1月28日が千秋楽だった大相撲初場所。

両国国技館でナマで見たかった、と思わせるような展開だった。

(私は、相撲は一度しか、見に行ったことがない。後ろのほうで見ていたのだが、たしかに迫力が違った。それは、たしか2008年から中国で長期に暮らした、その直前だったから、結構、前のことになる。)

 

私は、(ある時から)照ノ富士のファンだと書いているが、しかし、今場所などはどうなることかと思っていた、

 

特に7日に2敗目を喫した時は、今場所の途中で休場に追い込まれ、実質的に『引退』に直結するのではないかと暗い気持ちになった。

 

ところが、照ノ富士の精神力は、思っていたよりずっと強かったようだ。

恐らくその時点で、照ノ富士が今場所、優勝できると見ていた人は皆無に近いことだろう。

 

これまでは、特に後半ばてて来て、負けが込むこともあったような気がするのだが、今場所は、(これまで休場が続いて、けいこ不足で『相撲勘』が戻っていなかったせいか)まるで本場所で相撲を取ることが、『けいこの代わり』みたいに、徐々に、自らの体力を消耗せずに、もっとも的確に相手を負かすわざが磨かれていった。

 

うれしいことに、今回の『優勝決定戦』後の表彰式は、(よく見られる)『アンチの人たち』がぞろぞろと帰ってしまい、ガラガラした表彰式になることもなく、表彰式としても盛り上がりを感じたことである。

 

それは。(特に照ノ富士ファンでなくとも)照ノ富士の姿勢に『敵ながらあっぱれ』と感じた人が多かったこともあったのではなかろうか?

(もちろん、琴ノ若ファンが、『大関昇進』の声が出あがることを期待して、居残り続けたこともあっただろう。)

 

そもそも、一時期、こういった表彰式がダレたり、あるいは荒れ気味になったりしたのは、『白鵬があまりにも、優勝回数が多いこと』に対する反発があったのかもしれないという気がする。

 

白鵬も照ノ富士も、もちろん、どちらもモンゴル出身力士であるが、この二人の『日本国籍』に対する向かい方は、対照的な気がする。

白鵬は、日本人の奥さんを迎え、その子供たちも、日本式の育て方をしているようだ。

そして、本人は、『相撲の神様』について、相撲界で自分が一番、わかっているといった口ぶりで語る。いわば、日本人以上に(過剰?に)日本人に同化するような生き方をしている。

 

ところが、それに対して、結構、多くの日本人が反発を感じているようだ。

しかし、照ノ富士は対照的な生き方をしている。

彼は、モンゴルの女性を妻に迎えた(ネット情報によると、元旭天鵬のいとこにあたる人らしい)。

 

さらに、息子には、(チンギス・ハーンの本名と同じだという)テムジン(照務甚)という名を付けた。

優勝の祝賀会の場で、照ノ富士は息子を抱いていたが、モンゴルの子らしい兜(のようなものもの)を被っていた。

 

最初に生まれたのは、双子の女の子たちであったらしくて、彼女らも優勝のお祝いの写真に写っていたようだ(他のモンゴル系の親戚の子が大勢いたので、区別がつかないところがあった)。

 

ともかく、照ノ富士は、日本に帰化しても、自分がモンゴル出身であるという意識が強く、『モンゴルという外国』を心の軸として、生き抜くという姿勢が鮮明なようだ。

 

何も白鵬的な生き方と照ノ富士的な生き方を、あえて対照的に見る必要はないかもしれないが、比較的年配の日本人は、外国人に対して、(無意識に)『同化すること』を求めているように感じる。

 

しかし、こうした『昔の日本人』の潜在的な欲望に、ただ応えていると、日本人の(よく『島国根性』と揶揄されるような)閉鎖的で、臆病?な側面は、少しも改善されないという気がしてしまう。

 

時には、『照ノ富士』的な生き方の(元)外国人がいてこそ、日本社会はより強靭で豊かな社会になっていきそうな気がしている。

最近、いろんなところで、私と同年配のお年寄りの話を聞くと、『昭和の時代の価値観』を変わらず持っている人が、(やはり)多いのだなという印象を受けてしまう。

 

私は、『昔のものは、すべて悪い』という気は全くないが、しかし、『無意識の保守化』『過去を栄光の時代』ととらえることは、それこそ、人間の『老化現象』と紙一重だなと感じてしまう。

 

つまり、それは意図せざる『事実の歪曲』にしか過ぎず、もしかしたら、多くの人が亡くなる直前は『幼児の時代』『乳児の時代』に意識が戻るのかもしれないが、それだけのことのような気がする。