一昨日(11日)、朝からWOWOWで、第96回アカデミー賞の授賞式を見ていた。

というよりも、この授賞式を見るために、WOWOWの契約をしたのだが…。

 

私が、今回の授賞式を見たいと思ったのは、「オッペンハイマー」という映画が、話題になっていて、そもそもどういう映画なのか、やはり自分自身で視聴して見ないと判断がつかない部分があるのだけど、それを知りたいと思ったのと、この映画に対するアメリカでの受け止め方が、どういうものなのか知りたいと思ったからでもある。

 

で、結局、一昨日、一日見て(もっとも、途中に結構、ウトウトしてしまっていて、おまけに初回見た時は、格好をつけてなるべく英語のままで中身を理解しようと、同時通訳を避けながら見ていたもので、ほとんど内容がわかっていなかったのだが…)、午後9時ころから放送された、「完全字幕版」というのも見たのだが、結局、どういう映画なのかよくわからない、という結果に終わった。

 

そもそも、この授賞式自体が、ハリウッドのドルビー・シアターというそれほど大きそうにも見えない場所(収容人員は、2000人規模だろうか)で行われた。

 

時間も、午前8時過ぎから始まって、11時半くらいには終わっていたと思う。

それほど長い時間ではない。

なんだ、この程度のものだったのかと、私も、何となくほっとさせられた。

 

ただし、この授賞式を見ていても、「オッペンハイマー」という映画自体の正体はよくわからなかった。

(その理由は、今後さらに説明するつもりだ。)

 

この映画、日本では3月29日(金)に公開が予定されている。

私も(3時間近くも上映時間がある映画であるが)、公開されたら、(カミさんと一緒に)映画館に見に行こうと話している。

 

さすがはハリウッドも「商売がうまい」(そもそも、その商売のうまさで、世界的なシェアを獲得してきた業界だったと思う。以前も、そしていまも、「セックス」「スポーツ」「スピード、つまりアクションだったか」などを売りにするビジネスモデルで、世界を席巻してきた業界でありながら、最近では、それとまっこうから反するような「多様性」「政治的正しさ」といったものも、商品ラインに拡充しようとしているように見えて、その厚かましさには、度肝を抜かれるところがある)。

 

男らしさ、女らしさを過度に強調する服装のスターたちを全面に出して、一向に引っ込めるつもりもないようだ。

つまり、従来の「セクシュアリティ」の過度の強調もハリウッドの「商品」であり、同時に「反ハリウッドっぽい」運動や活動家たちも同じくハリウッドの「商品」の一部として存在している(ようだ)。

 

こういう矛盾を平気で放置しているところが、いかにも『ハリウッド流』である。

 

今回、授賞式を見ていて、一番、特徴的だなと思ったのは、授賞式の司会者をやっていたジミー・キンメルというコメディ俳優のしゃべり方である。

 

彼は、極めて下世話な話し方をしていて、それは決して、「インテリたち」が表で自らの教養の高さを示さんがための、話し方とは異なっていたような気がする。

(あえていえば、ゴシップまみれの話し方であり、『オッペンハイマー』で助演男優賞を獲得したロバート・ダウニー・Jrに対して、『ああ、ドラッグで身を持ち崩した人ね』『立ち直ったって、本当なの』と平気で示唆するトークをしてしまうような、ふてぶてしさでもある。)

 

『アカデミー賞』というのが、上流階級の人たち、あるいはインテリのものだけではない(仮にそうであれば、幅広い関心を獲得することはないだろう)ことは、今回の授賞式でも、真っ裸に近い男が、舞台を駆け巡るギャグ(今回は、イチジクの葉が落ちそうになって、舞台の上で立ち尽くすというギャグになっていたが…)などが、満員の観衆の注目を惹きつける『手法』になっていたことからも明らかだろう。

(日本でいえば、『昭和の流儀』と揶揄されるような手法が、堂々と命を長らえている。ダブルスタンダードなど、平気の平左の世界であろう。)

 

それに、今回の授賞式で最も盛り上がったのは、司会者のジミー・キンメルが、トランプを徹底的にけなし、こけにするようなギャグを披露した瞬間のように見えたのも象徴的だった。

 

ジミー・キンメルは、授賞式の最終局面、(いよいよこれからが、最後の頂上へ向けての『登り切り』という場面において)、自分を徹底的にコケにする旧ツイッター(x)の投稿がアップされているとして、それを読み上げ、最後に『メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン(MAGA)』というトランプのお決まりのセリフを紹介した。

 

それだけでなく、『あっ、トランプ大統領からの投稿だ』、『なんだ、彼は刑務所に収容されているのじゃなかったのか』とまでやって、こき下ろしたのだから、ドルビー劇場はどっと沸いた。

(そもそも、この投稿というのは、いわば『フェイク投稿』だろう。トランプがまじで怒れば、刑事訴追だって試みる可能性もあるのだろう。トランプ陣営に対する『エサ』ともなりうるような挑発的なギャグだ。)

 

特に、その直前にほぼ50年前(1976年公開)、『ロバート・デニーロ』とともに、映画『タクシー・ドライバー』に出演して、話題をふりまいたとして、紹介されたジョディ・フォスターが、(このジミー・キンメルのギャグに)ものすごくうれしそうな反応を示しているのが印象的だった。

上記の写真は、一般的な表情をうかべているところ。このような年配の女性が、歓喜の表情を浮かべているところを想像してほしい。

 

彼女は、根っからの『トランプ嫌い』であることは間違いがない。

(ちょっと付け加えれば、映画『タクシードライバー』では、もともと大統領選の候補を目指す国会議員をロバート・デニーロが世の中の大掃除』の一環として暗殺しようとしていたのだが、手違い?により最終的に、彼は『英雄』として人々に称賛されることになっている。何とも、今日の時代状況につながっているような不気味な映画である。)

 

こうした『やりとり』は、『ハリウッドがいかに、トランプを嫌っているか』(トランプがハリウッドを嫌っていることの裏返しの現象なのだろうけど)を示すものだった。

 

 

しかし、『反トランプ』でハリウッドがまとまるということは、逆に言うと、それ以外のことでは、ハリウッドにおいても、深い分断が見られるということではなかろうか?

 

現に、ジミー・キンメルのトークのトーンというのは、『性差別』とか各種の『ハラスメント』などに関するアメリカの倫理基準(あるべき姿の模索)といったものが、『ハリウッドあるいは、アメリカ西海岸』においてすら、深い分断が存在し、『本音と建て前』の重大な亀裂が存在していることをうかがわせていた。

 

ある意味では、日本のテレビドラマ『不適切にもほどがある』どころではない、『不適切さ』『自己矛盾』をかかえながら、平気で商売を続けているというのが、『ハリウッド』なのだろう。

(つづく)