今日は、まだ1月2日である。
実は、昨日(1月1日)も、このブログを更新するつもりだった。
(結果的に、出来なかったが…。)
それでネタの仕込みではないが、わざわざ、町田駅そしてその後、新横浜駅まで出掛けた。
新横浜では、崎陽軒のシューマイを購入した。さらに、新横浜駅のそばの喫茶店ルノアールにまで出掛けで、そこにしばらく滞在していた。
(このようにぐるぐる回ったのは、それぞれ理由があることであって、その訳は後から少し、書くつもり。)
こんなことを元日にして、それでは自宅に帰ろうと思った。
それで横浜市営地下鉄に乗車した。
どこで、能登半島の大地震の発生に気が付いたのかよく覚えていない。
たしか、午後4時過ぎに大地震の発生のニュースが発せられたと思う。
途中、電車のなかで、ニュースの告知がされていて、それで気が付いたような気もする。
横浜では、この地震に関連した揺れはほとんどなかったと記憶する。
もっとも、カミさんの知り合いで『感じた』といった人もいたらしいので、あまりアテにならない。
(これは、2日の情報だが、その前の内容を思い出してもらえればと思う)
私は、(既に帰宅していたが)午後7時になったので、NHKの7時のニュースでも見ようかと思ってテレビのチャンネルを入れた。
ところが、ご存じのように、地震のニュースばかりやっていた。
しかも、『逃げて』という意味のマークが画面に大写しにされていて、大地震の発生と、津波の予告(一部既に到達しているものもあった)、さらに、『現状では、異常は検知されていない』と言いながら、この地域が、『原発銀座』というような言い方も昔あったように記憶するが、石川県、富山県、福井県、新潟県等々、さまざまな電力会社等の保有する原発等の密集する地域であったことを改めて知らせる情報をNHKとしても伝えていた。
こんな(いわくつきの大変な)地域で大地震が発生し、しかも津波の発生・到達が始まっているのかと思うと、まさに『SF』というか、『パニックドラマの舞台』に舞い込んでしまったかのような思いがした。
(ところが、のんきなもの?で私は、その後)カミさんと一緒に前夜の『紅白歌合戦』の模様を録画したものを見たりしていた。
カミさんは、(紅白歌合戦の曲やダンスとは)趣味が合わないらしくて、再生をしてもほとんど早回しをするだけで、あまり見ていなかった。
私は、前夜も、生中継を結構、見ていたりしたのだが、昨日もしっかりと見たいと思った部分は、普通の再生モードにして内容を確認した。
これが、もし、能登半島の大地震の発生のほうが、一日早く発生していたとしたら、はたして『NHK紅白歌合戦』の中継はどうなっていたのだろうという思いが少しだけした。
素早く、大地震の状況を伝えることを最優先して、『紅白歌合戦』の中継を、優先度の低い扱いをすることなど、本当に出来ていただろうか?
今回の大地震は、いろんなことが起きすぎて、『リアルな感覚を持ちにくい』というところがある。
震度7という強い地震が起きたこと。
しかも、これは後に『誤った認定』ということになったが、昨夜午後11時過ぎにも、『石川県能登で最大震度7を計測する地震が発生した』と発表している。数分後に、実際は最大震度3だったと訂正し、記者会見のなかで、担当者が『ご迷惑をかけ、誠に申し訳ない』と陳謝している。
だが、どうしてこのようなことになったのか、という点については腑に落ちるような話は聞けないでいるという印象だ。
また、今日(2日)になってからは、羽田空港で北海道の新千歳空港から飛び立って、羽田空港に着陸しようとした日本航空の旅客機が海上保安庁の航空機(羽田空港基地に所属して警備救難業務を行うボンバルディアMA722機。能登地震への対応として新潟航空基地へ、救援物資を運ぶ途中だったといわれている)とが、不幸にも衝突し、両機とも激しく炎上するという大事故が発生した。
日航機の乗客、乗員はケガをした人はあったものの、命に別状はなく機体から脱出が出来たが、海上保安庁の小型機のほうは、搭乗者6人のうち、5名もが死亡したと報じられている。しかも、この事故の原因が不明のままである。
これなどは詳細は不明だが、驚くべき事故である。日航機のほうも一歩間違えれば、大惨事になるところだった(その後、日航機の乗客も実は、ケガをした人が多数いたと報じられた)。
このように、現時点においても、能登半島の現地でいまだに救出されず、下敷きのままになっている人が残されている、あるいは避難所で寒く、不安な夜を過ごす人のことが伝えられている。
大きな地震が、日本列島のどこでいつ起こるかわからない(能登半島の場合は、昨年くらいから継続的に地震が観測されていた地点であり、必ずしも『予想外』『想定外』ではないのではなかろうかという気も、素人目ではしてしまうが…)こと、また、『原発銀座』ということは、ずっとわかっていたことではないか、という気もしてしまう。
そして、大地震、原発銀座とこれに大津波などが複合的に作用すれば、『3・11』以上の大事故が起きたとしてもおかしくないような状況であったことが、改めて思い出される。
実に危ない『状況』に囲まれながら、生きていることが認識させられるような事件(事故?)であったと思う。
ただし、(ある意味で)もっと恐ろしいのは、明日以降、確実に『忘れていこう』とする方向で、人々の記憶力、脳の活動の方は、作動していくのではないかという予感がすることである。
(つづく)