2月4日に京都市長選や前橋市長選の投開票が行われた。
前橋というのは、群馬県の県庁所在地でありながら(そもそも、どういう経過で県庁所在地になったのかもよくわからないが)、以前から高崎市のほうが勢いがあって(といっても、私が、群馬などに足を運んでいたのは、1978年に沖電気で指名解雇された、その前のころまでなので、大昔の話になってしまうが)、都市の勢いとしては高崎のほうが上という感じで、何となく、気の毒という印象を受けてしまうような街だった。
もっとも、私は前橋出身の詩人、萩原朔太郎のことが何となく好きだったせいか、彼の出身地である前橋には、高崎と異なる『土地のにおい』『文化の香り?』みたいなものを感じることもあった。
(高崎には、主に仕事で行っていたのだが、前橋にまで出掛ける用事はあまりなく、そこに行けるときは、何となくウキウキしていた。)
最近は、ず~っと暇だから、前橋になど行こうと思えばいくらでも行けるのだが、そう言われても、きっかけというものがないとなかなか、足を運べない
(とは言え、結局、行ってはいないものの、昨年くらい?に『萩原朔太郎の何とか周年』ということで、全国でイベントの連鎖があるというような案内を見た記憶がある。
これは、先ほど調べてみると、2022年10月1日~2023年1月10日の間に、全国の萩原朔太郎と関連した文学館や美術館で『萩原朔太郎大全2022』というイベントをやっていたというので、前に見た案内というのはこれのことだったと思う。
さらに、現在、前橋市内には、前橋文学館と萩原朔太郎記念館という二つの施設で、萩原朔太郎の業績や歩んできた道を知ることもできるらしく、この前橋市のアイデンディティーを発信する一つの柱として、萩原朔太郎があるらしい。
またネットには、前橋文学館で作成された萩原朔太郎の年譜によると。彼は1886年(明治19年)に当時の東群馬郡前橋北曲輪町(きたくるわちょう)に生まれている。
現在、萩原朔太郎記念館として知られているものは、その生家のうち、土蔵の部分を1974年に敷島公園バラ園内に移設され、それが展示施設として生まれ変わって、『萩原朔太郎記念館』になったという。
萩原朔太郎の死後、何年も経過して、長い間に彼が前橋市にとって縁の深い詩人で絵も描き、たしか音楽も愛した総合的な芸術家として、親しまれてきたことがうかがわれるような情報が、いろいろ発信されていた。
(こういうのを見ていると、そのうち、前橋市を訪ねてみたくなってくる。)
それで、実は前橋市長選があること自体も知らなかったが、2月4日に投開票があったとのことで、次のようなネットや新聞等のニュースで、その結果を知った。
これは、同じ日に投開票が行われた、京都市長選の結果と比較して報道されていた。
たしかに、ある意味では、対照的というか、何とも不思議な結果である。
ついでと言っては何だが、京都市長選のほうの結果は、次の通り。
こちらは、自民、公明、立憲民主、国民民主などが推薦した候補が、(政党としては)ほとんど共産党オンリーだったらしい候補(最もこの人を推していた人たちは、『市民派候補』だと言っているようだが…)に対して、意外と接戦というか、1万6000票差まで、追い込まれたという話である。
(『結局、勝ったのだからいいじゃないか』という見方もあろうが、いろんな見方が出来そうな選挙結果である。
立憲民主党としては、どのようにこの両市長選の結果を、党の支持者等に対して説明するのか、ちょっと難しそうな気もする。
私としては、京都市長選のほうについて、とりあえず論評したいので、前橋のほうは、ついでに見ていくという形になってしまう。
こちらは、(東京などでは、ほとんど見られないが)与野党二人だけの一騎打ちだったようで、そのなかで、現職で三選目を目指す候補(しかも、自民党と公明党が推している)を堂々と打ち破り、さらに最終的に1万4千票もの大差(といって、良いだろう。有権者数が27万人で、投票率が39.4%の状況下での争いなのだから)がついたというのは、稀に見る快挙といえそうだ。
通常、このようにして当選する新人候補というのは、『頼りなくて、<即戦力と真逆>』のイメージの人が多そうな印象(偏見かもしれない)を受けているが、今回当選の小川昌(あきら)さんは、41歳で弁護士、4回連続して県議に当選しているから、その辺の『お人形さん候補』とは違っているみたいだ。
今回、なぜこういうことになったのか、よくわからないが、一つは、落選した現職候補というのが、よっぽど魅力のない(あるいは魅力を失った)人なのであろう。
もっとも、『不祥事』などを起こした人であれば、通常、与党(自民、公明)もそのままでは応援しないであろう。あるいは、そんなに大きな市ではなくとも、やはり、保守系であっても、『これまでの体制を批判する独立候補』がそういう人に対抗してたつのが自然であろう。
そうならなくて、今回、小川さんに『風が吹いた』のは、小川さんを支える新しい力がいつのまにか、陣営のなかに構築されていたということかもしれない。
(どちらにしても、不思議な現象である。)
このような、身近なところで、『実績を積み上げる』『目に見える形で何かが広がっていく』ような形が出来てくれば、たしかに面白いのだけど、(高齢者になったが故に、悲観的に見えてしまう?私のような性分では)これは一種の『エア・ポケット』的な現象なのかなという気もしている。
ともかく、群馬県というのは、山本一太知事という人の存在感も、自民党が『疑惑』まみれの姿を露呈している中で、ますます埋没している感があるので、そのような全般的な県民の不満、閉そく感がこのような形でさく裂?したのかもしれない。
(つづく)