毎度、話題を変えてしまって恐縮だが、今日は(岸田首相のアメリカの連邦議会での英語演説の動画をまだ見ていないこともあって)、この話題を取り上げる。

 

月刊『文藝春秋』の5月号(4月?日に発売)に掲載されているこの記事である。

 

二本の記事が掲載されているのだが、一本目は(記事の冒頭の写真を見ていただければ、大体の事情がわかると思うが)、元都民ファーストの会事務総長で弁護士である小島敏郎という人の『私は学歴詐称工作に加担してしまった』という爆弾告発。

 

そして二本目は、『カイロで共に暮らした友への手紙』というもの。北原百代という女性の手記のような形になっている。

(ただし、読んだ感じでは、彼女の話を元にして、誰かライターというか記者が、再構成したものではないかと思った。あまりにも、『ドラマチック』になるように、言葉が並べられているからだ。)

 

この話は、既に何年か前に(今、調べてみると2020年5月のことらしい)、たしかこの『文藝春秋』にいちど、掲載された話である。

その時は、ノンフィクション作家の石井妙子さんが著書『女帝 小池百合子』を発行し、またたくまにベストセラーになったという。

 

石井妙子さんは、小池百合子の半生を綴り、彼女が、『政治ブローカー』のような存在だった父親・小池勇二郎(2013年に死去)の影響を強く受けて育ったのだという。

それは、芸能界において、時に『ステージママ』と呼ばれるような存在の影響で、『スターの卵』たちの人生が屈折をたどることがあるように、彼女もまた、父親の『生き方』『育て方』の影響を受けながら、『スターへの階段』を駆け昇ったのだという。

 

小池百合子もまた、(当時、活躍していた)評論家・竹村健一の経済番組のアシスタントから、テレビキャスターを経て、そこで『メディアの寵児』といったステータスを手に入れ、そこを起爆剤にして、日本新党の参議院議員に当選、その後は、自民党に移り、環境大臣、防衛大臣も歴任した。

さらに2016年には、都知事に転進し、現在は、『国政復帰』『女性初の総理を目指している』などとまで言われている。

 

このような小池百合子の『華やかな経歴』の突破口となったのが、彼女が、エジプトのカイロ大学を首席で卒業(もっとも、首席で卒業したとされたコースは、彼女一人しか学生がいなかったなどとも書かれている)したという触れ込みであったのだから、この『学歴詐称疑惑』(現時点では、そもそも彼女が、カイロ大学に在籍して、本当にそこを卒業したのかどうかが、『疑惑の対象』となっている)というのは、あながち『過去の話だから、どうでも良いではないか』ということには、ならないようだ。

 

しかも、今回の『学歴詐称疑惑』が再び騒がれているのは、これまでの『転身につぐ転身』が『称賛』から『あきれ果てられる対象』と次第になり、また彼女が都知事になってから8年がたつようだが、改めて考えてみると、小池さんは『いろんな問題で騒ぎの中心にはなるが、そもそも何が彼女の成果なのかさっぱりわからない』、そういった状況が続く中で、さすがの小池百合子も、既に『賞味期限切れではなかろうか?』とも言われるような状態になってきている。そうした中での、今再びの『学歴詐称疑惑』である。

 

それだけに、見方を変えれば、このような報道に対して、(私自身も)『また同じネタか?』といささか、『鮮度を失った感じ』すら受けてしまうのも事実である。

 

特に、北原百代さんの記事のほうは、前回(石井妙子氏の『女帝 小池百合子』発刊時の報道)と何が違うかと言えば、匿名での告発から今回は、本名『北原百代』を出し、またご自分の顔写真も公表してのものだというだけ?の違いに過ぎない。

(北原百代さんご本人にとっては、『大決断』なのだろうが、いささかスキャンダルに対して、『すれっからし?』になってしまった多くの読者にとっては、そのような印象を受けている人たちも多いのではなかろうか、という気がする。)

 

こんなことを書くと批判を受けてしまうかもしれないが、北原さんが30歳、小池百合子が19歳の時に、彼らが初めてエジプトのカイロで出会ったという。その後、小池百合子がいろいろと嘘をついていくのを、彼女は目撃したにもかかわらず、(どういうわけか、よくわからないのだが)<『私、日本に帰ったら本を書くつもり。でも、そこに北原さんのことは書かない。ごめんね。だって、バレちゃうからね』

それでいい?と、あなたに念押しをされるように言われ、私は頷くよりほかはありませんでした。>などと、書いている。

 

これでは、北原という人は、小池百合子に『マインド・コントロール』でもされていたのか?と疑問に思うような話である。

 

結局、小池百合子が、次々と『権力の階段』を昇っていくのを目の当たりにして、北原さんはこのような告発をすることになったらしかった。

 

ただし、ここには最初に、朝日新聞に配達証明郵便で、『告発の手紙』を送ったのに、どういうわけか、『まったく連絡がなかった』と北原さんは書いている。これは、『朝日新聞』にとって、『もう一つの不名誉な履歴』ということになってしまうかもしれない。

 

もちろん、『叩かれっぱなし』の状態だった当時の『朝日新聞』は、『こんな危ない話を鵜呑みにしてはいけない』『朝日新聞に対して新たな謀略か何かが仕掛けられたのではなかろうか?』などといった警戒心ばかりが高まっていたのかもしれない。

 

その後、石井妙子さんが『文藝春秋』他に発表した小池百合子批判の記事を読み、『最後の望みをかけて、出版社気付で2018年2月、手紙を送りました』とある。

この後、北原さんは、石井妙子さんと何度も話をする機会を得たようで、彼女は、『ああ、これで私の身に何かがあっても、全てをお伝えしたから、大丈夫だと。』そのように思えるようになったらしい。

 

北原さんは、(ほとんど)自分(だけ?)が小池百合子の『黒い過去』を知っているために、『ご存じの通り、日本と違いエジプトは不正がまかり通る社会です。権力があれば大抵のことができてしまう。人が殺されても、調査が尽くされることもありません』『私は次第に恐怖を覚えるようになり、信用できる数人の友人に、悩みを打ち明けました。すると、「そういうことは黙っていたほうがいい」と言われました』などと彼女は書いている。

 

明らかに、北原さんは、小池百合子の息のかかった者などに『暗殺されてしまうこともありうるのでは?』と恐れていたようである。

 

これは、極めて『暗い話』であると言わざるを得ない。

(もちろん、例えばプーチン大統領の息のかかった人間に『暗殺されたのではないか』とうわさされる人々の話も基本的には『暗い話』であることはたしかである。でもそこには、どこか何らかの『明るさ』が瞬間ではあれ、垣間見えることが多い。)

 

だが、この話のように、『そもそも北原さん自身は、エジプトに出掛けて、そこでアラビア語をマスターし、人生を構築してきた中で、一体、何を得て、何を失ったのであろうか』『北原さん自身が、ご自分の人生の最終段階で、この小池氏の『学歴詐称疑惑』にこれほどこだわる事情は、どういうことなのだろうか?と一方では、『率直な疑問』を感じてしまう。

 

ここまで書いてきて、結構、長くなってしまったので、ここらで、この記事を一旦終了し、続きは『後篇』として書くことにしたい。