昨日(6日)、新宿の飲み屋に(私を含めて)久しぶりに70代の爺さん4人が集まって、リアルの『飲み会』をやった。

(この間、コロナのせいで、2年?くらい『リモート』の飲み会などをやってきたが、相手の様子がよくわからないので、『討論』『飲み屋トーク』の間合いもつかめず、あまり盛り上がらなかった。)

 

やはり、リアルだと、『場の支配力』なども生まれるし、『これ以上、深追いすると喧嘩になりそうだから危険』といった複合的な情報も(相互に)受発信可能だと改めて認識した。

(ITとかデジタル・トランスフォーメーション云々を過度に美化する傾向が存在しているが、変にIT化にだけ頼ってしまうと、危険である。)

 

それで、昨日の『トーク』のなかで、少々、話題になった本を今回は、取り上げたい。

(昨日は、例によって私は勢いでしゃべる傾向があるので、その後、もう一度、再考しながら、これを書いている。

したがって、昨夜私が話した内容とかなり、トーンが異なっているところがあると思う。)

 

話題となっていたのは、この本である。

ただし、4人のうち、この本を一部でも読んでいそうなのは、私ともう一人くらいだった。

 

それに私も、この本のまだ一部しか読んでいない。

(途中で、読むのをいったん、やめたのは実は理由があって、『あまりにも癖がありすぎる本』だと感じたからだ。)

 

この本は、関連してこうした報道がなされているように、一部では(盛んに)取り上げられている。(新聞は7日付の『産経新聞』から)

 

日本共産党を支持している人、あるいは関心を持っている人、日本共産党を『当面の敵?』と考えている人たちの間で、関心がもたれているようである。

 

この本は、最初の表紙や帯の写真にもあるように、『内田樹氏推薦』とか、『ヒラ党員が党首公選を求め立候補する理由』などの宣伝文句が付けられていて、あたかも、無邪気?な一般党員が、日本共産党をもっと開かれたものとして発展させるために、『党首公選制』を訴えたり、自ら立候補を宣言しているような装いをこらしている。

 

しかし、少し読み進めば、かなり挑発的な内容であることがわかる。

簡単にいうと、筆者の松竹信幸という人は、大学に入学した翌年、1974年の7月に日本共産党に入党したのだという。

 

1955年生まれだというから、現在、68歳の爺さんである。

 

このような立派?な経歴を持つ人でもある。

その人が、ここで半分、自慢を含めて書いている内容は、相当、毒を含んでいる。

 

そもそも『文春新書』の形で本を出しているところに問題がありそうだが、この本は月刊Hanadaとか、WiLLとか、(産経から出している)正論などの雑誌と似たようなタッチで、日本共産党の幹部たちに対する『嫌味』を満載している。

 

詳しくは、次回(中篇、または後篇)以降に書いて行くが、この本の中身は、自分が党本部の政策委員会で安全保障や外交を担当していて、いかにいろんな問題について、自分がよく知っているか、あるいは日本共産党が、『国の防衛をいかにしてはかるか』『自衛隊の位置づけをどのように考えるか』について等の問題で紆余曲折を辿ってきたかを、わざわざ掘り起こしてみせている。

 

 

そして、それだけでなく、共産党の幹部たち(例えば、不破氏、志位氏、小池氏など)がそうした問題について、試行錯誤を繰り返し、場合によっては、現場の国会議員たちと意見の不一致を見ながら、それを何とか乗り越えてきたか(いかに、現状でも『矛盾』を抱えているか)について微に入り、細に入り、書いている。

 

全体として見えるのは、『自分はそうした問題についてプロであり、外部の信頼も得ている』という自負である。

 

しかし、不必要?に、不破氏、志位氏、小池氏などの幹部に対して、『彼らは、意外と知らないことが多い』『私のほうが、よく知っている』などと読めるような記述までしている。

 

あえて言えば、共産党の幹部たちが、怒り出すに決まっているようなことまで、わざわざ書いているのである。

 

松竹氏は、何のために、こんな本を出しているのだろうか?

彼は、月刊Hanadaみたいな連中に乗せられているだけなのか、それとも、そうした人々をも利用して、何か仕掛けを始めたつもりなのか?

 

 

『ヒラ党員が党首公選を求めて立候補する』だけみたいなイメージで、発行されている本であるが、しかし、中身は『権威と伝統』をいわば至上の価値としている日本共産党に対して、(上から目線で)『民主集中制はやめろ』といわんばかりの内容である。

 

この本は、日本共産党の弱点、矛盾点をさらしものにして『喜んでいる?』というような愉快犯的なにおいさえ感じさせる。

 

どのような動機で、こうしたことをやっているのかわからないが、このような形で本を出して喜ぶのは、(昨年、暗殺されてしまった)安倍晋三氏の『遺志』を継ぎたいと思う人々くらいであろう。

 

日本共産党のなかで、時間がかかっても、何とかして『党の体質を変えられないものか?』と思っている人、あるいは、『国の防衛政策の大転換』を受けて、それに対して何らかの歯止めをかけたいと思っている(共産党内外の)人にとっては、このような本の出版は、『迷惑行為』でしかないのではないか?

 

私自身は、日本共産党を支持するものでも何でもない(むしろ、はっきり言って、この党は『批判して変わるものでもないし、どうしようもない』と嘆いているというかあきれている?)が、あまりにも、『意図不明』で『挑発的な本』が、無邪気さ?を装って出されていることに対しては、くれぐれも、騙されないようにと訴えたい。

(この本は、むしろ、松竹氏が自身に対する『除名』という処分を引き出すのを自己目的化?したかのような、『危ない出版物』である。)

 

何か、切迫せざるをえないような事情でも、どこかにあるのだろうか?