昨日の記事で、『花粉症らしき症状』で具合があまり良くない旨、書いた。

その結果、本来、映画『オッペンハイマー』を29日の公開初日に、カミさんと一緒に見ようかと言っていたのだが、いつ見に行けるか、まだ目途が付かない状況である。

 

何せ、正味、3時間もあるらしい映画である。

『咳がいつ出るかわからない』というような状況では、映画館に入る気がしない。

(何事も、慎重というか、臆病な)私としては、一度、『国立映画アーカイブ』あたりで(まあ、渋谷の『ユーロスペース』あたりでも良いのだが)、90分くらいの普通の長さの映画を見て、『これなら、3時間の映画に挑戦しても大丈夫だろう』という目途をつけてから、その後、映画『オッペンハイマー』を見に行きたいという気分である。

 

それに、この映画、実は内容についても不安を感じている。

映画『オッペンハイマー』のアメリカ人の評価を知りたいのが目的で、今年の『アカデミー賞授賞式』を見るために、WOWOWを今年もまた契約した。

 

既に、3月も末になったので、WOWOWのほうを解約したいところだが、例によっていろんな物事の整理が悪くて、ネットで簡単に解約が出来ない。

 

結局、WOWOWのオペレータに『解約を申し込む』ために、先方からこちらのスマホに電話を入れてもらう、その日にちを、申し込むという、やや迂遠な手続きを、本日、ネットで行った。

 

4月の5日に、その日程を設定(その前は、オペレータのほうの日程が既に埋まっているということだった)するところまで、かろうじて今日行ったので、恐らく今月末までは、WOWOWとの契約が続き、来月からは視聴料も支払う必要がなく、また、WOWOWを見ることが出来ないという状態になるのだろう。

 

本来、自分でネットでてきぱきできれば、一か月分の2000円プラスアルファが無駄にならないはずなのだが、かなり、ずぼらな性格なのでしようがない。

(人間の性格は、なかなか治らないし、他の人の状況を見ても、むしろ加齢とともに、『欠点が拡大する』というのが、普通の状況のようだ。)

 

さて、映画『オッペンハイマー』については、『とんだ食わせ物?の映画ではないか?』『オッペンハイマーと、いわば敵役である??物理学者とをイークオルの存在として描き、どちらをひいきする人は、皆さんの選択にまかせます』という風に逃げる『戦法』なのではないか?という気が何となくしている。

(もっとも、今回、アカデミー助演男優賞を受賞したロバート・ダウニー・ジュニアの演じているのが、もともと誰をモデルにした役なのかも、よくわかっていない状態である。)

 

そうでないと、あれほど『原爆が好き?』というか『原爆は、大勢の米軍兵の命を救った』という神話を放擲することのできないアメリカ国民が、相当、存在しているらしい状況で、アメリカでヒットすることは出来なかったのではなかろうか?、そんな気がしている。

 

それに、この映画が『原爆』をどのように描いているにせよ(原爆投下後の、広島、長崎の状況を描いていないらしいことは、既にはっきりしている)、もともと、現在の日本国民の多くは、それほど、『広島、長崎への原爆投下』について、『こだわり』を持っていなさそうな気がしている。

(恐らく、一定年齢以下の人たちにとって、『原爆投下』というのは、私たちの世代が、『日本の戦国時代のことを考える』、その程度の時代感覚ではなかろうかという気さえしている。)

 

そうであるとすれば、映画『オッペンハイマー』がどのような作品であろうと、それを見るために、わざわざ映画館まで出掛ける人は、それほど多くないのではなかろうか?

そんな気もしている。

 

仮に、この『仮説』が当たっているとすると、この映画の上映館は、どんどん少なくなっていくのでは、という気がする。

 

5月の頭までは、やっているだろうけど、5月の第二週、第三週になると上映打ち切り(あるいは上映回数を極端に減らしてしまう)映画館が続出するのではなかろうか?

 

まあ、これは当たるかどうかわからないし、そもそも、どんな映画なのか、まだ見ていないので、(アメリカの『アカデミー賞授賞式』での取り扱い方だけでは)何とも言えない。

 

さて、ここで話を転換すると、先日、最終回を迎えた連続テレビドラマ『不適切にもほどがある』はなかなか、面白かった。

 

私は、第一回と第二回を見て、『すばらしく面白い』と思いながら、『さて、このドラマ、どのように終結させるつもりなのか?』やや不安を感じていた。

 

何しろ、阿部サダヲが演じる、野球部員の生徒たちにケツバットをくらわすのが『生きがい』みたいに感じている、どうしようもない体育教師(小川市郎という役名)が、タイムトラベル現象?によって、平成、令和?を行き来するというドラマである。

 

だが、さすがは、『クドカン』というべきか(というよりも、このドラマは、磯山晶プロデューサー=女性のかたである、クドカンをいわば発掘?したことで有名=を含めて、『チーム・クドカン』でアイデア出しを行いながら、作った作品のような印象を受ける)、うまい決着の仕方をしたという印象である。

 

 

あまりにも、このドラマには感心させられたので、また、明日にでも『感想と紹介』の続きを書くことにしたい。

 

今夜、もう一度、最終回というか、最後の二回分くらいを見直してみようかと思っている。

(つづく)