生経験を踏まえた)『アメリカ』観、『民主主義』観なども垣間見られて、なかなか楽しいものである。

 

この話は、今後とも報告、紹介したいと思っている。

今日は、この『川崎市民アカデミー』にも影をさしている“中国という困った国”について書いてみたい。

 

 

前にも、少し書いたのだが、今年度(24年度前期)開講の講座で『中国経済の現状と未来』というのがある(金曜日の午後1時から1時間半、全12回開講)。

 

東京大学教授の某氏が全体のコーディネート役をやっているようだ。

この人は、昔からいろんな『中国経済』とか『中国のIT産業とか、半導体集積回路』に関する本などを出していて、私も、特に(2008年からしばらくの間)中国で暮らし始めた、その直前などは、中国事情の情報収集のために、(感心しながら)読んだ記憶がある。

 

だが、この人は、講義のなかでも豪語していたのだが、『私は、中国に行くと、滞在費とか飲食費などすべて、向こうでもってくれる?』のだが、いささかもそれによって、自分の主張が歪められることなどない、などとおしゃっていた。

 

ものすごい『ツワモノ』(あるいは、単なる『世間知らず』の人物?)がいるものだと思った。その後、この人の評価は、私のなかで、どんどん低下してしまっている。

というのは、この人が(いろんなツテで)講師として呼んでくる方々(特に中国人のかた)がものすごく癖のある人たちばかりだからだ。

 

そのうちの一人は、(いかにも中国人らしく)ずばずば、モノをしゃべる。

それだけでなく(これも、中国人に見られる一つの特徴だが)自分を大きく見せようというようなトークの仕方をする。

(日本人の場合も、同様なトークをする人がいるが、大抵は『身内の範囲』でこじんまりと?『自慢話』をするというのが通常である。)

 

しかも、よく聞いていると、『日本で留学~研究生活を送る、という選択をして失敗した』と思っているらしく、中国に帰ると、(昔、勉強があまりできなかった奴らが)自分の何倍もの収入を得ているのがくやしい、みたいなことを平気でいう。

 

これは、(中国に限らず)ある種、世界的な現象であり、下手に『学校での成績』が良かったりする人間より、『コミュニケーション能力』とか『リーダーシップ』に優れた人間が、企業を率いて『ぼろ儲け』をするというのは、よくあるケースに過ぎない。

 

しかし、この人の場合は、『日本に来て損をした』(お前は、日本に行って馬鹿を見たなと言われているらしい)という意識が相当、強いようで、そのうっぷん晴らし?とばかりに、『中国経済は、日本より相当すごいぞ』という話をたっぷりとする。

(日本の無知な老人たちに、説教をするのが、楽しいというような気持ちがあるのかもしれない。

もっとも、聞き手=たしかに私を含めて、老人ばかりである=のほうは、『株式投資などの関係で、中国経済の動向が気になる』という雰囲気の人がメインであり、中国の社会や歴史の方には、興味があまりない人が多そうな印象を受けた。

だからかもしれないが、中国人講師からの『説教』はおとなしく聞いている人が大半だ。)

 

おまけにこの人の場合(相当、日本に対して『頭に来ている』ようで)、中国では、(あなた方)老人達は、もっと楽しい、充実した生活を送っているという。

 

つまり、こんなに詰め込まれた狭い部屋で、『一方的な話を聞かされる』というようなことはない。

(などと、ひょっとしたら『日本人の聞き手を全く、愚弄しているのではなかろうか?』などと感じさせるようなことまで、しゃべることもあった。)

 

このように何につけても、中国人は日本人が『おとなし過ぎる』のと比べると、好対照で、言いたいことを言いまくる人が多い。

たしかに、国際競争のもとでは、おとなし過ぎる人たちが、得をすることはあまりないだろう、と私も感じる。

 

 

昨日(6月7日)もこの『中国経済の講座』を聞いてきたのだが、今回は、若い女性の講師が登場した。

日本の某大学で、講師をされているらしい。彼女は、『中国のデジタル化の現状』を報告するということで、登場したのだが、話を聞く限り、デジタル化とか情報化の専門家ではないようだ。失礼ながら、日本語のレベルもそれほど高くはない。

(中国人でも、『日本のことを理解しよう』というタイプの人の場合は、日本語も上手になるのが、一般的な傾向である。)

 

彼女が、何を話したかというと、中国の政府機関が発表したらしい『第53次・中国インターネット発展状況報告』という資料をもとに、アンケートの結果などを紹介していた。

 

おまけに、ご自分の75歳くらい?の父が楽しんでいるインターネット生活の紹介ということで、最近では、日本でもスマホの急速な普及によって、多くの人が享受している活動とあまり変わらないと思えることなどを、こまごまと話されていた(どうも、日本におけるデジタル化の状況をあまりご存じではないようである。日本はたしかに、中国より遅れていて、セキュリティ対策もルーズであるが、高齢者も含め、スマホによるネット情報の消費は、一挙に進みつつあるというのも、一つの現実である)。

 

さらに、彼女が『スマホ』という表現をせず、『携帯電話』としか言わないのが、どうにも気になった。

 

 

もっと気になったのは、中国の動画をさかんに紹介して、会場で映し出していたのだが、ほとんどの内容が、中国のCCTV(国営放送)の製作した動画である。

その結果、『中国共産党の重慶市』のかなり過疎の地域における、ネットの普及とか基地局の設置などが延々と紹介されていた。

(CCTVが、中国共産党の忠実な代弁者であることは、『中国における常識』であろう。)

 

そのなかで、中国共産党のその地域の党組織の書記(トップということだろう)がしゃべっている内容なども紹介されていた。(当然、党の方針の正しさしか発言しない。)

 

また、<デジタル化の『諸刃の剣』という両面性>という項目についても話をされたが、語られたことは、営利企業が個人情報を悪用する危険性だけであった。

 

つまり、国家や党が、デジタル化で得られた情報を、監視、圧迫等に用いられているという、中国社会で顕著に見られる、重大な問題については一切、ふれられなかった。

 

『公安局』という言葉も一部、出てきたが、これは日本の『お巡りさん』あるいは『生活の面倒を見てくれる人たち』というニュアンスで語られており、『公安局』が、『国民総監視社会』の最前線で活躍していることなど、一切触れていなかった。

(人民の生活を末端から監視していて、多くの人たちから敬遠ないし、嫌悪されているのが、『公安局』の日常業務である。)

 

さらに、『公安局』の良い活動の紹介ということで、『空き巣老人』担当という謎の言葉が、出てきた。

 

これは、中国語をまるごと、直訳してしまったための、おかしな日本語であった。

 

中国では、子供たちが巣立ってしまって、老夫婦だけ、あるいは老人独り住まいになった家庭を、『空き巣』と訳すこともあるらしい(安い翻訳ソフトしか使わないため、こんな言葉が出てくるのであろう)。

 

これは、燕とか各種の鳥類で、子供たちが巣立ってしまったあとの状態からの類推で使われている表現らしい。

しかし、日本にはもともと、『空き巣』という全く別の意味の言葉がある。

講師のかたは、このような日本語をご存じないようで、『空き巣老人』などという妙な言葉を平気?で使用されていた。

『空き巣老人対策』というのは、孤独な老人たちの面倒を見るという意味なのだろう。

 

 

 

 

私は、以前、中国で暮らしていて、ブログ等のインターネットに対する遮断措置とか、それに対する(いわば)『人民の側の対抗措置』として、『VPN』(仮想プライベートネットワーク)と呼ばれるシステムを使って『遮断を潜り抜ける方策』が昔から広く使われてきたこと(私自身も、中国において、これを使用して日本のブログサービスを利用した時期があった)のを自分自身で体験してきていた。

 

しかし、こんな『人民と当局を巡るネットでの攻防』などについて(こういう問題があるのではないですかなどと)この場で質問したり、口にしたりしたら、この講師のかたがどんな反応をするかわかったものでもなく、もしかしたら、パニックに陥ることもありうるかもしれない)ので、昨日の段階では質問をするのは、やめておいた。

 

この間、(講師の人の、発言の傾向から、そうした中国の事情を何となく察したらしい)会場全体には、相当、『寒い雰囲気』が明らかにただよっていたのを感じた。

 

(講師の人は、中国のネットを通して、中国の老人たちの間にもはやっている=彼女の父親もはまっているらしい=という、妙な踊りを動画を通して紹介しており、その踊りを会場の人たちにもみんなでやらせようとしていた。しかし、シラケた人々は、それに同調する人は、ほとんどいなかった。)

 

『中国の当局者』および、それに関連した人々には、こういった(現実離れをした)講義を日本で行うことは、結局、『逆効果』にしかならない(中国がいかに、現実にはエゲツナイ国家であるかを、自ら自白しているのと同じである)ということは、申し上げておきたい。

(なお、川崎市民アカデミーには、もっと楽しい講座やワークショップも多数あるので、それらは、また別の記事で紹介していきたい。)