私は、よく映画を見ているが、何もすべての映画の感想をここにアップしているわけではない。

だが、見てしばらくして、やはり感想を書いておいた方が良いかなと思うものもある。

 

2月22日(つまり、今から一週間前である)に見た映画『黒い雨』もそうした映画の一つである。

 

館内にあったポスターの写真を撮ったもの

 

これは、(例によって)東京・京橋の『国立映画アーカイブ』の特集<日本の女性映画人(2)1970―80年代>という企画のなかの一本として見た。

 

私としては、もう一つ、自分自身のなかで『企画』をもっていて、それは、3月29日に日本で公開される(また、3月11日の『アカデミー賞』の作品賞等の候補作品ともなっている)アメリカ映画『オッペンハイマー』に関連して、もう一度、原爆あるいは水爆といった核兵器に関連した映画や、各種情報を多少、整理しておきたいと思っているからだ。

 

変な話だが、今回の映画『黒い雨』にしても、恐らく、私はこれまでこの映画を見たことがないと思う。

 

それはこの映画は、1989年公開で、(世間的には大した賞とはみとめられていないようだが)1990年の『第13回日本アカデミー賞』で最優秀作品賞、同監督賞、同主演女優賞(田中好子)、同助演女優賞(市原悦子)など9部門で最優秀賞、2部門で優秀賞を受賞した映画である。

(もっとも、『日本アカデミー賞』では、このように特定の作品が軒並み賞をさらってしまうという現象が、結構、起こっているようだ。)

 

それだけでなく、第42回カンヌ国際映画祭(1989年)にもコンペティション部門で上映され、何か賞を受賞したという記憶があるのだが、今、改めてネットで確認してみると、『フランス映画高等技術委員会賞』というのを獲得したらしいが、どれほどのものかわからない。

 

でも、カンヌ国際映画祭で今村昌平は、二度にわたり(1983年『楢山節考』、1997年『うなぎ』)最高賞の『パルムドール』を受賞しているので、この1989年の出品というのは、『ホップ、ステップ、ジャンプ』の二番目の『ステップ』にあたるようなもので、今村を『カンヌ男』として印象付ける上では、意味のあった作品なのだろう。

 

このように、ああだこうだと今、もっともらしく書いているのだけど、実は私は、先ほども書いたように)これまでこの映画を見ていなかった。

 

その理由としては、以前は、『今村昌平の映画をあまり見ていなかったこと』(見たとしても、断片的な映画体験であって、彼の訴えているものがぴんと来ていなかったこと)、さらに、この映画の公開された年(1989年)は、昭和天皇が1月7日に亡くなった(当時の言葉で言えば『崩御せられた年』であり、その後、『平成』へと改元がされた年であった。

 

ただし、私にとっては、個人的にいろいろあった年で、非常に混乱しており、正直言って、映画を見たり、楽しんだりするような余裕は全くなかった時期である。

 

とまあ、こんな『言い訳』が出来る年なのだけど、しかし、もう一度、考え直してみると、実は、私は、最近でこそ、『母親が長崎の被爆者である』『自分自身は、被爆二世ということになる』などともっともらしく、書いたりしているが、本当のことをいうと、(恐らく)2016年ころまで、『原爆』とか『被爆者』等に関して、さほど関心が高くなかった人間なのだろうと、自分自身では思っている。

 

つまり、2016年に母親が(89歳だったが)、『血液ガン』のような病気で亡くなり、その後、母親が生前語っていたこと=死の直前になって、ようやく、母親なりに『被爆体験』のようなことを語り始めた=や死後に残された各種の記録を読んで、ようやく母親が、正真正銘の『被爆者であること』を私自身も、認識しはじめたのであった。

 

そこで、この映画『黒い雨』を見ることは、私自身の、『原爆に対する感情』がいかに変化してきたか(ある意味では、非常に『ご都合主義的なもの』であったか)を自己確認させられる機会となった。

(つづく)