昨日(2月27日)、午後6時半から1時間強。

自宅から、さほど遠くない、青葉区江田のキリスト教の教会で行われた、『ウクライナ支援のコンサート』に出掛けた。

 

これは、『東京新聞』とか地元のタウン紙『タウンニュース』等に記事というか、案内が出ていたので参加したもの。

 

私は、キリスト教徒ではないし、この教会には行ったこともなかった。

ただし、こんな案内が出ていたので参加してみた。

 

 

やはり、知らない教会(まして、信じている宗教のものでもない)に足を踏み入れるのは、やや(というかかなり)躊躇を覚えるものである。

 

と言いながらも、昨年、長崎を訪れた時は、『原爆の被爆関係の場所』ということで、少なくとも二カ所くらいは、『天主堂』と呼ばれるカトリックの宗教施設に足を踏み入れている。

(そういう意味では、我ながらいい加減だ。)

 

今回は、『ウクライナ侵攻から二年』ということで、このコンサートが開かれたという趣旨のようだ。

 

あいまいな表現をとっているのは、そもそも、この催しの主旨について、『案内文』等にも必ずしも明確に表現されていなかったからだ。

 

『ウクライナ支援のコンサート』あるいは『ウクライナ人ならびにウクライナに心を寄せる音楽家が演奏する』といったことしか書かれていなかった。

 

それで、私は、東急田園都市線『江田駅』(私の最寄り駅『たまプラーザ駅』から各駅停車で、3つめの駅。そこは各駅停車しか止まらない地味な駅でもある)に夕方6時前に降り立った。

 

ここは、以前から、『園芸』の趣味で『苗』とか『園芸用品』を買うために、近くの『島忠』にたまに行く程度の縁しかない場所である。

(それ以外にも、病院で受診するために、出掛けたことはあるが…。)

 

会場は、教会だったし、しかもえらく場所のわかりにくいところにあった。

教会というのは、その宗派によっては、周辺住民にもその存在がわかるように、大きく看板その他を表示してあるところもあるのだが、ここはまるでその正反対である。

(隠れキリシタンでもあるまいに…、という感じ。)

 

夜だったせいもあるが、(この集会のための)案内人も全く立っていないし、また電柱などに案内の掲示が貼られているわけでもない。

 

恐ろしく地味な集会だった。

(私などは、『案内の掲示』だけでもしてあれば、『ああ、日本でもこんな地域でウクライナ支援の活動をしている人たちがいるのだな』とわかって、何らかのアピールになるのではとついつい、考えてしまう。この集会を企画した人たちは、かなり神経質というか、『いろいろ配慮』して主張をおさえている、という印象を受けた。)

 

それで、ようやくこの教会に到着した(何となく、そういう所に行きそうだなという雰囲気の人の後に着いて行ったら、到着した)。

ちなみに、ネットでこの教会のホームページを見ると、アクセス(ルート)が地図で示されてはいた。ただし、それは妙にわかりにくいものだった。

 

写真と言葉で説明が出ているのもあったが、それはそれで妙に細かすぎて、かえってわかりにくいのだ。

(私は、どうせ、道中に案内人がたっていたり、あるいは少なくとも電柱等に、『この道です』みたいな掲示がなされているものと思い込んでいたので、あまりこうしたネットの案内をよく見ないで、家を出たのだが、こうした案内等が何もないらしいとわかった時は驚いた。)

 

まあ、結局到着することは出来たのであるが…。

(自分自身と同じような年配で、何となく、こうした集会に参加しそうな二人連れの後ろをついて行ったら、到着することが出来た。)

外観は普通のビルとあまり変わりのないような建物が、会場の教会だった。

 

ここは、田園江田教会というところだった。

開演は、午後6時半からということで、到着したのは、午後6時10分くらいだったか?

 

私は、スマホを使って、参加者情報などを登録して事前に申し込んでいたので、席は確保されていると思い込んでいたのだが、実際は、普通のビルの2階の一角にあった教会(外からは普通の集会室に見えるような作りになっていた)は、すでにほぼ満員状態で、あふれた人たちがそのホールみたいなところの外側の椅子に座っているという状態だった。

 

それでもやはり、事前に申し込んだ効果はあって、比較的前のほうの通路際の席に座ることができた。

 

当日、渡された資料はこれだけ。

えらく少ないという印象だった。

何か、パンフとか資料を会場の外で販売しているのかと思ったら、それもなかった。

 

時間になったら、先ほどのプログラムに沿って、演奏がいきなり始まったという印象だ。

その前に、多少、挨拶みたいなものもあったが、この教会の牧師みたいな人は登場せず(お身体の調子が悪いという話だった)、教会の信徒の代表みたいな人が少し話した。

 

主催 ウクライナ横浜基金 代表 シャポワーロ・レオニードさんというチラシに写真が出ている人が、この日、集まっていたウクライナ人の代表ということらしかった。

 

彼は、ウクライナの首都キーウの出身で、たまたま日本に仕事か何かで来ていたらしいが、2年前のロシアによる『ウクライナ侵攻』が本格化してしまい、ウクライナに帰ることができなくなってしまったらしい。

そこで、ロシア国立グネーシン音楽院卒業のピアニストで、各種コンクールで優勝など優秀な成績をおさめていることから、今回、ウクライナ横浜基金という団体を立ち上げ、チャリティーコンサートを開催しようといいうことになったらしかった。(これは、いろんな媒体に載せた記事などの情報をまとめたもの。)

 

このチラシにしたがって、レオニードさんと(他のチラシにも顔写真の出ていた)バイオリニストの澤田知恵さんの二人が合奏するという形で、コンサートは進められた。

 

澤田知恵子さんは、かねてから日本ウクライナ芸術協会の代表として、日本とウクライナを結び付ける活動を展開していた(横浜市青葉区在住とのこと)。

(レオニードさんと同様に、ロシア国立グネーシン音楽院卒業である。彼女も各種コンクールで優秀な成績をおさめ、以前から横浜市を拠点にしながら、活躍している。)

 

私は、音楽については、ほとんど何もわかっていないので、二人の演奏がどのくらいのものだったのかは、率直にいって良く分からない。

 

ただし、会場が、もともとビルの二階の(普通の会場)に過ぎないといった趣のため、二人とも演奏がしにくさそうだなとは感じた。

 

ピアノは、グランドピアノではなく、普通の?ピアノだった。

澤田さんは、この日、能登の被災者たちを支援するという趣旨のコンサートで、演奏を終えてきたばかりというらしくて、お疲れのような印象を受けた。

(後で調べたら、どうやら当日は、城南信用金庫で開催された、能登の被災者支援コンサートとのはしごだったらしかった。)

 

曲目の解説はほとんど何もなされなかったので、(音楽にうとい)私は途中でどの曲を今、演奏しているのか、わからなくなってしまうこともあった。

 

ただし、聴衆の人たちは、かなりの熱狂ぶりだった。

 

残念だったのは、レオさんのウクライナの状況を訴えようとする話が、すべて日本語でなされていたので、(ちょっと失礼な表現になってしまうが)話がイマイチ、わかりにくかったことだ。

むしろ、ウクライナ語でお話をされて、どなたかが別途通訳にたたれたほうが、わかりやすくなったのでは、という気もした。

(私は、ウクライナ語というのは、ゼレンスキーの演説くらいしか知らない。しかも、彼はもともとロシア語が日常的に話されていた地域で育っているので、必ずしもきれいなウクライナ語ではないといった話を聞いたことがあった。

それで、ゼレンスキー大統領以外のウクライナ語というのも聞いてみたかった。)

 

だが、日本に住んでいる外国人が、日本語でしゃべりたいというお気持ちの場合、『母国語で話してほしい』と強要するのも、むしろ失礼な話になってしまうことだろう。

 

もっとも、レオさんが日本語でお話をされる際に、ヨーロッパの幾つかの国の国名を出され、彼らは、ウクライナを積極的に勝たせようとはしていない、『今、武器が枯渇しつつあって、そこが最大のピンチであるにもかかわらず、ウクライナに武器を送ろうとしていない』と静かな口調であったが、結構、ストレートな糾弾を浴びせていた。

(もっとも、それらの国名を私は、きっちりメモを取ったわけではないので、どこの国が対象だったのか、はっきりとはいえない。)

 

この集会には、いろんな立場の人たちが参加しているという『了解』のもとなのだろうか。『戦況』についての詳しい説明はなかった。

 

また、コンサートの収益も、全額、チャリティ資金として、ウクライナ側に送られるということで、どのようにウクライナを支援すべきだというような話も出なかった。

(もしかしたら、『武器をもってでも戦うべきだ』『軍事的支援もすべきだ』という意見と、『日本国憲法の立場からすると停戦をまず呼びかけるべきだ』といった意見の対立の噴出を恐れていたのかもしれない。)

 

正直言って、そこに多少の物足りなさを感じたのも、事実である。

(私としては、もっと情報がほしいし、日本にいるウクライナ人の間にどのような考えがあるのか知りたい気持ちがあった。もちろん、一口にウクライナ人と言っても、立場、境遇、ウクライナにどういう人たちを残しているかによって、その考えは多様である可能性がある。あるいは、ロシア国籍でこういう集会に顔を出すような人もいるのかもしれない。)

 

ただし、日本であまり、『ウクライナ支援』のイベントが地域レベルで行われたことはこれまでなかっただろうし,これがある種の限界かもしれないという気もした。

(あくまでも『平和的な支援』をすべきで、むしろ『停戦を呼びかけるべきだ』『軍事支援につながるようなことは一切すべきでない』という考えの人もそれなりにいることだろう。)

 

ただし、そのような限界?がありつつも、この日、多くの人たちが集まったことは良かったという気がしている。

 

私としては、これまで『ウクライナ支援』の具体的な行動に参加したことはなかった(せいぜい、ウクライナに関する映画を見に行く程度のことしかしていない)ので、これを機に、類似のイベント(6月にも青葉台で、より規模の大きいコンサートがあるらしい)に出掛けたり、あるいは勉強会、もっと突っ込んだ集会等にも参加してみたいという気がしている。

 

なぜなら、『ウクライナ支援』ということが単に新聞とかテレビのニュースの上の出来事にとどまってしまえば、日本人にとって、『ウクライナ支援』というのは、単に『一過性のもの』に終わってしまう危険性があるような気がしているからだ。

それは、(私にとって重要に思える)台湾への支援というか、台湾とのかかわりについても同様である。

 

そしてそれは、同時に、中国大陸において(実際は、いろんな考えの人たちがいるのだが…)『ウクライナ』や『台湾』のことなどを含めて、危機感を募らせているであろう人々について、考えることでもある。