私が、カミさんと一緒に台湾から引き揚げてきたのは、昨年の7月末。

(といっても、台湾で暮らしたのは、2017年からの3年ちょっとに過ぎなかったが…。)

 

それから、1年3カ月が経過した。

 

時間がたつとどうしても、忘れてしまうが、台湾で暮らしていた時は、(日本と同様に)多い地震と『中国から何が仕掛けられるかわからない』という独特の不安感を、感じていた。

(蔡英文総統が、昨年1月に『再選』され、中国との緊張は一層、激化していた。)

 

台湾にとって、中国とは、災難をいつもたらすかわからない『活火山』のようにも見える。

(同時に、台湾に中国との商売で利益を得ている人が多数いることも事実であるが…。

台湾にとっての『日本経済の重み』と『中国経済の重み』は、大きな格差が存在している。

後者のほうが、圧倒的に大きい。)

 

 

この台湾にとって、(日常的に気になる)中国の脅威というのは、ある種『独特』なものがある。

中国から、台湾にミサイルなどを本気で打ち込もうと思えば、ある意味では、容易なことなのではないかという気がしている。

 

いや、日本の場合、『北朝鮮からのミサイルの恐怖』があるではないかと言われるかもしれないが、北朝鮮の金正恩政権が、各種のミサイルなどの開発を急いでいるのは、アメリカに対して、『金王朝を滅ぼすような戦争を仕掛けることはない』という約束?を引っ張り出そうとしての、駆け引きだという気がする。

 

金正恩が理性を失わない限り、『自らの王朝の延命』のために、あれだけいろんなことをやっているあの政権が、『どうぞ、核兵器などミサイルを撃ち込んでください』というようなシグナルとなってしまうようなことを、日本に対して仕掛けるはずがない、という気がする。

(もちろん、北朝鮮軍の内部でクーデターなどが発生し、『常軌を喪失した部隊』などが主導権を握った場合は、何が起こるか計り知れないところがあるが…。)

 

ところが、中国と台湾との関係は、より緊迫化している。

台湾に住んでいる人のなかには、『いつ台湾が、中国による武力攻撃にさらされるかもしれない』と心配し、その対策(家族の外国への移民、あるいは財産の外国への持ち出しなど)を打っている人も、一定の比率で存在している(と思われる)。

 

これは、11月12日の『読売新聞』の紙面からだが、1面で<中国共産党の重要会議、第19期中央委員会第6回総会(6中総会)は党史上3度目となる「歴史決議」を採択して閉幕した>と報じている。

 

そして、7面では、その『歴史決議』の意味について解説している。

 

過去2回『歴史決議』が採択されたのは、毛沢東の時代である1945年と、改革・開放政策を推進した(いわば『中興の祖』みたいな存在になる)鄧小平の時代である1981年とである。

 

この『歴史決議』というのは、『習近平の時代』を共産党の歴史に刻印し、自らの時代を、『党創設から建国後』『改革・開放と高度成長』に次ぐ、『新時代』として高らかに宣言するためのものと見られている。

 

実は、この段階(11月12日)ではまだ、この『歴史決議』の全文が公表されていなくて、よくわからない部分もあったようだ。

 

 

 

ところが、その後、『全文が公表』されたようだ。

これらは17日あるいは18日付の各紙(読売、産経、朝日)の報道ぶりである。

 

 

今回の『歴史決議』は正式名称は『党の100年の奮闘の重大成果と歴史経験に関する決議』といい、中国語で約3万6千字で構成されている。

(中国語を日本語に全文翻訳すると、その数倍から、下手をすると十倍くらいの字数を擁するようになってしまう。)

 

この決議では、個人名への言及は、習近平が14回で最も多く、毛沢東が11回、鄧小平が3回だったという。

(ちなみに、江沢民と胡錦涛はそれぞれ1回のみ。)

 

また、習近平が総書記就任以降の9年間に関する記述は、全体の半分以上1万9千字あまりに達するという。

 

このような文章の全文が、中国の新聞には掲載され、また冊子化もされて、中国共産党員のみならず、多くの国民にとって、『必読文献』

『学習の対象』ということになる。

 

先日、テレビ(日本の番組)を見ていたら、中国の小学生か中学生の親御さんが、『子供にこの内容を学習させるのは、難しすぎる』というようなことを言っていた。

(あるいは『歴史決議』ではなく、別の文章の学習に関してだったかもしれない。)

 

 

『産経新聞』の解説によれば、習近平への個人礼賛は、当初予想されていたよりも抑えられており、『人民の領袖』という言葉は盛り込まれなかった。しかし、鄧小平時代の『歴史決議』で強調された『個人崇拝』を戒める文言もなくなった、という。

 

このような『歴史決議』を行うというのは、簡単にまとめてしまうと、習近平が『長期独裁化』あるいはいわば『皇帝のようなもの』を目指すということであり、人間というもの(特に『権力者』)の『幼稚さ、愚かさ』を開花させたような現象とも言える。

 

 

しかし、極めて、割り切って考えると(わが日本の)安倍晋三氏なども『似たような症状』を示すことも多く、決して『我が国はこのような病状とは無縁である』とは言い切れない。

 

また、こうした『習近平政権』を今日の時代の『パワーの軸』としながら、国際情勢が展開し、また『台湾独立を許さない』『武力統一を放棄しない』などと(時には)騒ぎ立てているのだから、『愚かなものは放っておけ?』ということにもならないのが、(悲しい)現実なのだろう。

 

しかも、こうした『権力者による愚かな行為』というのは、他国にも『伝染しやすい』という問題もある。

(つづく)