昨日(10日)の記事でも予告した、今回の大阪旅行に関連して、その後気が付いたことを書いて行きたい。

(なお、前の記事もそうだが、旅行中でプリンターも使えないので、写真抜きの記事をアップしたりしているが、これらは旅行先から戻ってから、写真を改めてアップするつもりである。)

 

第一に書かなければならないのは、10日の午前1時8分(という変な時刻)にアップした記事に書いた『APAホテル』についてのことだ。

 

ここでは、ついつい前々から感じていたこと(創業者は、『日本の誇り』を強調し、中国や韓国などに対してヘイト感情を煽るような著名人などとの結びつきを一方で強調しながら、他方でAPAホテルというのは、来日した中国人や韓国人等のお客をターゲットとしているという『矛盾』)をもとに、経営的には、甘い見方を書いてしまったと『反省?』 している。

 

その後、宿泊しての感想とか、置いてあるAPAグループの発行物、そしてネットでも拾えるAPAグループの状況などを見ていくと、既にこの企業は、『経営的』には、かなり『危機的』な状態にあるようである。

 

(01)

(02)

これは、『APA』自身がサイトに掲載している内容でもあるが、現時点で既に、『APA』の経営権は、創業者である元谷外志雄氏から、その息子一志氏らの世代に移っているようだ。

(既に一昨年=2022年の4月1日から、『新体制』と称して、会長は外志雄氏のままだが、会長兼CEOは息子の一志氏に移っている。)

 

なお、この会社はまず『非上場』であるから、企業の経営情報がどの程度、公開にされているのか、はっきりしない点がある。

(それだけでなく、幾つもの会社に業務が分かれていて、企業自身が『増築を重ねた温泉旅館』のようになっているので、はなはだ実態がわかりにくいという印象を受ける。)

 

こうしたことが行われているのは、決して、元谷外志雄氏が単に高齢になったためばかりではないと私は感じる。

(元谷氏は、1940年6月3日生まれとのことであるから、現在、83歳のはずである。だが、いろんなところに掲載している元谷氏の最近の写真を拝見すると、失礼ながらもっと高齢のように見えてしまう。経営状況が影響してせいもあろうが、健康もよくないのではなかろうかと思ってしまう。)

 

(02)

元谷氏が、石川県小松市に(6人兄弟の長男として)生まれたということは、本人が書いた文章にも明記されている。

 

父親は、元谷木工製作所という工場を経営していたが、仕事の無理がたたったせいもあるのか、結核に倒れると、不動産賃貸業が家業という状態になったのだという。

そのため、元谷氏は、小学校のころから、この不動産賃貸業の仕事を実質的に手伝うようになったそうである。

 

どうも、APAグループの出版物などを横目でにらみながら、こうして文章を書いていると、ついついここの『美談調』に流されてしまいそうになる。

(イケナイ、イケナイ!)

 

ここの『石川県小松市』生まれということで。ぴんと来たかもしれないが、APAグループは、今回の『能登半島大地震』で大きな影響を受けているはずである。

 

というのは、APAの『拡大戦略』の一環で、当然、北陸新幹線の延長によって、利便性が増してきている金沢など、石川県をはじめとする地域にホテルを大量出店している(ただし、APAのホテルには、旧来のホテルを、グループ傘下に組み入れて改装しただけのタイプも増えてきているので、実態以上に出店しているように見えてしまう可能性もある)。

 

そのために、今回の地震によって打撃が生じた面もある。

 

(03)

しかし、こうした案内などを見ると、APAは現在、『管理機能』『物流機能』の相当部分を金沢に置いていたようである。

 

こうしたことからも、APAは今回の地震で、いわば(表現は悪いが)『泣きっ面に蜂』のような状態にあるのではなかろうか?と感じる。

 

はなはだ中途半端であるが、本日は、今回の大阪旅行を終えて、横浜に戻る日に当たるので、一旦、ここで打ち切りとして、あとは新幹線の車内で続けようかと思っている。

(つづく)