この記事の続きである。

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なお、今回の記事は、『不適切にもほどがある』について、重大なネタバレを書いてしまっているので、

ご注意ください。ネタバレ注意!ネタバレ注意!

(知っている人は、知っている的なレベルまでしか書いてませんが…。)

 

このところ、妙に『不適切にもほどがある』のことを褒めるような記事ばかり、書いてしまっている。

 

だが、何事についても、バランスを取るのが好きな私である。

特に、『不適切にもほどがある』のメインスタッフたちが、(もしかしたら)『豚もおだてれば、木に登る』というが、だんだん、調子に乗ってしまっているらしいという状況を、ほかならぬクドカン(宮藤官九郎)さんご自身の、『週刊文春』などの連載コラムの記事を読んで、少し心配するまでに至った。

 

(01)

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このように、週刊文春で宮藤官九郎さんは、『いま なんつった?』と題するコラムを連載している。

以前(といってもかなり昔、『あまちゃん』をテレビでやっていた頃か)は、彼が生まれてそれほどたたない娘のことなどもまじえて書いているのを、読んでたりした。

 

それから、(あまちゃんの頃からなら)12年近くが経ち、彼の娘さんも相当、大きくなって、あまり自分のことを書かれると(もしかしたら)『機嫌が良くない?』そんな歳になっているのだろう。

 

私も、週刊文春は何だかんだ言いながら、結構、買っていることが多いのだけど、クドカンのコラムを読まないことも結構、あったような気もする。

 

それが、現金なもので、『不適切にもほどがある』がヒット(視聴率的には、『大したことがない』という説もあろうが、テレビドラマの業界としては、その『話題性』といい、『業界の人』がこぞって見ていることと言い、『メガヒット』であろう)したことで、私も、『そういえば、<いま、なんつった>では、どう言っていたかな』を確認したくなった。

 

それで、かろうじて、『混乱(カオス)』と化している私のゴミ部屋から取り出したのが、上記の『週刊文春』である。

それより、少し前の号も、最近、読んだ記憶があるのだが、例によって、どこかに埋もれていて、出てこない。

(なお、この部屋は、あと2カ月弱すれば、現在、務めている団地の管理組合の仕事から

解放されるはずなので、その関連の資料をほぼ全部、捨てればかなり、『ゴミ』が減っていくはずである。) 

 

これらの『いま、なんつった』のクドカン語録によれば、彼は、『不適切にもほどがある!』のヒットにかなり、気をよくしていることが読み取れる。

 

ただし、当然だが、ドラマが進行中は、その先がどう展開するか、など書くことができない。

逆に、今の世間というのは、一度、ドラマが話題になると、それは書き手も驚くほどの爆発的な『急拡大』を見せる。

 

そのため、彼自身、何をこのコラムで書くか、いろいろ苦労していたようである。

それでも、4月4日号(これは、?月?日発売だったらしい。間もなく『不適切にもほどがある!』が最終回を迎えると書いている)には、このドラマで話題の『唄や踊りがもり盛りだくさん』でまるで、ミュージカル仕立てになっていることの裏話など書いている。

 

<『唄や踊りがあると楽しいですよね』

磯山晶プロデューサーから提案され、軽い気持ちで始めたミュージカル演出。気づけば全10話10曲を書き下ろしました。何気に偉業だと思うんです。>

こういう商売では、誰も、全く褒めてくれないことも多いだろうから、このように時々、『自分で自分を褒める』くらいのことをしないと、発散ができないだろうと想像する。

 

この回のコラムには、こんなことも書いている。

<最終回の収録を見学したのですが、いやあ、大変! 監督のいる副調整室(4階)と俳優のいるスタジオ(3階)の間を奥さんが何往復もするんです。>

<カンカンカン!と鉄の階段を駆け下り、俳優の立ち位置を修正し、カンカンカン!と駆け上がり、監督に『どうでしょう!』と確認する。

それを夜中まで何十回も繰り返す。>

<これを10曲分やらせたのか。申し訳ない気持ちでいっぱいになった。ごめんな。50過ぎた夫婦の共同作業としてはあまりにハード。>

 

なぜ、こんなことをしているかと言えば、クドカンの奥さん(八反田リコ先生とクドカン自身が書いている)は、振付師であるためらしい。

 

こんなことを書いていて、クドカンはやはり、今回のヒットがとてもうれしいらしい。

それで、どこに書いてあったのか忘れてしまったが(もしかしたら、『週刊文春』の記者あたりが、勝手に、『こうなるといいな』ということで書いていたのかもしれない)、今回の『不適切にもほどがある!』の続編を書いたら、という話があるとどこかに書いていた気がする。

 

多分、今なら、『こういうネタで書いてみたい』、あるいは、現在のドラマを構想中に捨てたというか切り落としたアイデアなど、山ほどあるだろうと思う。

 

たしかに、『続編』を書いてみたい、という気持ちは強いことだろう。

しかし、果たして、『続編』を書いたら、それがヒットするかどうかは、別問題だという気がする。

 

何しろ、世間は、『気持ちの変化が激し過ぎる』きらいがある。

今、『不適切にもほどがある!』が良いとべた褒めの連中であっても、(あのフェミニストの斎藤美奈子さんではないが)次のステップにおいて、『やはり、ふてせつ(ふてほど)は、古い価値観にとらわれている。打倒すべきドラマである』などと言い出さないとも限らない。

(03)斎藤美奈子さん

 

それに私自身は、『不適切にもほどがある!』は、阿部サダヲ(小川市郎)と河合優美(小川純子)などが、共に、1995年の『阪神淡路大震災』において震災死するという『未来』に向かって、不可逆的に進んでいく、そういう『定め』に対して、『タイムトラベル』という手段というか、技術でも乗り越えることが出来ない、そういった『哀しいストーリー展開』こそが、このドラマのミソだと感じている。

 

それを、『妙な続編』など作ってしまったら、それこそ、『ぶち壊しになる』という気がしている。

そもそも、クドカンは、あの『あまちゃん』についても、『続編』など作っていない。

(04)あまちゃん

 

むしろ、『変に続編など作らない』という点こそ、クドカンの『クドカンらしさ』の一部であるような気がしている。

だから、『続編を作るのはやめておいたほうが、いいですよ』とは感じているが、しかし、今、テレビドラマなどのドラマが成り立ちにくくなっている時代、また本や紙の出版物なども淘汰されている時代にあって、『大ヒットしたドラマ』の続編を今なら、できるかもしれない、それに『挑戦したい』ということであれば、それを止める権利というか力など、私にはあるはずもない。

 

とりあえず、(ここまでは)『クドカンは素晴らしい』『不適切にもほどがある!は、大傑作だ』と褒め続けてきた私だが、ここでささやかな抵抗をさせていただきたい。

 

もっとも、仮に、無茶苦茶、スピーディに『続編』をまとめることが出来たとして、それを見ることが出来るのであれば(キャスティングが難しそうな気もするが…。一部、別の俳優さんに代わらざるを得ない役も出てくるのではないだろうか)、まあ、『成功するかどうか』は別にして、それは『チャレンジし甲斐』のあること、ということも出来るのかもしれない。

 

やっぱり歯切れの悪いことを書いてしまった。

(まあ、それが私自身の性格だから、しようがないか…。)