3日の午前8時58分(台湾時間午前7時58分)に台湾東部の花蓮沖を震源とするM7.7の大地震が発生してから、2日半が経過した。

その全貌が、ようやく明らかになりつつあるので、この件についての記事を書きたい。

 

 

今回の地震は、当初、沖縄で津波襲来の警報が早期に発動され、それが台湾のこの地震に由来することで、多くの人々の注目を集めたように、改めて、台湾と与那国島など沖縄県との位置関係(いかに、台湾と沖縄とが近いか)、そしてまた台湾東部の反対側には、中国大陸が存在すること(日中そして台湾も含めた領土紛争が発生している尖閣諸島もまたその中間に存在している)などを、日本国民に知らしめるものだった。

 

現時点で、台湾における死者や負傷者等の状況は、次のようなものだとされている。

 

 

また、ようやく本日(5日)になってではあったが、(当初、『確認されていない』とされていた)日本人旅行者・40代?の女性とその母親が、太魯閣=タロコ=渓谷のホテルにおいて、被災して、台湾当局によって(他の外国人らとともに)保護されていたことが確認された。

 

彼女たちは、『日本人であるということで、特に大事にされた』と感じているようで、今回の被災体験で改めて、『台湾の人々の温かさ』に感銘を受けたというようなことを、テレビのインタビューのなかで述べていた。

 

ニュージーランド在住の日本人ということで、日本人の住み方というか生き方も多様化したのだなと感じる。

国際化ということは、こういう人たちがどんどん増えるということで、同時に彼女らは日本人としてのアイデンティティももっているようで、以前と比べると生き方が変化しているのは、間違いないと言えよう。

 

もともと、台湾には、非常に多くの日本人が観光に出掛けており(特に、男性よりも女性のほうが熱心なファンが多そうな印象を受けている)、今回の地震で日本人が誰も巻き込まれていないということは、むしろ『ありえないことではなかろうか?』とも感じていたのだが、やはり、そうだったのかと思った。

 

日本と台湾の間には、現在、国交がないため、『日本台湾交流協会』と『台湾日本関係協会』いう民間団体を通して、事実上の(通常の場合における)『領事業務』の代行を行っているのが実情であろう。

 

しかし、現に(国交が存在している)中国の場合でも、日本人旅行者はいちいち、中国に入ったり、中国を出るに際して、在中国の日本大使館(あるいは領事館)にその都度、届け出などしない人のほうがむしろ多いくらいだということを、私は、(自分自身の見聞きしたことを踏まえて)感じてきた。もっとも、最近の状態はわからないが…。いずれにしても、私が中国にいた時発生した『感染症さわぎ』の時に、日本領事館から派遣されて、上海近辺にいた日本人に説明にあたった『医療関係者』は、(最終的には)『自己責任で、各自の判断で日本に引き揚げてほしい』というようなことを言っていた。

 

他の外国の場合は、現在、どうなっているのか、ほとんどわからないが、いろんな有事(今後も、再び発生することが幾らでもありうると思われる、『感染症の拡大』なども含めて)において、そのようなデータ(保護すべき、自国民の数などの把握)はきちんと把握されているのか、あまり当てにならないものなのではないかということは、まず、踏まえておくべきであろう。

 

今回の大地震で、多くの日本人が感じたのは、台湾当局の対応の素早さであろう。

(現在、まだ執務期間の残っている)蔡英文総統など、ご本人が直接の『大地震対応の責任者』であるかのように、前面に出て、現地の状況の把握、あるいは対応する部隊?の把握、救援物資の支給等々、現地の要請を待ってというよりも、むしろ、先手を打ちながら、対応をしていく姿勢が目立っていたという気がしている。

 

こうしたことがなされたのは、一つには、今回の震源地であり、また最も集中的な被害が見られた台湾東部の花蓮県や花蓮市などは、ここ何年か、地震が頻発する要注意地域であり、また、太魯閣(タロコ)渓谷などの景勝地(ということは巨大な石の落下などの危険が容易に予想しうる地域でもある)は、人々の孤立、特に外国人を含む観光客の被災が予想しうる地域なので、台湾当局は、さまざまな『地震対策のシミュレーション』を前もって、作り上げ、その準備を怠らなかったのであろう。

 

なお、私自身は、2017年から2020年にかけて2年半ほど、台中市内にカミさんと一緒に住んでいた(もっとも、『観光客』として滞在していただけなので、しょっちゅう、日本との間を行ったり来たりせざるを得なかった)だけなので、残念ながら、今回、話題になっている台湾の東部地域には行ったことがない

 

むしろ、私の弟(彼も、既に『前期高齢者』にはなっているが)のほうが、私が台中市内に住んでいるときにも、日本から訪ねてきたし、また、高校時代からの友人で、『山歩き』などが好きな仲間もいるようなので、もしかしたら、登山姿とハイキング姿の中間位の格好で(何しろ、足腰だけは、私よりはるかに頑強であるらしい)、台湾の背骨を構成しているような『山脈』を踏破して、太魯閣渓谷とか、花蓮まで到達した経験がある可能性もありそうだ。

(私自身は、台湾の南方についても、『高雄』までしか行けていないから、台湾・最南端の地域=屏東や、台東、花蓮、宜蘭のいずれの地域にも行けていない。)

 

 

このように、台湾というのは、九州程度の面積で、台湾人が九州を訪問したら、彼らの旺盛な好奇心(それに、列車などが妙に好きな人が多い)でもって、九州一周など容易に成し遂げてしまうと思うが、私は、まだ台湾の一部しか知らない。

 

さて、こんなことをダラダラ書いていてもしようがないが、今回の素早い台湾当局の対応は、間違いなく、『台湾を自国の神聖な領土の一部』と称している中国=中華人民共和国政府の行動を意識しての対応であったと私は、思っている。

 

なぜなら、今回でも、このような不思議な記事がネットに出ているくらいであるが、北京政府は、スキがあれば、こうした事態において、『台湾同胞を救う』と称して、救援部隊=実際は『介入部隊?』を派遣してくる可能性だっていくらでもありうるからだ。

 

それを許さないためには、台湾の政権に、『台湾の人々を守る能力』が十分にあるということを、内外に差し示す必要性があったのだと思う。

 

特に、私がこれまでに知りえた限りでは、台湾東部地域では、意外と国民党(中国共産党に対して、奇妙な親近感を感じているらしい、台湾の最大野党である)の支持が強い地域もあるようである。

また、花蓮とか、太魯閣などはたしか、台湾の原住民のかた(といっても、何種類もの原住民がいるので、それらが皆、同じように動くわけではない)が多く居住する地域でもある。

 

そういう人たちの間には、台湾政府が、中国との間をもっとうまくやってくれれば、中国からの観光客も一挙に増えるであろうし、ビジネスや生活面でも利益を得られる可能性があるという理由で、(蔡英文政権の)民進党よりも、国民党を支持している人たちも多いらしい。

 

ともかく、少しでも、『内部矛盾』が存在している場合、共産党政権というのは、そうしたことに付け込んで、『対立』を煽り、自分たちに有利な状況を作り出す、そのようなテクニックにかけては(毛沢東以来の伝統?で)非常にたけているようだ。

こうしたこともあって、台湾政府は、いわばしゃかりきになって、『国難への対応』『スキを見せてはならない』という強い意識で、今回の『地震対応』を進めたのではないかと思う。

 

彼らにとっては、最悪の場合、いわゆる『台湾有事』のきっかけともなり、北京政府による『台湾同胞の救援のため』と称して、さまざまな物資、人員を台湾に派遣してくることにもつながりかねない、『危険な状況』『切迫した事態』であったのではないかと、想像する。

 

この件に関しては、さらに台湾の法律の仕組み等々が、日本と全く異なる状況にあることなど、いろんな話というか背景もあるのだと思う。(台湾は、日本のように『性善説』を前提とするような法律ばかりではなく、かなり現実的な対応をしているような気がする。)

そうした点についても、さらに書いて行きたい。

(つづく)