昨日(4月6日)アップしたこの記事の続きである。

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あまり、間隔が空いてしまってもどうかと思うので、続きを書く。

(ただし、私自身、台湾の法律体系とか、行政や政治の状況について、さほど詳しいわけではないので、私自身の知っている限りでは、『このようにも見える』といった程度の話として聞いてほしい。)

 

(01)

前回も書いたような、台湾政府の今回の大地震で見せた『機敏な対応』に対して、讃辞を送る声も多いようだ。

ただし、能登の大地震における日本政府の対応ぶりと、対比させながら、コメントしている人もいるらしい。

(何でも、『日本の政府や行政の怠慢』を叱責するための材料にしてしまおう、というタイプの人も当然、存在している。)

 

しかし、私の見方によると、台湾の政府は、今回のような『大地震』に乗じて、大陸の北京政府(共産党政権)が『ここぞ』とばかりに介入することを、当然ながら警戒している。

 

そのため、『共産党政権』に対して『スキを見せない』『介入の口実を与えない』ために、それをも意識しながら、台湾における災害(地震を含め)に対しては台湾の政権がスピーディに対応が出来る(だから、『パニック』に乗じた介入などは決して許さない)ということを、必死になってアピールしたい――そのような気持ちが、台湾の民進党政権(あるいはそれと連携をとりながら、地震対応に協力している民間団体や地方の各種組織、宗教団体等)にはあるのだという気がする。

 

(02)

そうしたことは、日ごろ、『地震に対する訓練』を行ったり、あるいは、毎年定期的に繰り返し、『防空演習』(これは、中国等からの各種武器による攻撃をも意識したものである。協力に応じない市民は、法律違反であるとして、拘束等もされる可能性がある)などを行っている。

また、地域によっては要所要所にシェルターをもうけている(地下鉄の駅とか、地下道などがその役割を果たしているようだ)、そうした日ごろの備えにも表れているという気がしている。

 

それに、こうしたことが可能なのは、台湾において、(ある意味では)準戦時体制にある(いつ何時、大陸からの攻撃があるとも限らない)という意識が人々の間に根強いということがあると思う。

 

(03)

私は、台湾の人々の意識は、極めて『現実的』であり、例えば日本のように、『話せばわかる』『武力による対抗でなく、まずは外交努力』『戦争に対しては、あくまでも反対する』とか、『国際社会の平和協力の理念に賛同し、仮に向こうから殴りかかってきたとしても、当面はじっと耐える』というような『まずは、平和憲法の理念を守ることが重要』といった『縛り』は、存在していないと感じる。

(それは、ある意味では、中国共産党の『シンパ』的な人々についてもいえることで、そのような人たちは、一朝、有事となれば、中国共産党の指令に基づいて行動するかもしれない。そのような深刻な、『内部対立』が現に存在していることに対して、それを大なり、小なり、認識しながら生活しているのが、台湾の人々であるように感じている。)

 

(性善説には立たない)

こうしたなかで、もっとも顕著な違いであるように、私が感じているのは、台湾の法律は、日本のように(暗黙のうちに)『性善説を前提としている』ような体系にはなっていないのではないか、ということである。

 

(04)

このことを、私が最初に顕著に感じたのは、(台中市内で住んでいた時に)近くにあった国立台湾図書館での対応である。

 

ここは、たまたま、一種の『情報図書館』的な位置づけの図書館で、いろんな情報提供を受けられることを売りにしていた。

そのため、外国の新聞や雑誌、あるいは書籍などを豊富においていて、私は、日本語のそれらを見るために、(家から近かったこともあって)しょっちゅう、出掛けていた。

 

(05)

ところが、ここは、最初に『担保金』みたいなものを入金しないと、『貸出カード』を発行してもらえない。

本などは、貸出期間1カ月ということで、たしか、同時に30冊まで借りられたのだと記憶する(その他、DVDなどの貸し出しも出来た)。

 

ただし、日本と異なっていることは、少しでも『貸出期間』を超過すると、一日で幾らみたいな『罰金』の制度があって、遠慮なく、最初に預けた『担保金』のようなものから、どんどん支払いがされていく。

 

つまり、『貸出期間』を守らないと、自分が確実に『損をする』という仕組みになっていた。

それに対して、日本の場合は、『貸出期間』をいくら超過したとしても、そのような『罰金』は科せられない(もちろん、本を紛失などした場合は、それ相当の賠償金みたいなものを請求されることはあるが…)。

 

だから、日本では、『貸出期間』など多少、超過しても、『それだけの話』になっている。

あるいは、極端な話、本を紛失してしまって、そのまま、『知らんぷり』をして引っ越し等してしまえば、それ以上、追いかけてくることは、まずないだろう(よっぽど、『高価な本』で、その本がネットで売りに出されるなどして、『犯罪行為』が明らかになった場合は、また、別なのかもしれないが…)。

 

このように、日本では、いろんな法律では、一種の『性善説』の上にたっていて、だから、事実上、そうした『善意をふみにじって居直る人たち』が不当な利益を得られるようになっているという気がする。

(ただし、以前とやや異なっているのは、『意図的に、あまりにも自分本位の行動』をとる人たちが一般に増加してきて、もはや、『性善説』だけではどうにもならない、という局面を迎えつつあるような気がしている。)

 

(06)

ここでは、『図書館から本を借りる』というような例を挙げたが、こうした点が、私は、日本と台湾とでは(根本的というと言葉が強すぎるかもしれないが)大きく異なっていると感じる。

さらに、面白いのは、実は『図書館から借りた本の扱い』というのは、私の知っている限りでは、台湾も中国も同じようである。

(どちらも、『性善説を前提としていない』という点で、どこか共通点があるのだろう。)

 

(07)

今、台湾の地震を受けて、いろんな人たちが台湾をほめたたえているようだが、台湾のスピーディな対応の背後には、こうした事情もあることは頭の片隅においておいても良いのではないかと思う。

 

それから、今回の地震で、民間団体等が協力して、いち早く、避難施設とか、屋外の避難設備などの設置ができたということが高く、評価されていた。

 

しかし、これなどが出来るためには、日本では一番、苦情が出そうな、『ボランティア団体などに対して、優先度などの設定をしておいて、どこが仕切って全体調整をするのか』などのルールをあらかじめ、決めておかなかれば、あれほどスピーディな対応は出来なかったという気がする。

 

日本のように、『何でも公平、平等』ということで、結局、行政がすべて『仕切る中心』に存在していないと、『何も動かすことが出来ない』という体制だと、今回の台湾のようなスピードは、決して求めることは出来ないだろう。

 

(08)

その他、台湾の独特の建物の構造(日本でも、そういったものを導入している地域があるのかもしれないが、要するに、一階部分を店舗、飲食店として利用しやすくするために、一階の建物を支える柱なり、壁を極力取り払ってしまうという『ピロティ構造』などと呼ばれている様式である。台湾では、法律の規定を超えて、さらに『耐震構造』が弱いままにしてしまっている建物が、各地でまだ残っているようである)なども、問題にされていた。

 

台湾は(これまた、中国と妙に似ているところがあるのかもしれないが)行政によって厳しく取り締まられない部分については、『金儲けのため』徹底的に、手を抜くという人たちが、一方では存在している。

(もっとも、中国のように『金儲けのため』に、実質的に有毒な食品でも、お客に食べさせてしまっても、『恥じることがない』という輩は、中国よりは、少ないかもしれない。)

 

こうした矛盾が、台湾において存在していることは、あまり台湾を過度に『美化』したりするのではなく、踏まえておくべき点だと思う。

 

以上、日本の世論の状況を見ると、何でも過度に美化したり、あるいはその逆で、過度に叩いたりする傾向があるので、ここで指摘しておきたいと思った。