このブログ、考えてみると(3月18日以来だから)10日ほど更新していなかった。
それは、私が体調を崩してしまったせいで、実は、いまだに『花粉症のせいか?』理由不明のまま、ほとんど外出できない状態が続いている。
何しろ、やたら咳が出たり、鼻水をたらしたり、くしゃみなど(風邪っぽい)諸症状が抜けないもので困っている。
でもその間、名古屋から孫娘二人が訪ねに来てくれた。彼女らの『受験戦争の結果の報告』を兼ねて、(一昨日=26日、日帰りでやってきたのだが)それでもうれしいものである。
その時だけは、体調が悪いながらも、アフタヌーンティーのセットを彼女らが食べつくすのを、見学?するなど、同席して過ごすために、かなり値段の高いコーヒーショップまで出掛けたものだ。
(その時の顛末は、また、別の記事にでも書くことにしよう。)
それから、この間まで、ここの記事にいろいろ書いていたように、『日本アカデミー賞』とか『アカデミー賞』の行方、あるいは『映画オッペンハイマー』とはいかなる作品なのか?などについても注目してきた。
ところが、上記のように、ほとんど家にいる状態なので、いろいろ話題になった映画など、全くと言ってよいほど見ていない。
(『オッペンハイマー』も映画館で咳が止まらない状態だと出掛けられないので、映画公開自体は、29日のはずだが、いつ見られるのかわからない状態だ。)
この2週間くらいの間に、いろんなことが起きているが、世界の戦争は、むしろ拡大の傾向を見せている。プーチンをはじめとする独裁者たちも、かれらの敵を(暗殺など)多様な手法で抹殺をしたりしているが、今のところ、罰せられたりはしていない。
(だが、プーチンなど倒されるときは、『瞬殺』になってしまう可能性があるので、私自身は、『プーチンの立場』となど入れ替わったりするのは、絶対に『御免』である。こんなことをついつい書いてしまうのは、『不適切にもほどがある』など、SFっぽいテレビドラマを見過ぎたせいかもしれないが…。誰も、『プーチンと入れ替わる』ことなんか、普通、考えないものだが…)
この2週間の間に劇的に変わったのは、『大谷選手を巡る報道ぶり』と、『紅麹という悪役?の新星』が登場したことくらいだろうか。
(相撲界でも、思いっきり、いろんなことが起きているが、これは、別の記事で取り上げたい。)
この2つの件は、こじつけのように受け取られるかもしれないが、実は共通しているところもあると思う。
大谷選手の活躍ぶりについては、『久々の明るい話題』として、ほとんどすべての(日本の)メディアがこのところ、『称賛ばかり』という不思議な状態だった。
共通していたのは、大谷選手の活躍ぶりを見て、『日本人として誇らしい思いがする』というコメントばかりだという点で、特にそういうコメントをカメラを向けられて繰り返す人たちが、あふれている(もちろん、そのように言ってくれる対象者を撮るために、アメリカや韓国や日本各地に出掛けたりしているのだろうが…)のを見ながら、何となく危なっかしい感じも受けていたものである。
(危なっかしいというのは、大谷選手が危なっかしいというよりも、どうやら、こうした機会に『日本人として誇らしい思い』を取り戻さないと、『自己肯定感をあまり持てなくなっている?』ようにも見える人たちの状態のほうが危なっかしいと感じたということだ。)
何となく、そのように感じていたら、今回の事件が起きた。
もっとも私は、大谷選手にまつわる事件を『予感』していたものでも何でもなく、最近では、カミさんを相手に、『あの将棋の藤井聡太君が、悪い女に引っかかったりすると、ブラック聡太になるのでは…』などと、くだらない冗談を言っていたくらいである。
こんな事件は、全く予想していなかった。
そうしたら、今回のようなことが起きた。
しかし、これは『自分たちの商売』のために、過度に大谷選手を持ち上げ、それとの関係で、通訳に過ぎない一平さんまで持ち上げて見せた『日本のメディア』などの共同での加害と言えないこともないだろう。
(一平さんは、『褒められる』ひいては『英語の教科書にまで登場する』割には、自分の給料が、大谷選手とバランスがとれるまで引き上げられるわけでもなく、彼なりに心理的なジレンマ、ストレスに悩んでいたのだろう。)
それに、『日本のメディア』が大谷選手の周りに『金魚のふん』のように付きまとうだけで、かえってアメリカの『愛国的な人々』のほうでは、『ベーブ・ルースの栄光』まで奪いとろうとする、日本人たちのふるまいに対して、『対抗的な反発』を感じたり、そうした感情を煽るような報道を求める側に走ったりしても、不思議のない部分もある。
いずれにしても、(私などから見ると)大谷選手も、いわば『専門馬鹿』『野球オタク』に過ぎず、自分の野球の能力をあげること以外に、(ほとんど)関心はなさそうである(だからこそ、優れた成績を上げるのだろうけど…)。
今回の『事件』を見ても、大谷選手を守るためのスタッフ、とかチームの体制に弱さがあったような気がしないでもない。
もっとも、『一平さん』という最も内側の部分に『矛盾』と『反発』『裏切りの芽』が育っていた場合、それは何とも対応しきれないところがある。
大金持ちが、自分の持っている金額があまりにも大きすぎて、もともと親しかったはずの人が、いつのまにか、ひそかなストレス、不満、『裏切りの芽』を育てていても、それに気が付かないのは、『よくあること』なのかもしれない。
結果的に、大谷選手も『一平さん』もこうした『感動を求める日本の世論』とか『ほめるしかしない日本の報道』に持ち上げられ、(よくあることではあるが)今度は、『手のひら返し』に『その甘さ』を追及する『報道姿勢』に批判されるという局面に入っているようだ。
私など、野球もスポーツもほとんどわからないので、『あきれるばかり』だが、『アメリカへのあこがれ』とか『世界進出へのあこがれ』など最大限、『夢を膨らませる』ようなことばかり掻き立てて、その後、『アメリカは怖い』『世界は怖い』などと強調するのであれば、日本人は今後、ますます『内にこもる』ようになってしまうことだろう。
こうした態度こそ、はなはだ『教育的ではない』という気がする。
むしろ、今回の問題など、『法律と制度の問題』『人々が抱えている人種的な潜在意識』『歴史で積み重ねられているいろんな意識』『お金をどのように扱って、その魔力に押しつぶされないようにするか』などについて、いろんな教訓が含まれている問題だと思う。
アメリカが州によって法制度が異なっていること、いろんな差別が裏にあって、決して理想社会ではないことなど、常識として知っておくべきだろう。
『一平さんのような心理』というのも、『ギャンブル依存症』を含めて、決して特殊なものではなく、『よくある話』だろう。
そういう意味では、今回の『一平さんの失敗』あるいは『大谷さんのうかつさ』というのは、むしろ、『ケース・スタディ』として、そこから大いに学ぶべき対象であろう。
『一平さんの話』を英語の教科書の素材として採用するという話があった(今回の事件で、それは没にな
る?)があったが、むしろん、今回の事件を機に、生徒さんたちが、『本音での議論』を行うための、素材に今回の事件を転換してしまうことが出来れば、それこそ、『生きた教材』『生きた授業』になるのではないか?という気がしている。
そういういっ意味では、大谷さんや一平さんを素材とする英語教材は、本来、『没』にすべきものでは決してない。
むしろ、それをうまく活用できれば、最も生徒たちに注目される【英語教材】になりうる可能性すらあると思う。
なお、今回、『紅麹』の件も、ここで合わせて書こうかと思っていたのだが、字数オーバーになってしまうので、『紅麹』のほうは、『後篇』で取り上げるつもりだ。
(つづく)