この記事の続きである。

 

 

 

一度もお目にかかったことのない元芸能人だった方について書いている。

 

一般的にいうと、私自身、芸能人が知名度を利用して選挙に出ることについては、批判的なほうである。

しかし、彼女の人生について書かれているネット記事などを斜め読みしていると、何となく(一見)器用そうであり、実は意外と不器用に人生を歩んでこられたようににも思えてくる。

 

私が印象に残っている(テレビで見かけた?)明るそうな姿である。

(いや、これはアイドルをやっていた頃なので、もう少し先の人生の機微を味わったあとの、爆発的な笑い顔のイメージがあったのだが、それはちょっと今、写真がみつからない。)

 

彼女が、歌手として活動したころのことは、あまり記憶していないが、気が付いたらいろんな番組で、彼女は『司会者』をサポートするような役割を果たしていた。

相手は(都知事選に出る前の?)青島孝男だったり、(名前は忘れたが)誰かさんがメインキャスターだった、いずれも割合、長寿番組の部類において、彼女は、(いわゆる)『爺殺し?』的なキャラクターをもたされていた。

 

それは、『時代が彼女に求めたこと』なのかもしれない。

 

その時代、女性はあくまでも『サブ』的な役割を果たすことを求められていた。

(ちなみに、私は、青島幸男が。都知事選に出たことを全く評価していない。彼は、明らかに『当選なんかするはずがない』と思いながら、選挙に出たのだろう。それでも当選後、完全に仕事を放り出したわけではなかったことは、ある程度、評価すべきなのかもしれないが…。)

 

『爺殺し』などといっても、愛人にされてしまうというようなイメージではない、いわば『親戚のかわいい娘』として気に入られ、『応援してやろう』と思われるような存在である。

いろんな番組(テレビもラジオも?)で彼女は、こうした役割を果たしていたが、私が印象に残っているのは、1995年~2000年にかけて出演していた、NHKテレビの『スタジオパークからこんにちは』で、堀尾正明アナウンサーをサポートしながら出演していた時代のことだ。

 

このようなwikipediaの記述を見ると、いかにも世渡りが上手な『器用な人』にように思われるかもしれない。

 

しかし、彼女には、非常に『不器用』な側面もあるようだ。

(また、幾度も壁にぶつかり、『挫折』を体験した人のように見える。)

 

彼女は、1978年にデビューしたという。

2001年には、38歳で結婚している。

 

相手は、アメリカの(取材?)旅行で知り合った、メキシコ系アメリカ人の男性。

(この男性とは、2021年、58歳の時に離婚している。)

 

2002年には、(一人息子の)『望亜(のあ)』さんを出産。

(今回の、彼女の葬儀で望亜さんは、『喪主』を務めている。)

 

2003年には、沖縄の読谷(よみたん)村に移住している。

夫が、そこでメキシコ料理店開くためだったらしい。

(というよりも、沖縄で『何をやろうか?』ということになったのか、その辺の順番はわからない。)

 

読谷村は、たしか沖縄で最も大きな村である。

そこのかつての村長が、『文化的な村』を作ろうと、かなり先進的な取り組みをしたことで知られている。

(私も、一度だけ行ったことがある。)

 

だが、彼女は、2018年に(出身地である)愛媛県新居浜市へ移住している。

これは、母親?の介護も関係しているらしい。

 

このタイミングで夫と離婚している。このころ、息子さんは二十歳(はたち)くらいになっているはずだから、息子が成人に達するまでは、『両親が離婚する』という状態にしたくなかったのかもしれない。

 

愛媛県新居浜市では、以前からいろいろな活動を始めていたらしい。

そして、7月の『参院選』での出馬。

今回の死となった。

 

既に選挙戦の最中に、身体の具合が悪いことがわかっていたが、医師に診てもらうことが遅れたばかりに、『癌の発見』が遅れたともいう。

 

何とも『行き当たりばったり』にも見えたりするような人生である。

しかし、(事情を全く知らない)他人について無責任なことは言えない。

 

それに考えてみると、私自身、かなり『行き当たりばったり』で『無責任』ともいえるような生き方をしてきた。

彼女にしたって、(参院選は、もともと当選は無理だったのだろうが)彼女の目指していたという(来年4月の)新居浜市議選で無事、当選できていれば、地方議員としてさまざまな活動の道が開けていたのかもしれない。

 

そこにおいてこそ、議会内外での活動や生き方を通して、彼女がこれまでの人生で何を考えてきたのか、何を大事にしていたのかが、世間に知れることになったのだろう。

 

そういう意味では、大変、残念だったのだろう。

しかし、本人は、『やり切った』と感じているのかもしれない。

 

話は、全く変わるが、『高見恭子』という人がいる。

この人は、1959年生まれで現在、65歳(高見知佳さんとは5歳年上である。)

 

私は、高見知佳さんの死を知った時に、『そういえば高見恭子という人もいたな』と思い出し、こちらもネットでいろいろ検索してみた。

 

 

私は、良く知らなかったが、彼女の父は、(作家、詩人で有名だった)高見順である。

(上記は、やはりwikipediaの記述から。)

 

もっとも、彼は『転向作家』、つまりかつては左翼の文化人であったが、戦前『転向』(一般に言われるイメージでは)つまり天皇制のもとでの権力の弾圧に屈服して、思想を変えた?ととらえられているようである。

(あまり、有難くないイメージである。)

その体験を小説に書いて、第一回芥川賞(1935年)の候補になっている。

 

同時に、高見恭子さんは、父=高見順が52歳くらいの時に、『愛人』の女性に産ませた子供。つまり、(昔は)『庶子』とか『私生児』と呼ばれて、いろいろ差別された立場だったようだ。

 

もっとも、高見順は、その後、恭子さんを自分の子供だと認知し、そのため彼女の名字は、母親の姓から、高見順の本名の姓へと幼い時期に変わっている。

 

これだけ見ると、高見恭子さんは、『恵まれた人生』というよりも『不幸な人生』を歩んできた人のように見える。

しかし、彼女は、現在は、夫の馳浩が、国会議員から(今年、2023年の春に)石川県知事に当選して、今や石川県知事夫人である。

 

このようになったのも、馳浩(元レスラー)さんが、石川県の『ドン』である森喜朗氏にかわいがられているからだなどとネットの記事には、書かれている。

 

以前、石川県に行ったことがあるが、その頃も、森喜朗氏の権勢の大きさは地元で評判だった。)

 

高見知佳さんと高見恭子さんは、面識があったのだろうか?

彼女らは同姓であり、ほぼ同じ世代であり、元芸能人、政治とかかわりがあるちいう点では共通点があった。

 

第一、高見知佳さんと高見恭子さんとがお互いに『知り合い』だったのかどうかもわからない。

(仮に、非常に親しかったとすれば、高見知佳さんが立憲民主党の推薦を受けて、参院選に出馬するということも『なかったのではないか?』という気もするのだが…。)

 

どちらにしても、元芸能人たちの人生もなかなか大変なものである。

(それに、世間から見て、『成功した』と思われるような人たちでも、ご本人が何を考えているのかは、かえってわかりにくいものである。もっとも、このお二人についてさえ、積極的にネットその他で、『発言』などを追いかけていないのが実情だが…。)

 

また、高見知佳さんが(自分が立候補していた)あの参院選の投票直前にあった、『安倍元首相、狙撃(暗殺)事件』についてどのような感想を抱いたのかも、興味深い。

 

あの事件を経て、高見知佳さんも自身の人生観に変化があったのかもしれない。