私が、(今回の『シン・日本共産党宣言』のいう本を巡る騒ぎのなかで)私自身、もともと『日本共産党』の支持者ではないこと、さらにマルクス主義というものの実践的な政治思想としての、有効性にも疑問を感じていること(つまり、『ユートピア思想』としてあこがれを感じるのは勝手であるが…)は、改めてここに記しておきたい。

そういう存在でありながら、最近、松竹伸幸氏の主張を批判しているのは、彼の言っていること、書いていることがあまりにもご都合主義的な気がしているからだ。

その後、さらに感じたことがあるので、書いてみよう。
 


今回、このような本が、『シン・日本共産党宣言』と前後して出版されている。

この本は、鈴木元(はじめ)氏という人によって、今年の1月15日に京都の『かもがわ出版』(松竹氏が編集主幹を務めている出版社)から出版されている。
(私は、ネットでキンドル版の電子図書を入手して、読んでいる。こちらもまだ一部しか読んでいない。)

松竹氏の『シン・日本共産党宣言』と合わせて、同時期に出版し、することで、反響を大きくしようという意図で、今回、出版された本のようだ。

鈴木氏は、1944年生まれで、現在、78歳であり、67歳の松竹氏よりさらに年長の世代である。
どちらも京都の日本共産党に所属していて、活動してきたのだから、お互いにかなり前から面識があるのだろう。

ネットや新聞の報道などでは、(日本共産党の)元京都府委員会・職員などと書かれている。


この『志位和夫委員長への手紙~日本共産党の新生を願って』という本は、『シン・日本共産党宣言』よりも、さらに激しい調子で、志位委員長をはじめとする、現在の日本共産党の幹部たちを批判している。

本の帯に『貴方(志位氏のこと)はただちに辞任し、党首公選を行い、党の改革は新しい指導部に委ねてほしい』と書かれているように、直接的に辞任を迫っている。

しかも、自分自身は、『高校一年生の時に「60年安保闘争」に遭遇・参加して社会問題に目覚め、高校三年生の18歳になった時に日本共産党に入党しました。つまり党歴60年の「古参」党員です』というのだ。

共産党の専従職員になり、京都北地区委員会と京都府委員会において常任委員を務めたという。

だが、よく読んでいくと、この人も松竹氏と同様に、長い間共産党員としての直接の活動からは、少し遠い位置にいたようである。

『仕事と1級障害者の妻の介護に追われ、「赤旗」は斜め読みする程度でした。ところが5年ほど前から居住地である京都の洛西ニュータウンにおいて共産党の単位後援会(200名余り)の会長に担ぎあげられ…』、再び、『共産党の機関紙「赤旗」もきちんと読み、共産党を含めた日本の政治動向に目を向けるようになりました』と書かれている。

ここまで、『良し』としよう。
しかし、(恐らく、年齢のせいもあるのだろうが)短期間に自分自身と見識を同じくするように、日本共産党に変わってもらわなければならないという認識からか、好き勝手なことを書いているのである。
志位氏については、『なぜこのように長期低落状態になったのか』『その克服方向は何処にあるのか』と問うている。

それに対して共産党指導部は、『確固たる路線に継承のために試され済みの幹部を大切にする』という内容の『日本社会の根本的変革をめざす革命政党にふさわしい幹部政策とは何か』と題する文書を、既に昨年8月24日に発表済みである。
鈴木氏は、改めて志位氏ら幹部に対して、『ノー』を突き付けているのである。

この本は、勢いあまって?、これまで日本共産党が、批判し、除名等を繰り返してきて、『余りにも多くの知識人を切り捨ててきたことに真摯な反省』を求めている(藤井一行、田口富久治、加藤哲郎、古在由重各氏の名前を挙げている)。

それだけでなく、1970年代に民主青年同盟の幹部多数を、共産党がパージするきっかけとなった、<『新日和見主義問題』の再調査・総括を>などと求めているので、これは、共産党内において、むしろ『分派闘争』を行っていくことの『戦闘宣言』のようにも読めてしまう。

 




以上は、鈴木氏の『あまりにも虫のいい主張』に対する疑問である。


最後に、昨日(14日)見たAbemaTVの番組について少々、感想を書いておきたい。

この『Abema Prime』というニュース番組に、松竹氏は出席していたのだが、少し苦し気な表情をしていた。

というのは、これまで、彼は『自分には、党内に支持者がおおぜいいる』『党首公選制を望む党員のほうが、7割り方存在していて、多数派である』などというような話を随所でしてきた。

そのため、『党首公選制』というのは、共産党で導入可能なのではないか、とか仮に党首公選制が導入されたら、松竹氏が当選する可能性もあるのでは、という『誤った認識』が一部では、広がっていたように感じる。

ところがこの間の経過で、松竹氏というのは、共産党内においても『あまり一般党員に知られていない存在』らしくて、ほとんど影響力ないらしいという感じが広がってきた。

おそらく、仮に次の『党大会』で松竹氏の除名の再審査を求めたとしても、それに賛同する代議員など『ゼロ』か、あるいは一桁にとどまるであろうという気がする。
そういうこともあって、『松竹氏の支持者など、共産党内にほとんどいないのではないか?』『彼の言っていることは、誇大宣伝、誇大広告ではないか?』という懐疑心?までメディアの中では広がっているようだ。


昨日は、この番組の出演者の一人である田村淳(あつし、お笑いタレント)さんなども、こんなことも言っていた。

『志位さんたちには、相当、嫌われていたんじゃないですか?』だから、『無理に共産党内にとどまらず、別個の政党でも作って、仮にそれが成功したら、その後、新旧共産党の合併を模索したほうがいいという選択肢もあるのでは?』などと(まあ、これも無責任な発言だが)主張していた。

これに対しては、松竹氏も『苦し気な表情』をせざるを得なかったと私は見た。
 

共産党内でそのような声が多数というわけでもないのに、『党首公選制』という新しい主張でもって、メディア業界においてプロモーション?をはかり、逆に『メディアでの多数の主張』ということを論拠?にして、共産党内に『逆輸入』しようとした、プロモーション戦略、マーケティング戦略は、(最初の)一つの壁にぶつかりつつあるように見える。