岸田首相が、12日未明(米国東部時間11日午前)、米国の上下両院の合同会議で行ったという演説。動画のほうは、一部、ニュース番組で見かけただけで、まだ全体はチェックしていない。

 

だが、それを見てからコメントすると遅くなってしまうので、『読売新聞』(12日の朝刊)に掲載されていた英語の全文に目を通した(日本政府が翻訳したという日本語が添えられている)。

 

 

これを読んでびっくりした。

恐らく、岸田首相でもこの日本語の文章を、日本国民に紹介するのは気が引けるのではと思われるような、『歯の浮く』ような文章である。

 

少し挑発的になってしまうかもしれないが、『目下の同盟の責任者』が『宗主国』に向かって述べるような、恥ずかしくなるような文章の羅列である。

 

こんな内容であれば、アメリカ連邦議会の議員たちが、民主党も共和党もなく、『スタンディング・オベーション』を繰り返すはずである。

結局、『私たちは、アメリカのためには、何でもやる用意がある』と言っているのと同意であるからだ。

 

 

『読売新聞』は、日本国民にこの岸田の演説を使って、英語の勉強でもしろというのか、妙に詳しく、またスペースを使って、この演説を紹介している。

 

そのようなことをやっているのは、『読売新聞』だけではない。『日本経済新聞』とか『朝日新聞』でも同様のことをやっている。

やはり、『朝日新聞』であっても、『岸田の英語演説』を通して英語を学ぶというスタンスは変わらない。(仮に、大学等の英語の試験で出題されたとしても、『不都合』はない。安心して、『朝日』の読者(家族も含めて)においても『英語の教材』として大いに利用してくれということだろう。

 

ただし、この英語が、(百歩譲って)日本人の普通の心情(信条)を出来るだけ精確に、アメリカ人に伝えようとするものであるならば、それほど文句をいうつもりはない。

 

問題は、英語でしゃべりだしたせいか、いつの間にか、(妙に)アメリカ人に『寄り添いすぎて』、普通の日本人が、(日本語であれば)『口が裂けても言わない(言えない)』はずの、『卑屈な言葉』になってしまっている点である。

 

(とりあえず、最初に目を通したので、『読売新聞』の紙面を見ながら、書いて行きたい。)

岸田首相は、自分が小学校の最初の3年間をPS20とPS13という二つの公立小学校で過ごした時の思い出から、語り始めている。

 

彼は、『日本人は私一人でしたが、同級生たちは私を親切に受け入れてくれ、おかげであたらしい文化に溶け込むことができました』と語っている。

『メッツやヤンキーズを応援し。コニーアイランドでホットドッグをほおば』ったなどという。

 

まあ、そこまでは、良いだろう。

だが、彼によると、それは196?年くらいのことらしい(実は、私も1961年くらいに、アメリカ・ロサンゼルスの公立小学校、あるいは公立中学校に通っていたという記憶がある)。

 

しかし、私の場合、そのころは、ちょうどアメリカにおいて『ベトナム戦争がエスカレートしていく』その前段あたりだった気がする。

私は、(ひょっとして、アメリカに滞在し続けて)『永住権を取得するようにでもなれば』『私自身、徴兵されるのではないか』という危惧があって、それを恐れていた。

 

また、そのころは、ソ連?からミサイルが飛んで来るのではないかという(冷戦特有の)危機感が、ある種、日常的にあって、ロサンゼルスの学校では、(緊急時に)学校の机の下に潜り込んで頭を守る?という妙な『避難訓練』を行っていた。

 

さらに、私の場合は、アメリカに出掛けたのが、まだ1950年代であったせいもあり、(最初は比較的仲が良かったと思った)南北戦争時の南軍の将軍を尊敬していたらしい、日系人の同級生と、そのうち、仲たがいするようになった。

 

おまけに、どうこれと関係があるのか、わからないが、黒人の同級生というか、近所に住んでいた少年に『ジャップ』と呼ばれてののしられた。

 

当時は、考えてみると、1945年の『日本の敗戦』からまだ10年くらいしか経過していない時点であった。

(私が、最初、アメリカにわたったのは、小学校二年の時だった。)

 

岸田首相は、『アメリカ人はみんな優しかった』というのが、本当にそうだったのだろうか?

彼は、『被爆地ヒロシマの政治家』と自己自身を紹介しているのだが、彼が子供時代にアメリカに行った時も、まっさきに『被爆地ヒロシマ』の地名を出したのだろうか?

 

どうも、彼の話には、『嘘』と言っては何だが、『省略』と『飛ばし』『記憶の書き換え』が多いのではないかという気がしてしようがない。

 

また先ほどの英語の演説の話に戻るが、これは英語でしゃべるばかりに、日本人であるという以上に、『宗主国アメリカに、卑屈に寄り添う日本人?』というような特性が出てしまっているような気がする。

(いつの間にか、かいらい国の代表が『大東亜会議』でしゃべるというような気分になってしまったのか?)

 

『アメリカの地域パートナー』の域を超えて、『グローバルパートナー』になった。

『今の私たちは、平和には<理解>以上のものが必要だということを知っています。<覚悟>が必要なのです。』

『私は、今日、一部の米国国民の心の内で、世界における自国のあるべき役割について、自己疑念を持たれていることを感じています』

 

 

『広島出身の私は、自身の政治キャリアを<核兵器のない世界>の実現という目標に捧げてきました』(本当かい?!)

 

彼の語っていることは、結局、<中国からの挑戦><北朝鮮による核・ミサイル計画>、<ロシアによる侵略戦争><ウクライナの苦しみ>などを並べ建てすることにより、<トモダチとして、日本国民は米国と共にある><日本国民は、これらの価値(自由、民主主義、法の支配を守る)に完全にコミットしています>

<「自由と民主主義」という名の宇宙船で、日本は米国の仲間の船員であることを誇りに思いま><米国は独りではありません。日本は米国と共にあります><日本は長い年月をかけて変わってきました。…控え目な同盟国から、外の世界に目を向け、強く、コミットした同盟国へと自らを変革してきました>

こんな言葉を並べたてしている。

 

『英語でしゃべってしまったから、ついつい気持ちが高揚して、普段、思っても見ない言葉を口にしてしまった』

このような『言い訳』は通用しなくなる。

 

この岸田首相の英語の演説を聞いていると、むしろ、日本は、『アメリカの中で、アメリカの役割について疑念を持ち始めたアメリカ人』に対して、『躊躇するな。われわれが共に戦う』と戦意高揚を訴え、『やる気を喪失』し、えん戦気分になっているアメリカ国民に対して、仮に『逃げ出し奴がいたら、我々が代わりに、脱走兵と認定して、射殺するぞ』と脅かすような<旧日本兵>の亡霊(あるいはプリゴジンの傭兵部隊の隊長の言動)のように見えてしまう。

(プリゴジン氏のワグネルがやっていたような役割をも引き受けるというつもりではないだろうが?)

 

 

 日本国民には、なかなか『寄り添えない』のに、どうして『世界から手を引きたがっている?』アメリカに

対して、『大言壮語』を吐くことが出来るのか?

 『異常』としか言いようがない。

 

これは、俳優で言うと、中村獅童さんあたりが演じるとぴったりなような役柄であろうか?

 

 

ともかく、このような言葉が、日本の首相の口から飛び出すとは信じられない思いである。

やはり、『英語で語る』からこそ、普段、日本語だと考えられないようなことでも、平気で言えるということだろうか?

 

私は、どちらかというと、日本はこれまでと比べて、より『主体的』に考えて、日本の進むべき道を選択すべきだろうと考えるほうである。

 

しかし、まるで、『英語の演説の魔力』にからめとられたかのように、日本では絶対に口にすることができなそうなことを、アメリカの議会で英語で演説してしまうことで、日本がきちんと『自分の頭』で考える前に、先に『約束がなされてしまう』(これでは、まるで親の無茶な借金の『連帯保証人』になってしまった息子や娘たちが、後々苦労させられるような話である)、このような構図は、間違っているという気がする。

 

こんなことで、日本がいろんな責任を『肩代わり』してくれるというのであれば、『スタンディング・オベーション』なんて、安いものである。

 

道理で、民主党も共和党もなく、岸田の演説に『スタオベ』を送るはずである。

(もっとも、民主党と共和党は、それぞれ異なる部分に対して反応するということが多かったようだが。)

 

『おだてられたブタ(猿だったか?)は木にも登る』というようなことわざが、あったと思うが、変な英語の演説を(子供の進学のために?か)ビジネスマンや学生たちが、一生懸命に勉強している間に、『とんでもない約束を日本がさせられている』というのでは、『機能性食品=小林製薬』などの嘘の罪の比ではなく、日本国民は、(某一平さんではないが)政治を対象とする賭博常習者の疑いさえある、岸田文雄サンの『軽口にだまされている』ということにしかならないのでは、という気がしてならない。

 

彼は『リップサービス』をしているだけだというのかもしれないが、日本の自衛官などを含めて誰かさんが.

そのツケを払わされることになってしまうだろう。

首相が、『コミットメントを約束する』というのは、決して『軽い話』などではないだろう。

それとも、『コミットメント』なんて大して意味はありません。私は、もうすぐ『ただの人』になりますから…とでもいうつもりなのだろうか…。

 

『英語使い』の英語知らず、某一平さんではないが、自分が何をアメリカの連邦議会で演説しているのか理解

できていない、ということなのか?

(動画は、今後見たら改めて感想をアップするつもり。)