このブログ、私自身の『独自の意見』を(極力)遠慮なく、書いて行くことにしたい。

 

それで、今回は、昨日(5月3日)の『憲法記念日』の護憲派の集会(於・有明防災公園)でも『呼びかけ人』をするなど活躍していたはずの伊藤真(まこと)さんを取り上げたい。

 

この『護憲派集会』は、以前は私も参加していたのだが、歳をとって遠くへ出かけるのが面倒になってきたのと、私自身の考え・主張が、『護憲派』というものに対して、ますます『違和感』を感じるようになってきたもので、昨日も参加していない。

(『護憲派の集会』らしきものに最近で参加したのは、たしか『代々木公園』で開催されたものが最後のような気がする。はて、それは何年前のものだったか? 5月3日ではなく、11月3日の『憲法施行の日』=『文化の日』あたりに開催されたものだったという印象があるのだが…。)

 

(これは、東京新聞のネット配信記事。)

 

 

ちなみに、昨日の『護憲派集会』は上記のような要領(これだけでは、よくわからないが)で開催された模様。

恐らく、集会の模様を撮った動画か何かを、ネットでも見ることができるはずだと思うが、まだ見ていない。

 

これが、伊藤塾(資格試験予備校である)の伊藤真さん(塾長、弁護士)の画像ならびに、伊藤さんの略歴である。

 

伊藤さんの語り口というのは、非常にソフトな感じのもので、一時期は、私も彼の『憲法理論』というか『憲法講義』のような話を感心しながら聞いた記憶がある。

 

それが、どういう経過で、『違和感』を拡大させていったのか、よく自分自身でも記憶していないのだが、最近、この人の活動を報じるニュースなどを見ていて、『私とは考えが違うな』と思ったことが二つばかりあった。

 

 

第一は、『一票の不平等?』を争う裁判であり、これは伊藤さん自身が、『原告の一員』となったり、あるいは『弁護団』(というか、裁判を支援する弁護士の一員)となって携わっている裁判である。

例えば、上記に示したような裁判が各地で、幾つも起こされている。

 

(このような意見広告が、しばしば掲載されている。)

 

そして、その結果を受けて、衆議院または参議院の選挙区の再編が行われたりすることもある。

 

大体が、人口の大きい都市部の議員の定数が増え、逆に人口の少ない地域の議員の定数が削減されることになる。

はなはだしい場合は、(例えば、島根選挙区と鳥取選挙区など)『選挙区の合区』などが実施されてしまう。

 

島根県だけでは、『議員一人あたりに必要とされる人口』が足りないので、島根県と鳥取県とが『合区』になり、そこから『議員一人に相当する人口』をねん出?するといった具合になる。

 

 

しかし、私は、これに対して少なからぬ『疑問』を感じている。

 

このようなことを繰り返せば、単に『人口が多い地域の住民の声』を代表する議員の数はますます増加していくが、逆に、『人口が少ない地域の住民の声』はますます国会のなかで比率が低下し、その結果として、『人口減少地域の問題』を解決しうる能力といったものは、国会全体として低下してしまうのではなかろうか?

(地域ごとの特徴や歴史も、忘れられていく危険性もある。)

 

 

日本とは、(政治の仕組みが全く異なると言ってよいであろう)アメリカ合衆国では、連邦議会は、上院と下院で構成されているが、(よりステータスが高いとされている)上院議員は、アメリカ合衆国を構成する50州に対して、各州、均等に2人の定数が割り当てられている(それぞれ任期は6年であり、3年ごとに上院議員選挙が実施されて、全体の半数が選挙の洗礼を受けることになる)。

 

こうした状況では、(少なくとも上院に関しては)『一票当たりの議員数』つまり、『地域による票の格差』を圧縮し、均等、公平にするというような原理は、全く考慮されていないといって良い。

 

(もちろん、下院議員の選挙区のほうは、『一票当たりの議員数』あるいは、『一議席当たりの必要票数』をなるべく近いものにするようなことが考慮されながら、選挙区がしょっちゅう、再編されているらしいのだが…。)

 

 

このような状況は、日本と制度あまりにも異なりすぎるので、参考にならないという意見もあるだろうが、日本においても、各県というのは、江戸時代の『幕藩体制』を構成した『藩』の名残のような側面を持つと考えるとすれば、『アメリカ上院の採用している原理』は(少しは)『考慮しても良さそう』な考え方ではなかろうかという気がしている。

(もちろん、このような制度を日本に導入しようとするならば、『憲法の改正』が必要となるだろう。)

 

また、『幕藩体制』における各藩の位置についての考え方も、いろいろあるのだろう。ましてや、今の『県』とかつての『藩』との対応関係は非常に複雑であろう。

 

明治政府は、『廃藩置県』の過程で、かつての藩の間の対立関係、あるいは『親しい』『親しくない』などの関係を、さまざまな形で考慮して、『県』を作り出していったとされている。

 

いずれにしても、ほとんど『一票の格差』という観点だけで、次々と『勝利判決』が勝ち取られ、その結果、『人口が少ない地域=過疎の地域=』の問題点に対して配慮する思考法が、ますます低下していくように見えることに対して、私などは、『果たして、これで良いのだろうか?』とずっと、感じてきた。

 

 

もう一つ、私が気になっているのは、先日(4月3日)の弾劾裁判によって、裁判官を弾劾(実質『罷免』)された岡口基一元裁判官(元仙台高等裁判所・判事)を巡る、伊藤真氏の主張と、その立ち位置である。

 

ただし、この問題は、十分ややこしいものなので、ここでは、そのことに関する記事をアップするにとどめて、内容的な話は、続篇に書いて行きたい。