東京・京橋にある『国立映画アーカイブ』で、(特に台湾から帰国して以降)定期的に古い映画を見てきたことは、ここの記事で時折、書いている通りだ。

 

何本も映画を見るうちに、なじみになる俳優(男性・女性含めて)も出てきた。

(ここでは外国映画も時折、上映されているのだが、やはり邦画を見ることのほうが多い。)

 

特に、6月24日からは『東宝の90年 モダンと革新の映画史』という特集を断続的にやっている。

10月4日以降は、その(2)=第二部を上映中である。

 

1932(昭和7)年に阪急電鉄社長の小林一三が株式会社東京宝塚劇場を創立してから今年で90周年ということである。

 

東宝映画は、この『東京宝塚劇場』のいわば映画部門として、設立されたようである。

日本初の本格トーキー企業、写真化学研究所(PCL)とその自主制作部門(PCL映画製作所)等を東宝映画のもとに吸収合併して、今日の東宝の土台を確立した(らしい)。

 

 

それで、こんなリーフレットで紹介されているように、いろんな映画がここで上映されてきた。

 

私は、子供の頃は(アメリカに住んでいた時期もあったりして)そんなに映画を見た記憶はなかったのだけど、ここで古い映画とか、題名だけは知っている『シリーズ映画』などを見ていると、日本の過去の現実というか、過去において日本人が映画館の暗闇の中で見た『幻想?』を確認できる思いがして、何となく楽しい気がするものである。

 

それで、最近、印象に残った俳優さんなどを紹介(知っている人は私よりもずっと詳しく知っている人たちが大勢いるような世界ではあるが)してみたい。

 

今回、まず取り上げるのは、俳優の小林桂樹(『さん』づけはやめておこう)である。

 

前から、この人はいろんな映画で見かけているのだが、先日の12日と13日の2日間、この『国立映画アーカイブ』で彼が出演している(主演または準主演クラス)映画を4本見た。

 

12日は、(1961年の)『社長道中記』(15時半から上映)と、(1960年の)『黒い画集 あるサラリーマンの証言』(18時20分から上映)とを見た。

(本当は、12時半上映の『三等重役』というのもチケットを購入済みだったのだが、こちらは少し疲れ気味だったので、パスしてしまった。

 

後で考えると、こちらのほうが、1952年公開?と古い映画であり、『前社長が公職追放となったことで、思いがけず社長となった』人物のことを描いていて、世相に対する風刺など、よりストレートな面白味のある映画だったような気もするが…。)

 

13日は、(1957年の)『サラリーマン出世太閤記』(13時から上映)と(1963年の)『江分利満氏の優雅な生活』(16時から上映)の二本を見た。

 

これらの映画は1957年~1963年という、(1948年生まれの)私が、8歳~14歳までの間に上映されたものである。

驚いたのは、小林桂樹が、かなり多彩な演技をしていることだった。

 

こでおさらいをしておくと、小林桂樹は

1923(大正12)年11月生まれ~2010(平成22)年9月逝去の俳優である(86歳で亡くなった)。

 

この『国立映画アーカイブ』の古い映画を見ていると、映画に登場している誰がまだ生きていて、誰が既に亡くなったのかわからなくなるが、『社長シリーズ』などに出演していた森繁久弥も、加東大介も、三木のり平も皆、亡くなっている。

 

加東大介が64歳で亡くなったのに対して、森繁久弥が96歳まで生きていたのは、『不公平』だと思う加東大介ファンもいるかもしれないけれど、早かれ遅かれ、皆亡くなるという意味では、案外、『公平』なのかもしれない。

 

ともかく、私は、2010年の時点で小林桂樹の訃報に接したという記憶があまりない。

(そのころは、古い日本映画をそれほど見ていなかったせいだろう。)

 

12、13日の両日、『国立映画アーカイブ』で見た映画の話に戻る。

 

こららの作品の中には、『江分利満氏の優雅な生活』のように、山口瞳氏の直木賞受賞作品を映画化したようなものもあった。

 

ところが、この映画は、(誰が監督なのか、よく確かめないままに見ていたが)やたらに『戦争風刺』の画像などが入っていて、その後、監督が岡本喜八監督であったことを再確認して思い返すと、『いかにも岡本喜八らしい』と思えるような映画だった。

 

しかし、『江分利満氏の優雅な生活』というのは、昔、『週刊新潮』に連載されていた山口瞳氏のエッセーを何度も読んだ記憶があるのだが、それとはかなり味わいが異なっていた。

 

念のために、その後、『江分利満氏の優雅な生活』の方を、横浜市立図書館から借りてきて少し読み出したのだが、やはりテイストが相当、異なっている。

 

ちなみに、この映画は、あまりにも『観客に不評で不入り』だったために、プロデューサーが激怒して、『一週間で打ち切りになった』と書いているネット記事があった。

(まあ、さもありなんと思われるような出来栄えだった。)

 

何しろ、軍隊と戦争の影がずっと(江分利満氏の一生に)付きまとうような映画に仕上がっていた。

 

山口瞳氏の小説は、もっとずっと軽く(その奥に、哀しみのようなものをたたえているのかもしれないが…)、軽妙なものであるようだ。

 

そうかと思えば、12日の夜に見た、『黒い画集 あるサラリーマンの生活』というのは、題名からも分かるように、松本清張の推理小説を原作とするものである。

 

部下のOLとの不倫に惑溺したサラリーマンが、ひょっとしたことで『破滅に陥る』その顛末を映画化したものである。

 

ところがこの映画、話はそれなりに面白いのだが、後半の『破滅へと転調していく』その切り替えが、あまりシャープとは言えない。

(逆にいうと、じわーっという感じで、徐々にいやらしく『転落していく』のである。)

 

映画を見ながら、橋本忍氏の脚本なのにどうしたことなのか、という感じがしたものである。

 

この映画の監督は、(かつて、黒澤明監督のチーフ助監督を長く務めていた)堀川弘通である。

この人の書いた『黒澤明』本は、天才であった黒澤と『常人=常識人』との間をつなぐような優しさ?が文章にあふれていて、読みやすい本だと感心した記憶がある。

 

しかし、その分、(いわば情におぼれて)バッサリとぶった斬りをして、すっきりした映画を撮るようなことは不得意なのかもしれないと(何となく)思ったものである。

 

だが、この映画、1960年の『キネマ旬報』ベストテン第2位だし、

小林桂樹本人は、第15回毎日映画コンクール主演男優賞、キネマ旬報男優賞、ブルーリボン大衆賞を受賞しているという。

 

そういう意味では、この『善良なサラリーマン』が転落していくさまを描いた映画は、当時の人々の抱いている『ある種の罪悪感』『挫折感』『転落の予想』をどこかで代弁しているというか、切り取っている状況があったのだろう。

 

また、この映画では、不倫相手のOLを演じているのが、原知佐子でそういえば、そんな女優がいたなと思い出した。

 

ある種、『小悪魔』的な雰囲気のある女優さんだ。

(この人も、実相寺昭雄監督と結婚したというが、既に2020年1月に84歳で亡くなっている。)

 

ともかく、この映画で、『みっともない中年男』を熱演して、小林桂樹は、上述したような数々の賞を受賞している。

それまでの役柄とは大きく脱皮をしたようである。

(つづく)