以下の内容は、(暦の上では)昨日(24日)午後8時頃、コーヒーショップで作成したものを最小限、手直ししたものである。その時点での私の気持ち(戸惑い)を素直?に表しているような気がするので、(基本的に)そのままアップしたい。

 

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本日(24日)は、大相撲秋場所の千秋楽だった。

NHKの中継で、『中入り後』の取り組みから見た。

 

こういう下位の取り組みから見ていたのは、今場所は(例によって)混戦で、東前頭15枚目で『返り?入幕』の熱海富士が11日目まで、10勝1敗の好成績で、先場所は十両での優勝だったから、今場所仮に優勝すれば、2場所連続で十両優勝、幕内優勝という珍事が実現するような状況だった。

 

そして、熱海富士は(私が、近年応援してきた)照ノ富士と同じ伊勢ケ浜部屋なので、(そういう事情もあって)私が関心を抱いていたのは事実だ。

 

中入り後、4番目の取り組みで、(ブルガリア出身の)碧山に勝利し、10勝5敗と成績を伸ばした翠富士(みどりふじ)は、小柄な身体なのに、『ちびが巨人を倒す』ような相撲ばかりで観客をわかせていた(前場所は、4勝11敗とさんざんな成績だったが…)。

 

どうやら、仮に(弟弟子の)熱海富士が優勝をとげることがあったら、一緒にオープンカーに乗って、『旗持ち』をやると約束していたようだった。

(まあ、この日の相撲の結果で、これは『とらぬ狸の皮算用』で終わってしまったのだが…。)

 

どうせ、この記事を読まれている方の大半は、結果をご存じかと思うので、それを前提に書いて行く。

 

結局、熱海富士は、(前日の勝負の結果を見て、その後、決められた『取り組み』で)朝乃山に敗れて、11勝4敗に終わった。

 

そればかりでなく、前日の段階で、4敗だった4人の力士のうち、最終的に勝ち残ったのは(4敗同士の取り組みを設定されて、大栄翔に勝利した)貴景勝のみだった。

 

そのため、(最も多いケースで)4人の組み合わせもありうるとされていた『優勝決定戦』は、熱海富士と貴景勝の一番だけに終わった。

(この時点で、熱海富士が『優勝を逃しそうな』雰囲気が、両国国技館の観衆のなかにも漂い始めていたような気がしたが…。)

 

昨日の日付の新聞(朝刊)は、こんな調子で報道していた。

上が東京新聞、下が読売新聞である。変な回転をしてしまっているが…)

 

国内政治の報道姿勢では、対極的な立場にありそうな『東京新聞』も『読売新聞』も見事に同じようなトーンで報じている。

 

『強い力士』が影をひそめてしまい、『どんぐりの背比べ』状況になっている大相撲は、毎場所のように、番付下位の力士が『好成績』をあげ、『優勝』をさらうことも結構、ある。

 

それを、新聞各紙は、『大相撲が盛り上がっている』かのように報道し、また国技館も『満員御礼』が続いていた。

 

(そもそも、国技館は収容人数が、それほど多くはないし、また相撲界では『満員』の定義がかなりアバウトのようである。企業などが『年間指定席』のようにしておさえている席が相当あるようで、テレビの中継で見ていても、結構、スカスカな状況であっても、平気で『満員御礼』の垂れ幕を掲げ続けている。

今場所の場合は、終わりが近づくにつれて、『混戦模様』はさらにひどくなってきたので、それを面白がるファンは、私を含め、それなりにいたとは思うが…。)

 

 

結局、貴景勝が優勝はしたものの、それは(少しく)苦い勝利であっただろう。

(熱海富士が、全く余裕がなく、『猪突猛進』しかできないので)『優勝決定戦』では、『変化』といえるかどうか微妙なところだが、貴景勝は少し身体をかわすような形を見せて、結局、『はたき込み』で勝利した。

 

これは、仮に、モンゴル力士の大関や横綱(あるいは関脇でも)などが、こういうケースで見せていたとすれば、確実に『ブーイング』が起きかねないような取り組み姿勢だった。

(日本人力士に対しては、異なる対応をするとすれば、、それは『ダブル・スタンダード』と呼ばれかねない。)

 

 

実際、NHKのアナウンサーによる『優勝力士インタビュー』で貴景勝は(意外にも)かなり多弁(雄弁?)だった。

(変化した?ことを非難する声がありうることを意識していたのだろう)<自分は、『夢の実現』(つまり、横綱になること)に向けて、『絶対、負けられなかった』ので、あのような相撲を取った。>

 

<熱海富士は、将来のある『素晴らしい力士』だ。彼と当たって、自分の初心を改めて思い出させられた。自分は、(背も低いし、ケガもしたりしているのでといったことは、口にはしなかったが)こんな相撲しか取れないが、自分自身が相撲の世界に入った時の『初心』を思い出して、自分の『夢の実現』に向かって、来場所も全力で戦っていきたい>――こんな意味のことを述べた。

 

これは、かなり事前に、(心のなかで)準備しなければとっさには、口に出来ないような『スピーチ』だった。

(恐らく、自分自身の『変化わざ?』に対して、批判がありうるかもしれないことを予想しながら、自分の『今後の夢』を語ることで、観衆を自分の応援者に変えて行こうという狙いをもった『スピーチ』のように思えた。)

 

たしかに、表彰式を見守っていた国技館の観衆は、総じて言うと『貴景勝に対してやさしい?』態度で見守る人が多かったようにも見えた。

 

 

しかし、他方では、他の力士を応援していた人など、『貴景勝の表彰式など見たくもない』という観衆もそれなりにいたようで、表彰式の時点でかなりの人たちが、すぽっと抜けたように引き上げてしまっていたことも事実のようだった。

 

私は、貴景勝が来場所、『綱取り』ということになれば、相撲協会としては万々歳ということになろうが、それはかなり難しそうな気もする。

 

大相撲界は、構造的に常に難しい問題を抱えているというような気が、いつもしている。

(つづく)