本日の日中、アップしたこの記事の前篇をもう一度、読み直し、さらに雑誌『キネマ旬報』の昨年(2023年)2月下旬号をもう一度、読み直したりしてみた。

 

 


というのは、私は、そもそも岸井ゆきのさんの映画『ケイコ 目を澄ませて』という作品を、実際には一度も見ていなかった。
昨年の『日本アカデミー賞授賞式』においても、彼女が『最優秀主演女優賞』を獲得して、(おそらくこの時も、頭が真っ白になった感じでなのか)『皆さん、ともかく、映画館でこの映画を一度、見てください』と訴えたのを聞いていた。

そのころは、実際、いわゆる『名画座』とか『ミニシアター』などというところで上映がされていたにもかかわらず、何となく、その映画を見た気になってしまっていた。
(スピーチを聞いたときは、『行かなければ…』と思っていたのだが…。)

それどころか、その後、たしか『BS』とか『WOWOW』(これは、時々しか契約していないのだが)などでも放送されていたような記憶もあるのだが、それすら見に行かなかったという、『気の変わりよう』だった。
つまり、このブログで、ときどき、『日本人のこころ変わりのしやすさ』などをぼやいたりしているのは、大抵、自分のことを念頭に置きながらの話である。

それで、改めて、岸井ゆきのさんが<2022年第96回 キネマ旬報ベスト・テン&個人賞>が発表されているこの号で、大きく取り上げられていた記事を読んでみた。


大抵、映画を見た直後だと、その映画に関連した記事など読んだりするが、『そのうち映画を見るつもり』という場合は、こうした記事もあまり熱心に読まないという、悪い癖が私にはある。
(この映画は、日本国内では、2022年12月16日に公開された。その前にも、第72回ベルリン国際映画祭を皮切りに各国の映画祭から招待を受けて、上映されていたらしいが…。)

それで、この『キネマ旬報』の特集の岸井よしのさんや『ケイコ 目を澄ませて』に関する記事を読むにおよんで、(一度は、『映画館で見なければ』と思いながら、一年以上にわたって放置し)『映画館でもは、おろかその他の手段ででも』だ見ていなかったことに直面することになった。

結局、私が書いた『前篇』の内容を、自ら修正、訂正しなかればならないという格好が悪い話になってしまうのだけど…。

それに、(いつもの)私流から言うと、この『キネマ旬報』の記事に(本来ならば)修正しなければならないようなところもあるのかもしれない。

<彼女は、永年、売れない女優さん(舞台がメインの人)だったのだが、昨年の『日本アカデミー賞』で最優秀主演女優賞を獲得してしまったために、恒例により、今回の司会を羽鳥慎一アナウンサーとともに務めることになった。
(この流儀を貫けば、来年は、安藤サクラさんが務めるということになる。)
ところが、岸井ゆきのさんは、日ごろ、『バラエティー番組』に出たりするようなタイプではなく、最優秀助演男優賞の役者さんたちのインタビューを行う場面で、緊張はマックスになってしまい、上記記事のような状態になってしまった。

これなどは、過去に同様な『失敗の極み』の経験のある女優さんなどが何人もいる(しかも、二回目以降は、『自分の持ち味』を生かしつつ、司会等をこなしている)ことから、『経験のないことをいきなりやるのは無理』というのは、『ある種の常識』だと思われる(しかも、映画の場合は、『リハーサル』とか『撮り直し』をするのが当たり前でもある)。
それでも、意地悪なコメントを書く人たち(しかも、『日本アカデミー賞』の仕組みも全く知らないのに)はいくらでもいるものだ。>

こんなことを書いてしまっていたのだが、キネマ旬報の記事によれば、岸井さんがこの映画に出演したのは偶然ではない。
<そもそも同作は、三宅唱が監督に決まる以前に、岸井ゆきの主演の企画としてスタートしたものであり、彼女が背負うものは我々が想像するよりはるかに大きかったはずだ。その期間は撮影前から他の仕事を入れずにボクシングのトレーニングに集中し、厳しい糖質制限や筋トレ、増量などの体づくりにも本格的に取り組んだ。>

また、キネ旬の同号では、同じく個人賞として助演男優賞を獲った三浦友和さんがインタビューに応じている。


三浦さんは、聾唖の実在の元プロボクサー、ケイコ(本名は小笠原恵子さん)が所属するボクシング・ジムの会長の役を演じていた(小笠原恵子さんの書かれた自伝『負けないで!』というものを原案にしつつ、この映画の脚本は完成された。もっとも、三浦友和さんも、現場で『自分の提案』を監督に進言?し、それが取り入れられたところもあるともいっている。『やはり、映画は監督のものなので、あまり差し出ましいことはできないし』、出来上がった作品を見て、『あ、こんな映画になったんだ!』と驚きを感じるのが、楽しいようだ。


三浦友和さんの話を読むだけでも、三宅唱監督というのは、他にないユニークさを備えた監督らしいということがうかがえる。
三浦友和さん自身、新しい魅力ある監督というのを、探し当てて『ともに一緒に映画づくりをしたい』という気持ちを忘れていないようである。

映画では、岸井よしのと三浦友和の関係(ボクサーとジムの会長との関係)=しかも彼らは、『手話』で意思を交換しあうのではない、別のコミュニケーション手段をとるのだという=もまた話題だったようであるが、それはどのようなものだったのか、私は映画を見ていないので、わかっていない。

そのほか、このキネ旬の記事を読んだだけでも、岸井ゆきのさんの『映画づくり』に懸ける決意が伝わってくる。
(その他、彼女と安藤サクラさんとが、同じ事務所の所属であること、今回のキネ旬の『個人賞』獲得について、『キネマ旬報ベストベスト・テン』は『特に事務所の先輩である安藤サクラさんが柄本祐さんと一緒に主演俳優の賞をとられた2018年度が印象に残っていて、二人が写っている表紙を見ただけで感動しましたね。なのでとっても、うれしかったんですけど、自分にとっては、非常に重たい賞をいただいたなと感じています』と語っている。)

こうした内容を見ても(その他、いろんな役者さんと岸井ゆきのさんとの関係など)彼女が、とても意思が強く、修羅場を乗り越えながら、成長を続けてきた様子がうかがえる。
ある意味では、彼女の『ふわっとした雰囲気』に騙されてはイケナイという気もする。

だからこそ、彼女は、昨日の『日本アカデミー賞授賞式』においても、最初の失敗ののちに、しばらくするとすっかり立ち直り、『むしろ、会場の注目を一身に集めるため、あるいは授賞式に来ている映画人たちの間の『結びつき』を強めるために、わざとパニックの演技をしたのではないか』とすら思えるほどの、『変身ぶり』を見せつけていた。



それに、一部、彼女のインタビューミスにより相手の磯村優斗さんに『ケチをつけた』『迷惑をかけた』という印象を受けた映画ファンもいたようだったが、私はむしろ、最近話題のテレビドラマ『不適切にもほどがある』で『ムッチ先輩』と『秋津くん』の一人二役を演じている彼の、別の極めて真面目で真摯、怖いほどピュアな一面を見た気がした。

磯村優斗の別の一面が見れて、『トクをした』という思いの映画ファンも多かったのではないか?

 

そういう意味では、岸井ゆきのさんは、映画人たちの『真面目にもほどがある?』というピュアな世界(それはそれで、『狂気』に通じる面があるわけだが)をはからずも引き出して見せた、触媒的な役割を果たしたといえそうだ。

(並みの、手慣れた司会者たちのなしうる業ではない。)


まあ、これも、単なる『憶測』、彼女の仕事ぶりに対する『感嘆』の現れにすぎない。
このシーンなどを逆にもう一度見て、確認したくなって、『授賞式完全版』の受信契約(3月17日以降観ることができるようになるらしい)などをしようと思う映画ファンも出てくるかもしれない。
そうすれば、各最優賞獲得者のスピーチなどももっと長時間楽しめるようになるのだろう。

 

受賞した映画人たちは、ハリウッドにならった?陳腐なセリフ(日本流では、『今後も精進して、この舞台に再び戻ってこれるように努力したい』みたいなことを言わなければならないことになっている。馬鹿馬鹿しいくらいの無味乾燥なセリフである)を言う習慣になっているらしいが、しかし、最近ではもっと面白いことを、事前に用意してきて、その場にこみあげてきた感情も含めて、興味深いスピーチを用意してきている人も出てきている。

 

テレビ放送向けの『簡易バージョン』では、それを刈り取ってしまって、その人の努力が映画ファンたちに届かないようにしてしまっているのだが、『フルバージョン』では彼らの努力の成果をそのまま、見ることが出来る。

 

こっちのほうが面白いのは、間違いがない。