昨日(27日)アップしたこの記事の続きだ。

 

 

 

25日に池袋の映画館『新文芸坐』で見た、ゴダールの2本目の映画は、<気狂いピエロ>という今時、シュールなタイトルである。

 

この映画は、1965年のフランス・イタリア合作映画である。

日本では、1967年7月に公開された。

 

この頃は、ちょうど『70年安保闘争』に向けてということで、羽田闘争、佐世保闘争(エンタープライズ入港阻止)、あるいは王子野戦病院での現地闘争などが戦われていた頃ではなかったかと思う。

 

もっとも、私は、(体力的に)こういった肉体がぶつかり合うような『闘争スタイル』は苦手である。

それに、もともとは(今と同様に)『革命』などは嫌う『穏健』というか『妙に、シラケ切った考え方』の持ち主であるから、こういった闘争には、ほとんど出掛けていない。

 

その後、『大学闘争』(学園闘争)の成り行きで、いつのまにか、当初はずっと反対していたような『運動』に知らず知らずのうちに、巻き込まれてしまい、自分らしくないことを、(一定期間)やり続けることになったが…。

 

そのころでも、なぜか、(蓄膿症?の)先輩に『お前に革命に参加する?覚悟はあるか?』と言われ、『ない』と答えたら、『プチブルめ』と侮蔑の言葉を投げかけられた記憶がある。

(この先輩は、その後『地下鉄』の職員になって、組合活動を続けていた。

もっとも、この人の『人生』については何も知らないので、『プチブルめ』という言葉の真意は、よくわからない。)

 

この映画は、やはり、ジャン=ポール・ベルモンドが主人公なのだが、女性主人公(こちらのほうが、本当の主人公のように見える)は、アンナ・カリーナが演じている。

 

この人は、久しぶりに映像を見たが、もっとスリムだったようなイメージがあったが、思ったより、ぽっちゃりとしていた。

(もしかしたら、その後、痩せて行ったのかもしれない。)

 

こちらは、『勝手にしやがれ』と比べると、さらに先鋭なストーリーになっている。

というよりも、ますます、『ストーリー』があるような、ないような映画である。

 

ネットを見ると、次のようなストーリーが書かれていた。

<『ピエロ』と呼ばれるフェルディナン(ベルモンド)は、不幸な結婚をしていた。

退屈な生活から逃げ出したい衝動に駆られていたフェルディナンは、ふと出会った昔の愛人であるマリアンヌ(カリーナ)と一夜を過ごすが、翌朝見知らぬ男性の死体を見つけ、彼女とともに逃避行を始める。>

 

<アルジェリアのギャングに追われながらもフェルディナンは充実した生活を過ごすが、そんな彼に嫌気がさしたマリアンヌは、ギャングと通じてフェルディナンを裏切る。>

 

これだけ見ても、『訳のわからぬ話』であることを、察することが出来よう。

ともかく、『勝手にしやがれ』では、かろうじて存在した『ストーリー』がここでは、『ストーリーがあるなんて、プチブルの映画の作り方だ』といわんばかりに、意図的にぶち壊されている。

 

その代わりに、『ベトナム戦争』とか『アルジェリア戦争』のイメージが絶えず、挿入される。

 

フェルディナンが、『アルジェリアのギャング』に追われたり、つかまって、拷問を受けたりするのは、フランス軍の指揮した『テロ部隊』がアルジェリア独立戦争を戦っていた人々に対して、さまざまな拷問やテロを仕掛けたこととイメージがダブっているのだろう。

 

このように『ベトナム戦争』や『アルジェリア戦争』を持ち出して、アメリカやフランスの悪行を批判している(ベトナムは、もともとフランスの植民地だった。第二次大戦後、独立を果たしたが、『北ベトナム』と『南ベトナム』に南北分断され、アメリカの長期で汚れた戦争へと泥沼化していった)。

 

ゴダールの映画は、いつもそうだが、果たしてゴダール自身が映画のなかで、掲げられている政治的スローガンとか、政治的メッセージを本当に支持、信奉しているのかわからないところがある。

 

そのうち、ゴダールは、(自分の主張の化身である)アンナ・カリーナを使って、『毛沢東の文化大革命』に対するシンパシーを表現していくようになったが、(ご存じのように)『文革』は決して『壮大なプロレタリア文化の創出運動』ではなく、むしろ、『毛沢東派』と『劉少奇などの派閥?』の権力闘争に過ぎず、『劉少奇』を倒した後には、今度は、後継者とされた『林彪』が打倒され、遂には、(毛沢東の妻であった)江青自身も、『4人組の親分格』として、死刑の宣告を受け、仮釈放後に(77歳で)自殺したという推移をたどっている。

 

大体が、『文化大革命』を賛美した人たちが、その言動について、その後(きちんと)『自己批判』したという話はあまり聞かないが、ゴダールについても、私は、一定の時期から『作品を見る』のをやめてしまったから、最終的にどうなったのか、よくわからない。

 

何となく、その後、『全く異なる種類の映画を作り始めたらしい』というようなうわさ?だけ聞いている。

 

ということで、この『気狂いピエロ』は、久しぶりに見たのだが、基本が訳のわからない内容である。

 

それをカバーするかのように、やたら、聞いている者の心を揺さぶるような音楽が付けられていたり、また、映像も『きれい』だったりする。

 

ベルモンドやカリーナが(例によって)車で逃げたり、追いかけたりするシーンも、よりダイナミックにはなっている。

 

だが、その根本部分で、(ベルモンドとカリーナの間で)ドラマが成立していない(というか、ドラマを考えるのは、『ダサい』というか『プチブル的な行為?』とでも考えているようだ)。

 

そのため、この映画は、見ていて、途中でやたらに『眠気』に襲われる。

(そして、『そう言えば、この映画は、すごく詰まらない映画だった』ということを思い出す。)

 

面白いのは、この日の池袋・新文芸坐には、(この記事の『前篇』でも書いたように)かなり多くの観客が押しかけてきていた。

特に、(いつもと違って)若い世代の人たちが来ていたのが印象的だった。

 

ところが、彼らも、『勝手にしやがれ』までは、それなりについてきているという雰囲気が漂っていたのだが、『気狂いピエロ』になるといけない。

(私の隣に座っていた、若い男性も、繰り返しウトウトしているらしいことが明らかだった。)

 

映画が終わった後の映画館の雰囲気も、『やっと終わったのか?』というような気だるさが漂っていた。

(もちろん、満足していた人も、当然、いたのではあろうが…。)

 

私の座っていたところから、比較的近い場所に、かなり年配の男性客がいて、どうも(『介護の人か何か』が付き添って)一緒に映画を見ているという感じだった。

 

映画が終了後、『付き添いの比較的若い女性』が、『この映画、前にも見たことあるんですか?』などと聞いていた。

 

ところが、その男性のほうは、『いや、今回が初めてだ』などと答えている。

その口調からすると、あまり『面白かった』というような雰囲気ではなかった。

 

また聞いた方も、『(私にとっては、あまり、面白くない映画だけど)あなたにとっては、思い出のある映画なのですか…』と聞いていたような感じだった。

 

ということで、『気狂いピエロ』、あまり受けていなかった、という気がする。

 

もっとも、今や、『わざと詰まらない映画を作る』『ストーリーを破壊する映画を作る』というのは、映画の作り方の『手法の一つ』に過ぎず、そういう映画もあるが、そうでない『ストーリーをきちんとつけた映画を作る』というほうが、むしろ多いのではなかろうか?

(なかには、結末が、どうなるかを観客に考えさせ、選択させるという、『横着な映画』もあるにはあるが…。)

 

この映画を見ていると、もしかしたら、(日本のヌーヴェル・ヴァーグの旗手と言われた)『大島渚監督』のほうが、それなりに映画らしい映画を作ろうと、最後まで努力していたのかもしれない…という気がしてきて、(一定の時期は、あまり好きではなくなっていた)大島渚作品を、そのうちもう一度、見直してみたいというような気も起きてきた。